平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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旅 江戸時代天文台

2016年04月19日 | Weblog

思い出の旅  2007年3月

    江戸時代天文台跡

6月3日の日曜日に浅草橋に行った浅草橋には江戸時代に幕府の天文台(写真)がある。暦は昔から、国に欠かせない。天文の他に測量、地誌、洋書翻訳などの施設もあった。日本の最初に地図を作った伊能忠敬もここで学んだ。彼は近くに住み、歩で距離を測り後に全国を回って歩で距離を測り地図を作成した。太陽暦というと明治政府が明治5年改暦を発表し翌6年から太陽暦を実施し西洋と同じになった。今でも使われる大寒、」小寒などは古来の暦の名残である。話は変わるが、この近くには江戸幕府唯一の医学の学校があった。若い学生が学び立ち社会貢献にかつやくしたのだった。明治になってから両方とも廃舎となった。話は変わるが、人間に大きな関節は12個ある。1年12ヶ月、宇宙の生命と合致している。太陽が沈んでも遅くまでおきていると寝起きも悪い。健康は宇宙のリズムに合致してこそである。暦も医学も人間の生命に欠かせないものである。浅草橋というと人形、ビーズの問屋街でもある。江戸時代には近くの浅草向柳原は武家屋敷で立ち並んでいた。それも明治になってから取り壊しとなって今は民家など立ち並んでいる。近くには隅田川が流れる。川の汚れは近代化が急ピッチで進んでいることを示す。しかし、浅草橋の街はこの日祭りで神輿をかつぐ庶民の力強い声が響き渡っていた。

 

案内

浅草天文台跡(写真)

 正確な暦を作る必要から牛込から1782年に浅草橋に移る・明治2年新政府より廃止となる。

交通

浅草橋(JR/地下鉄)

下車 約7分