あんのおしゃべり

あんの想いを綴っていきます。

私の読書歴 その7 赤毛のアン

2006-04-22 23:35:17 | 読書歴
最初に教科書で読んだときには、
自分とまったくタイプの違うアンにさほど
興味を持たなかった・・・
けれども父も母もその本が好きで、
新潮社の文庫本でアンのシリーズが全巻家にあった。
何気なく、手にとって読み始めたら、
すっかりアンのとりこになってしまった。

私の青春時代はアンと共に大きくなったと言っても
過言ではない。
今、こうしてカントリーの世界にはまりこんでいるのも、
赤毛のアンの世界にずーっと入り込んでいたから・・・
彼女に負けないくらい、ドジな私だったから、
彼女の「明日は、まだ失敗のない日」という台詞に
どれだけ助けられたかしれない。

でも一番の思い出は、赤毛のアンがきっかけで
中学時代にできた友達である。
彼女も私同様に休み時間には本を読んでいるような
おとなしい子だった。
しかも勉強ができることが災いして、
クラスの女の子たちからは、敬遠されていた。
その彼女と親しくなったのは、私もまた、
仲間意識ばかりが強くて、他のグループの
悪口を言っているような交友関係についていけなかったから。
アンとダイアナのような“腹心の友”の関係が
二人の間にはできあがった。

その数ヵ月後に、私は岡山から石川に転校・・・
その後の中学時代は、もっと辛い日々だった。
小学1年で転校した弟が、高校に入ってもなお
「転校してきた子」と言われるような閉鎖的な
田舎の町に引っ越したのだから、
友達らしい友達ができなかった。
その私が、不登校もせずにその中学に通えたのは、
その腹心の友の手紙だった。
彼女の存在が、心の支えになっていたのだ。
そのやりとりは、便箋に10枚を越えることもあった。
赤毛のアンにぞっこんな彼女であったから、
二人の話はつきることがなかった。

大人になって再会したときに、彼女が、言った。
よくぼーっとした目をしていたよ、って。
赤毛のアンと同様に私もまた
空想の世界を漂ってばかりいたのだ。

私の読書歴 その6 君は愛する人のために死ねるか

2006-04-12 20:52:45 | 読書歴
中学の頃、さらば宇宙戦艦ヤマトを映画館で見た。
その時私は、“愛する人のために君は死ねるか”
というサブタイトルのように、
愛する人のために死ねるだろうか、と
真剣に考えた。
その時の私は『死ねない』と思った。
何故なら、その頃の私は“死”を一番の恐れたからである。

それと時を同じくして、
図書館では、好きな男の子の名前を
図書カードで発見して、その本を借りて読んでみた。
ドストエフスキーの『罪と罰』である。
純文学というものを読まなかった私には、
かなり難解であまり理解できなかったように思う。
しかも根をつめてその本を読んだためか、
その直後にヘルぺスが胸腺のあたりにできてしまった、
という思い出の書物でもある。
ただ、その本を理解することはむずかしかったけれども
その本のなかに出てきた女性、ソーニャが
忘れられなくなってしまった。

最近、その彼女と同じ心を持った女性の出てくる映画を見た。
『赤目四十八瀧心中未遂』である。
その映画の女性は、現実には死ななかった。
けれども、愛する兄のために、
彼女は、博多の町に売られて行く人生を選択した。
そして、彼女の心の一部は、そこにほおむられた。

蓮の花の美しさは、
完璧な、美しい人生を生きた象徴ではなく、
むしろ、彼女たちのように、
どろどろとした、汚れた現実の中に身をおきながら、
燐として透明なものを失わなかった、
その美しさを示しているのだと、
私は、後になって思うようになった。

私の読書歴 その5 感性の扉

2006-04-11 21:31:08 | 読書歴
もちろん、聖書だけではない。
その中学の頃、私は言葉に興味を持っていた。
それは、ある本との出会いがきっかけであった。
『僕は12歳』という岡真史の自殺の手記。
その本と出会ったとき、
私よりも一つしか違わないその少年の記した、
詩の感性に驚いた。

その本との出会いは、
私の中の自我との出会いでもあったのだと思う。
それから、私は自分の中に感性の扉を
手探りで切り開いていった。

 ビートルズもむなしい
 ローリングストーンズもはかない

わずか12歳の少年にそう感じさせる、
その心には何があったのだろう。

言葉に興味を持ち始めると、
いろんな言葉が目に留まるようになった。
私はそれをノートに書き出すようになった。
そのノートが今手元にないのが残念。
でも私の記憶にはイメージとして残っている。

たとえば、落合恵子の『スプーン一杯の幸せ』
彼女は、私生児に生まれていながら、
そのことを不幸だとは少しも感じていなかった。
不幸だと決めているのは世間の思考。
私はその頃、“大人になりたくない”と思っていたけれども、
彼女のように柔軟な心を持ったまま、
大人になれるのあれば、彼女のような大人になりたい、
と思った。
それは、今も変わっていない。

私の読書歴 その4 私に一番影響を与えた言葉

2006-04-10 21:35:19 | 読書歴
図書館はわくわくする場所だった。
本の背表紙を眺めているだけで、
楽しい気分になれたものだった。
そして、子どもの頃、どうしても気になる本があった。
ぶあつい聖書の本である。
何度か手にとって、中身を開いてみた。
でもその頃、それを借りて読むということは
なかった。
最初に、イエスの系図がずーっと書かれているのを
見ただけで、すぐに閉じてしまったように思う。

その後、思い出したかのように家にあった新約聖書を
手にとって少しずつ読むようになった。
中学に入った頃だと思う。
わからないことは、飛ばして、
イエスの言葉を拾い読みするようになった。
そして、私の中ではこのような
思考が展開されていた。
神がいるのかどうかは、わからない。
でもこのイエスという人の考え方には、
心が惹かれるものがある・・・
その頃に今のような精神世界という分野の本は
なかったから、
人を愛するということについて
ここまでもこまやかに表現されたものはないと、
私は感じていた。
私に一番影響を言葉。
それが聖書に記述されたイエスの言葉だった。

私の読書歴 その3 “子どもの目”は、見て学んでいる

2006-04-09 10:09:33 | 読書歴
夢見る夢子ちゃんの子ども時代にありながら、
その反面、私はしたたかな子ども時代を過ごしていた。
学校へは集団登校で通ったのだけど、
今も昔も変わりなく、その集団をしきる、
6年の女の子がいた。
いわゆる、いじめっ子という存在だった。
まだ小学生になりたてなのに、
私は、なぜかそのいじめの標的が、ある期間を経て
うつっているのを見抜いていた。
だから、その標的が、自分に向けられたときも、
これはしばしの辛抱だから、と耐えていた。
“子どもの目”は、見て学んでいる・・・
私の中に小学生の時の言葉が、ずーっと残っている。
たとえば、妹と幼稚園の日曜学校に通いながら、
神については、何も学べなかったのだけど、
その幼稚園に飾られた看板の言葉は、
心に刻み込まれている。
「重荷を背負うている人よ、ここに来なさい。
私が休ませてあげよう。」
それから、祖父がお土産でくれたタテに書かれた
徳川家康の家訓・・・
“人の一生は重荷を負って遠き道を行くがごとし”
という言葉もまた、私自身の中で
おりにふれて、思いおこされていた。
書を読むということは、本だけに留まらない。
言葉が人を育てていくということを
いつの間にか私は知っていた。