ANNAN(ふれでぃ・えとう)の気まぐれ日記

シンガーソングライター、そしてQUEENトリビュートバンドQUEENESSのボーカルでもあるANNANの日記

そっくりさん?ってゆうかこれアリ???

2007-11-29 18:00:51 | Weblog
11月25日に開催したKWEENのライブ写真が一部出来てきた。KWEENのオフィシャルブログ(http://blog.goo.ne.jp/kween)で大公開するが、こちらでも少しお見せしようと思う。なかなか格好いいでしょ?(自画自賛)ってか、なんとかしろよ、その腹・・・って感じだね。

ちなみに写真の著作権はS.Terada氏(KWEEN official photographerでもあり、別名「歌うカメラマン」ともいう)に帰属している。無断転載はお断りする。






さて本題

ちっと前、11月3日の産経新聞の記事によると・・・

キャメロン・ディアスが登場した今夏のソフトバンクの携帯電話のテレビCMのバックで流れていた「Xanadu(ザナドゥ)」。ワシが高校で交換留学生だった1980年の夏。アメリカのラジオで頻繁にかかってた曲である。ワシにとっても思い出深く、その頃の自分、友達、仲が良かった異性を含め、いろんなことを思い出す。どこからどう聞いても、オリビア・ニュートン・ジョンの声だし、「わー懐かしい!」と思ってたのだけど・・・

実はこれ、歌っていたのは当人ではなくて、歌マネのそっくりさんなんだって。知ってたかな?

これ以外にもサントリーのチューハイ「アワーズ」のテレビCMで使われたバグルスの「Video Killed The Radio Star(ラジオ・スターの悲劇)」とか、日産のミニバン「エルグランド」の「Gold Finger(ゴールドフィンガー)」、森永製菓の「ウイダー in ゼリー」で使われたナックの「My Sharona(マイ・シャローナ)」は、全部“そっくりさんバージョン”なんだってさ!

いやあビックリだね。

そもそも、権利所有者がテレビCMでの楽曲(正確には原曲の「録音物」)の使用を認めないため、困り果てた制作側が編み出した苦肉の策らしい。確かにその「楽曲」をリメイクして使うことは、著作権料を正しく支払えば問題とはいえない。問題は「どう聞いても本物と区別がつかず、カバーであることを明確にしていないこと」である。

その記事には:
『「ものまね文化に寛容ではない欧米に知れ渡ったら、権利所有者から訴えられる恐れがある」と警告する音楽業界関係者も多い。』
とも書いてあった。

しかしこれは、見識が浅い、あるいは誤解を招く表現と言わざるを得ない。まあ、字数の問題とかで、ある程度割愛して識者の見解を文章にしちゃったのだろう。「本物を装った偽者」と特定して言っているのであれば正しいのだが。しかし欧米はある意味コピー文化に寛容でさえある。イギリス版ぴあともいえるTime Outなんて、トリビュートモノのライブ情報があちこちにある。ラスベガスのそっくりさんショーにしても同じ。

唯一違うのは、トリビュートバンドとかモノマネショーは、あくまでも「偽者」であることを明確にしている点。お客さんもそれを認識した上で楽しんでいるわけだし、著作権料を正しく支払い、かつ本家を悪意を持って揶揄するものでなければ、まず問題視されることはない。本物の領域を侵しているわけではないし、そもそもリスペクトの元に行われている行為という解釈。そういう意味で言えば、上記CMのように「どう聞いても本物」なのに実は「偽者」ってのは、そりゃ問題あるだろうなと思うわけだ。

オリジナル音源の使用料などが高額であること。それが理由であることは、まあ理由として理解はできる。記事によると、ビートルズやボブ・ディラン級の大物の楽曲をゴールデンタイムの全国ネットのテレビ番組のCMで使う場合には、楽曲を動画に合わせる権利の使用料(シンクロ・フィー)や、原盤・著作権使用料、テレビ局などに支払う放送使用料などで総額約3000万円になることもあるらしい。

しかし、トリビュートバンドのボーカルであるという自分の立場もわきまえた上ではっきり言えば、偽者であることを隠してそっくりさんでオリジナルと区別がつかない状態で楽曲を作り、それをCMで使うというのは、やはり「品性」や「道義」に欠ける行為。ある意味詐欺に近い行為と言わざるを得まい。

いくらお金がかかってもオリジナルを使うか、あるいはカバーであることを明確にすべきであろう。何度も言うが、カバー自体は(きちんと著作権料を払い、本家の意図を毀損するものでない限りは)発表された著作物の公演であり、問題視される要素は特にない。CMで使われていた、ケイコ・リーや倖田來未のWe Will Rock Youなどは、好き嫌いは別として「問題ない」カバーと言うことができる。

ユーモアもなければ、リメイクでオリジナルの価値を違った側面から昇華させるという創造的価値もない。あるのは「本物」と寸分違わぬ「偽者」。そしてそれがあたかも「本物」のように使われていて、視聴者・リスナーはそれに気がつかない。そのこと自体、なんか悲しいな~と思うワシであった。
Comments (2)
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