12月26日になってます。
僕は毎年この時期に東京に来ると、朝から同じコースをたどってから帰ります。
新宿で軽く朝食を採った後、僕は一路、お茶の水駅を目指します。
御茶ノ水駅に降り立った僕はまず神田駿河台にそびえ立つニコライ堂を目指しますよ。
東京復活大聖堂って言うんですね。
日本ハリストス正教会って書いてありますが、ロシア経由のギリシャ正教会のことですね。
この教会がここに建った経緯はよく知らないんですが「司馬遼太郎 神田界隈」に出ている話があります。
山本琢磨(やまもとたくま)(1835年~1913年)と言う人のことなんですが、坂本龍馬の縁者なんですね。
山本琢磨は土佐藩白札郷士(土佐は山内家の直臣を上士、旧領主長宗我部氏の家臣を郷士と読んで身分を作りました。白札は郷士と上士の中間層です)山本代七の長男として生まれました。山本家は龍馬の父 八平の実家で、龍馬と琢磨は再従兄弟の関係にあたります。安政年間に江戸の桃井春蔵の鏡新明智流士学館にて剣術を学びました。龍馬は千葉道場ですね。桃井は位で押すのを信条としてましたね。業は千葉、力は斉藤と呼ばれて時代です。安政四年、酒に酔ったあげく商人から時計を収奪するという事件をおこしたが、龍馬と武市半平太の計らいによって藩を脱走しました。この辺の次第は小山ゆう「おーい!龍馬」に詳しいですね。その後、彼は前島密と知りあい、箱館神明社の宮司沢辺悌之助の婿養子となりました。函館にも行ったと言います。慶応元年、ギリシャ正教会の神父ニコライを殺害しようとして訪ねたところ逆に説き伏せられ、深くギリシャ正教を信仰するになったそうです。。
明治元年、日本初のギリシャ正教徒として洗礼をうけ「パウエル」の洗礼名を授かり以後、ニコライを助けて伝道につとめました。一時、禁教化の地で布教をおこない入獄することもあったが屈せず、全国を精力的にまわり、日本人として初めて司祭へとのぼりました。明治十七年、東京神田へニコライ聖堂を建設するにあたり、種々の尽力をしたそうです。 最終的には大司教になったようです。
なんか数奇な運命ですね。
でも土佐出身の郷士の人々がほとんど幕末の時期に非命に倒れたのに対して、寿命を全うし、キリスト教の布教に尽力した人生は違った意味で重きを感じて良いのではないかと思ったりします。
写真を見て頂くと分かると思いますが、キリスト教の教会ですからクリスマスを祝うんですね。
イイストハリストスなんて言われると僕達にはなじみがないんですが、確かにやってます。
僕は以前偶然この25日の午前10時ぐらいにここを通りかかったことがあって、若い神父さん達が、中を覗いた人々を誘っている風景に出くわしました。
教会ですから祈るつもりの人は誰でもが中に入ることが出来るのです。
ホントですよ。
ろうそくを買って中に入るんですが、何か雰囲気に押されて入信してしまいそうな勢いなのでやめにしました。
その後、凄く後悔しています。
ギリシャ正教:東方正教会、ニコライ堂についての Q&Aを見て頂ければ分かると思います。
ただ、ゴスペルもお説教もなく、ひたすら荘厳にお祈りして、2時間を過ごす覚悟がある方はどうぞ、といったところでしょうか。
でも、一生に一度くらいは本気で神に抱かれるクリスマスってのも良いかもしれませんね。
エイメン!
僕は毎年この時期に東京に来ると、朝から同じコースをたどってから帰ります。
新宿で軽く朝食を採った後、僕は一路、お茶の水駅を目指します。
御茶ノ水駅に降り立った僕はまず神田駿河台にそびえ立つニコライ堂を目指しますよ。
東京復活大聖堂って言うんですね。
日本ハリストス正教会って書いてありますが、ロシア経由のギリシャ正教会のことですね。
この教会がここに建った経緯はよく知らないんですが「司馬遼太郎 神田界隈」に出ている話があります。
山本琢磨(やまもとたくま)(1835年~1913年)と言う人のことなんですが、坂本龍馬の縁者なんですね。
山本琢磨は土佐藩白札郷士(土佐は山内家の直臣を上士、旧領主長宗我部氏の家臣を郷士と読んで身分を作りました。白札は郷士と上士の中間層です)山本代七の長男として生まれました。山本家は龍馬の父 八平の実家で、龍馬と琢磨は再従兄弟の関係にあたります。安政年間に江戸の桃井春蔵の鏡新明智流士学館にて剣術を学びました。龍馬は千葉道場ですね。桃井は位で押すのを信条としてましたね。業は千葉、力は斉藤と呼ばれて時代です。安政四年、酒に酔ったあげく商人から時計を収奪するという事件をおこしたが、龍馬と武市半平太の計らいによって藩を脱走しました。この辺の次第は小山ゆう「おーい!龍馬」に詳しいですね。その後、彼は前島密と知りあい、箱館神明社の宮司沢辺悌之助の婿養子となりました。函館にも行ったと言います。慶応元年、ギリシャ正教会の神父ニコライを殺害しようとして訪ねたところ逆に説き伏せられ、深くギリシャ正教を信仰するになったそうです。。
明治元年、日本初のギリシャ正教徒として洗礼をうけ「パウエル」の洗礼名を授かり以後、ニコライを助けて伝道につとめました。一時、禁教化の地で布教をおこない入獄することもあったが屈せず、全国を精力的にまわり、日本人として初めて司祭へとのぼりました。明治十七年、東京神田へニコライ聖堂を建設するにあたり、種々の尽力をしたそうです。 最終的には大司教になったようです。
なんか数奇な運命ですね。
でも土佐出身の郷士の人々がほとんど幕末の時期に非命に倒れたのに対して、寿命を全うし、キリスト教の布教に尽力した人生は違った意味で重きを感じて良いのではないかと思ったりします。
写真を見て頂くと分かると思いますが、キリスト教の教会ですからクリスマスを祝うんですね。
イイストハリストスなんて言われると僕達にはなじみがないんですが、確かにやってます。
僕は以前偶然この25日の午前10時ぐらいにここを通りかかったことがあって、若い神父さん達が、中を覗いた人々を誘っている風景に出くわしました。
教会ですから祈るつもりの人は誰でもが中に入ることが出来るのです。
ホントですよ。
ろうそくを買って中に入るんですが、何か雰囲気に押されて入信してしまいそうな勢いなのでやめにしました。
その後、凄く後悔しています。
ギリシャ正教:東方正教会、ニコライ堂についての Q&Aを見て頂ければ分かると思います。
ただ、ゴスペルもお説教もなく、ひたすら荘厳にお祈りして、2時間を過ごす覚悟がある方はどうぞ、といったところでしょうか。
でも、一生に一度くらいは本気で神に抱かれるクリスマスってのも良いかもしれませんね。
エイメン!
僕は大学が仏教系でキャンパス内を黄色い袈裟着て、額に点々がある留学生が歩いてましたから、結構そちら系は憧れてました。
額に点々ってちょっとうけました。でも本格的ですね。見てみたかったなー。