終戦記念日
戦争は二度とおこさないことである
戦争は青年、壮年など多大の人が亡くなった。その一例、終戦まじかに、日本は武器も乏しく、薄い板で魚雷艇を造りそれを青年に操縦させ敵に特攻隊を命じた。希望ある青年は亡くなった。
戦争の悲惨
壮年 (南方へ戦争へ行く)
壮年 米がない、ご飯がないんだよ。
聞き手 御飯ないことは、戦が出来ないですね。腹がへって出来ないですね。
壮年 ご飯がない。ひどいものだった。
解説 現在 映画など戦争はかっこいいと思っている青年もいるが、実際は悲しみの日々ですね。どうして、御飯や物質なものがなくて戦争が出来るだ。当時、日本は何もなかった。銃だってひどいもの。米軍の連発銃はすごかったが日本はぜんぜん駄目だった。物がなかったのだ。命令の違反者はびんた。
南方ではたくさんの日本兵が飢えで亡くなっている。道路には飢えで亡くなった人が多数いたい
2007年08月26
戦争の悲劇
壮年 (当時 青年) 戦争で足に破片が13か所、薬は底をつき、麻酔なしの手術する。4か所は戦後も入ったまま。
負傷者は、続々と運び込まれた病院の中にわには、マキがくみ上げられていく、そのうえには、手術で切断された手や足が燃やす。山のように積まれた。
解説 彼はビルマに行った。ビルマ方面は16万人の日本兵士がなくなっている。戦争は怖い、青年を平気で殺す。夢も希望もある青年を平気で戦争の犠牲者にする。二度と戦争はしないことである。
戦争の悲惨
証言 壮年
外国の敵は女性を狙った。胸を調べる。うちの姉はさらしまいて逃げたよ。
戦争の悲惨
婦人は漁船で逃げた。多くの乗客がいた。子供も、だが、敵は密告船がいないか、サーチライトで調べる。その漁船に赤ん坊が泣いた、男性の乗客は言った。黙らせろ。敵に見つかる。母は赤ん坊の口をふさいだ。男性は見つかる、早くだませろと。そして、母は、赤ん坊の口をふさぐ。赤ん坊は二度と息を返さなかった。
その漁船に、サメの大群が押し寄せた。船長は、サメの恐さを知っている。餌をあげなければ大変な眼にあうと。漁船の船長は、小さな子供を、病人を投げた。海に投げた。私は(助けて)の声を耳にふさぐことしか出来なかった。
(証言 壮年
サメ恐いよ、歯がすごいよ。奴らも必死だ、大群では小さな船をひっくり返すことも出来るだろう)
解説
この婦人はこの悲劇を言うのがいやだった。胸に秘めていた。この恐ろしい話をするのがとても恐かった。しかし、信仰して、使命を知った。未来の人達のために証言をしなければいけないと。平和のためにもと。そして、講演をされている。 (婦人 中国で終戦を迎える)
証言
日本は中国に侵略した。そして、現住民との間でトラブルを起こし兵舎を構えた。なにしろ、何もないのだ、兵隊は、御飯も少ないのだ。上官の命令なんか聞いていたら大変だとばかり、現地で民家を襲った。武力でだからたちが悪い。故に、終戦なったら、日本が負けたと聞いたら現地人の人はここぞとばかり立ち上がって仕返しだ。
日本の外地の庶民は大変である。そんな思いもよらないから。来た時には甘い言葉で軍の甘い話で来たのだから。日本は強いぞ、勝った、侵略ではない、正義の戦争だ、強い者の領地だ、土地は強い者のものとばかり侵略していった。ひどいものである。 前記の婦人は運がよかった。日本に帰ってきたのだから、そして、言いたくない証言をマスコミにしてくれたのは、平和のためにも貴重であった。何分、今の世の中、戦争映画などで戦争が美化されている。実態は悲劇なのである。戦争は無残なものである。子供を、病人を海に投げてしまうのを平気でやるのである。ひどいものである。
2009年8月作
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