あんのおしゃべり

あんの想いを綴っていきます。

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私の読書歴 その11 運命は決まっているのか・・・・

 | 読書歴
“偶然は、必然。
そして、奇跡は偶然の積み重ねから生まれる。”

これは、私が感じた言葉です。
運命が決められているのではありません。
そのような運命を生み出す可能性が高い、と
いうことなのです。

物事のすべてには、原因と結果があるんです。
実は、偶然という事象にも
その法則は働いているんです。
運命が定められているように見えるのは、
運命とは、その人個人によって
築かれている流れではないからです。

たとえば、イエスのお話をしましょう。
彼は、メシアとしての使命をたずさえながら、
この世に生を受けました。
(メシアとしての使命は、決して彼だけに与えられたものでは、
ありませんでした。)
では、十字架にかかる運命は決まっていたでしょうか?
いいえ、十字架にかからない道も本当はあったのです。
イエスが、自分で、十字架にかかることを選択したのではありません。
彼は、十字架の上から、このように思っていました。
別の道はないのでしょうか、
私はこのまま、死んでしまいたくはありません。
生きて、あなたの御旨を成し遂げたいのです、と。

けれども、人々がイエスを十字架にかけるように
せまったのです。
それは、彼ら自身が、洗脳されてしまっていたからです。
イエスが生きていることで自分の地位や権力が
脅かされることを恐れた、一部の人々のよって、
その流れは作られました。
彼らは、イエスを十字架にかけることが
本当に正しいことであったかどうかも考えずに
その場にいたでしょう。
そうでなければ、どうしてイエスが十字架にかけられる必要があるのか、と
疑問に思いながら、なにもいえずにそこにいたでしょう。

ターミネーターの映画のように
違う未来を作ろうと思えば、作ることは可能だったのです。
そして、その、それまでとは違う、未来を作ることこそが、
イエスが本来目指した目的だったのです。
死後の世界が天国と化するために、彼は死んだのではありません。
この生きている世界の流れを変えたかったのです。

古代史に残された歴史の本を紐解けば、
その流れが見えてきます。
人々が科学を結集して、文明を発達させます。
けれども科学の発達とはうらはらに、その科学を扱う心は、
自己中心で、やばんな原始人時代と変わらぬものを
持ち続けるがゆえに、文明は終焉を迎えます。
その繰り返しが、地球の歴史なのです。
その心、こそが問題なのです。
その心が、すべてを作り出す原点なのです。
そして、運命さえも作り出すのです。
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