「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

僕らの老い方   コブクロ シングルスベスト  

2006年11月01日 23時16分29秒 | 文化論
ALL SINGLES BEST (初回限定盤)(DVD付)
コブクロ
ワーナーミュージック・ジャパン

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 ご無沙汰しております。みなさんお元気でしょうか。



 この間、近所のレストラン「さわやか」にハンバーグを食べにいった。うちの娘さんはここのハンバーグが異様に食べたくなるときがあるらしい。

 で、待ってる間に、多分有線で流れていたのがコブクロの「さくら」だった。僕が「これってコブクロの曲でしょ良いねえ」って言うとすかさず娘さんが「これって『ナースあおい』で流れていた曲だよ。私もこの曲好きだよ」と返してきた。僕はカミさんに話していたつもりだったので、娘さんが応答したのに少し驚き、尚かつ曲説明の確かさと僕の好悪に共感されたことにかなり驚いたのである。
 僕らが小学校5年生の時、当時僕らが聞いていた曲と大人が聞いていた曲は全くの別世界のものであり交わることはあり得なかった。そして殆ど交わることなく僕らは大人になった気がする。だから僕が娘と同じ曲を好きになったことに対してある種の新鮮さを伴った感慨があったりする。
 だいたい僕らの親たちは子供らと音楽について話そうなどとしただろうか。なんでこんな風に自分の子供と話が出来てしまうのだろうと思う。
 娘が音楽感性が早熟なのだろうか。それとも僕らが大人になりきれていないからなのだろうか。

 そしてそれはどちらも違うのではないかという思いもある。

 僕の家から5キロぐらいのところにヤマハリゾート施設「つま恋」がある。ご存じの通り先日そこで吉田拓郎とかぐや姫がコンサートやっていた。前回のコンサートの時僕は中学2年生だった。ギターを弾き始めた僕にとってかぐや姫は既に解散はしたけどもの凄い影響力を持った人達だった。そして拓郎が東京は大坂といった手の届かない場所でなく、なんなら自転車で行ってしまおうかという距離の場所で12時間という前代未聞のコンサートを決行しようとしていたのだから、僕らは血湧き肉躍ってしまったのも無理はない。
 結局、風紀上の問題で静岡県教育委員会は県内の中学生、高校生の参加を認めずチケットは払い戻しされたのである。

 それから30年以上の月日が流れて3万5千人以上の人を集めてコンサートが行われたけど僕は今度も行けなかった。

 遠くで花火が上がるのを歓声とともに聞いたような錯覚を起こしただけで通り過ぎていった。

 でも今度のこのイベントで分かったことが一つだけある。

 それは僕らは僕らのままでじじいになっていくんだなということで、僕らは60になってもウルトラマンに郷愁を覚え、70になっても仮面ライダーカードに心をときめかせ、80になってもワムのクリスマスソングで彼女を思い出すんだろうなと思う。
 
 若い頃年上の人達は圧倒的に大人だった。たばこを吸い、麻雀をして演歌をがなり声で唄い、ステテコとラクダのシャツを着て風呂上がりにビールを飲み日本酒とウイスキーを愛した人達が大人だった。

 いつかああなる。ああいうのものに良さを感じるようになっていくんだなと思っていた。

 でも実際のところは結婚しても子供が出来ても僕らはまだマンガを見るし、スーパーマリオにも興じたりする。感性はというより精神構造は20を過ぎた頃から全く停滞したままの状態かもしれない。そういう錯覚さえも覚えるのである。

 未熟なんだろうな、脇が甘いものなと思うときもあった。でもあのコンサートの様子をテレビで見たりすると何年経とうが当時と変わらない人達がいて、それが3万五千人集まってるし、NHKの特集番組の視聴率なんかを考えても、僕みたいな大人が随分といるんだなと思わざるを得ない。

 だから僕が娘と音楽で共感しちゃうのも全然「有り」な訳でそれだけ音楽的に恵まれた時代なのかもしれないし、また音楽業界からすれば危機的状態なのかもしれないと思ったりする。


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