東京スーパーミニヨン時折ブルー

未来のスーパーエッセイスト・マツドアケミによるカワイイモノのコト、好きなヒトたちのコトと時折プチブルーな日々

チワワのじゃすみんちゃん

2010-05-17 21:30:24 | 可愛い人たち~おともだち~
昨日、雑貨の仕事塾の生徒さんが愛犬を連れて
アトリエまで来てくれました。

彼女は現在手づくりで犬雑貨を作ってネットショップ
販売しています。

チワワのじゃすみんちゃん。なんと1.3kgですって。
我が家のブリちゃんの半分です。
舌がぺろってでているところもチャーミング。

お店を開いたら、看板犬になりそうですねって
話をしました。


緑の森で

2010-05-17 20:55:00 | 日々
同居人はネコのような人です。

付き合い始めた当初から、日だまりでひなたぼっこをしているかのような
ネコのような男の子だと思っていましたが、引越しをして早2週間。
あらためてよっちゃんはネコのような人でした。

わかりやすい道を決まった通りに歩く散歩コースを
選んでしまいがちな私と、路地をするするっと抜けて
居心地のいい場所を見つけてくる散歩が好きなよっちゃん。

緑の森を見つけてきたり、素敵な公園を見つけてきたり
オープンテラスがあるカフェを見つけてきたり、
雑貨屋さんを見つけて来たり。

一緒に行こうと誘われて出かけるたびに
キラキラ光る木漏れ陽をたくさんプレゼントしてくれます。

緑の森を歩くのが楽しい季節がやってきました。

パリのアパルトマンのようなアパートで

2010-05-13 23:41:54 | 可愛い人たち~おともだち~
すごぉ~くご無沙汰しております。ハウアーユー?

"時折ブルー"
などとタイトルにつけておりますが
本当にブルーな気持ちのときは何もしません。
”今”が決してブルーというわけではないのですが、
ブログに文字を綴れなくなっておりました。

「どうしていますか?」

そんな言葉がたくさんメールに届いたので、
近況を報告をします。
私は”ブルー”ではないので、どうぞみなさんは
暗くならないで読んで下さい。

4月27日
たまたまその日は朝から夕方まで仕事の予定が入っていました。
お昼のちょっと前くらいに一つ目の仕事が終わり、ランチでも
しようかなぁ~なんてのんびりと考えていたところへ妹からのメールが
届きました。

「急いで病院に来て」。


昨年6月。大好きな父が余命1年の宣告を受けました。
大腸がんが肝臓に転移しているのがわかり
治る見込みがないということを告げられました。

父は81歳を目前にしながらも、スポーツ選手だったこともあり
とても元気で、足腰も強く私と同じペースで歩くことができる人でした。
家族の誰もが、この元気なおとうさんが1年で逝っちゃうの?と
信じられず、そのときは悲しくなることを忘れていました。

現実なのか、嘘なのか、なんだかわけのわからないままに、
それでも親孝行らしいことをしなくっちゃ!と
アリヴェデパールを離任しました。

そういえば、おとうさんは旭山動物園に行きたいっていっていたんだ!
抗ガン治療がはじまって、少しだけ体調に変化がでてきている時期での
旅行の計画。

やめたほうがいいかもしれない、、、。
そんな話もでたけれど、私と妹二人の三姉妹は急遽9月最初に、
おとうさんと3人という最初で最後の4人旅行に出かけました。

見せたかったシロクマのダイブ、ペンギンのお散歩、あざらしの
トンネルくぐり。
あいにくの雨でしたが、合羽を来て写真を撮ったのも今となっては
思い出です。

長女といえども、長女らしいことなどしたこともなく、
ましてや親孝行らしいことを何一つもしていない私。
時間を見つけては実家に戻り、
一緒に散歩をして草花の名前を聞いたり、昔話をしてみたり、
そんな話を聞くことで、駆け込み親孝行をしているつもりでした。


大腸がんの手術を受け、治る気満々の父を見ていると
本当に治ってしまうのでは?と思うほど
元気に見えました。

でも先生が言った通り、父は抗ガン治療を受けながら
だんだん弱っていきました。

同じつらい思いをするならば、そのまま時を迎えたいと
今年に入ってから父は、先生に抗ガン治療をやめることを
伝えました。

一気にガンが広がっていき、それでも病院通いをしながら
自宅で過ごしていた数ヶ月。

もともと我慢強く、「いたい」とか「つらい」とかを口に
出さない人です。
日に日に痩せていく父。
どう考えてもつらかったはずです。

病院に入るくらいなら死ぬ!
というほど、入院をいやがっていた父ですが、
見るに見かねた妹に連れられて4月21日に入院しました。

黄疸も進行していて、覆水がたまっていて普通の人だったら
もう寝たきりになってもおかしくはない状態。

3日、4日と経つうちに
薬がだんだん強いものになり、回数が増え、
見舞いにいくと起きていた父はもう起き上がる体力がなくなっていました。

そして4月26日。
病室に入ると、父は目をあけていましたが、私の言葉にうなづいたり
首を振ったりするだけでもう会話はできなくなってしまいました。
一方的に話をするだけでも、もうちょっと一緒にいてあげられたら
よかったなぁって思います。

そして27日の妹からのメール。
仕事先の恵比寿から半分泣きながら地元まで戻り、
病院に着いたときには父は逝っていました。

電車の中で、妹達に具合を聞きたかったのですが
「だめだったよ」って言われるのが怖くて聞けませんでした。
父は私が病院に着くまでがんばってくれていたみたいだから、
私も心の中で「おとうさん、つらかったら逝ってもいいよ」って
つぶやいていたのが届いたのかもしれません。
私が仕事をしている姿が好きだったおとうさん。

最後まで人に心配をかけないようにして、眠るように
逝きました。

おとうさんはとても優しい人だったので、
どうか苦しませないで欲しいという思いを神様はどうやら聞き入れて
くれたみたいです。

つめたくなった父の手をにぎるとまだちょっとだけ
あったかな手をしていました。
もっともっと手をつないでおけばよかったって思います。

小さな子ども達と動物に好かれる優しかったおとうさん。
もう会えないと思うと
それはそれは悲しいけれど、
でも私はおとうさんが喜んでくれるような仕事をたっくさんしていきたいと
今は思っています。

父の近くに、、、と思って、実家の近所に犬が3匹飼えるアパートを探し
引越しをしたのですが、間に合いませんでした。
でも実家の近くのおかげで母に親孝行ができそうです。

ちなみに今のアパートはパリのアパルトマンの様に
水道の蛇口がお湯とお水にわかれています。
不便ですが、パリジェンヌになった気持ちで暮らしています。