「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

東京紀行8 神田明神2 銭形平次の肖像

2006年01月07日 01時01分41秒 | 紀行
 うわあぁ~こりゃあやばい~銭形のとっつぁんだあ~ってルパンが逃げていくラストシーンが有名なのは「ルパン三世 カリオストロの城」ですね。
 インターポールの銭形警部は神田明神下で活躍した銭形平次の子孫と言うことになっています。

 とにかく銭形っていう音は響きが良くて一種の愛嬌を持って親しまれていますね。

 元は大衆小説であって実在の人物ではございません。



 でも神田明神境内にお墓がありますね。

 銭形平次は1931年発行の『文藝春秋オール読物号』創刊号に銭形平次を主人公にした「金色の処女」が掲載され、これが『銭形平次捕物控』の第1作目となった。これ以降、第二次大戦を挟んで1957年までの26年間、長編・短編あわせて383編が発表された。

作者の野村胡堂は、文藝春秋から、「岡本綺堂の半七捕物帳のようなものを」と依頼され、構想を練った。そのとき、たまたま建設現場で見かけた銭高組の看板と社章から「銭形」の名前と投げ銭を思いついたという。また、『水滸伝』で登場人物のひとりである没羽箭張清が投石を得意にしていたというエピソードも、投げ銭のヒントとなった(出典: 株式会社 銭高組「『銭形平次』誕生秘話」)。


 テレビ時代劇では、1958年に若山富三郎、1962年に安井昌二、1966年から1984年に大川橋蔵(フジテレビ系列)、1987年に風間杜夫(日本テレビ系列)、1991年から1998年に北大路欣也(フジテレビ系列)、2004年以降に村上弘明(テレビ朝日系列)が平次役を演じている。とくに、大川橋蔵主演のシリーズは高い人気を誇り、18年888回放送された。2005年9月からは、時代劇専門チャンネルで再放送されている。

 映画もテレビも何度も制作されているものなんですね。

 全てを合計すれば水戸黄門に続く長寿番組と言えるのではないでしょうか。

 で、伝七捕物帖の伝七にしても人形佐吉捕物帖の佐吉にしても岡っ引きといわれる人達ですけど、この人達って武士じゃないんですね。

 民間の警察の役目を負ってる人と言えば聞こえは良いけれど、専門職でもないんですね。

 江戸の街を公式に守っているのは南北両奉行所にいる同心達です。100万都市でEDOで、それぞれ100人ずつ、それに岡っ引きが400人で、その手下の下引きが不特定にいたらしく、だいたい1000人ぐらいでEDOの治安を守っていたらしいんです。

 で、武士でもない民間人がどういう風に岡っ引きになったかというと、どうも罪人らしいんですね。

 幕末近くになると、天領というところで、代官の政治的権力が弱まり、土地の支配を、街の顔役いわゆるヤクザに任せて十手を預けたともいいますが、最初のからそうだったわけではないようです。

 銭形平次のドラマを見るとかなりしっかりした家があって、長火鉢にすわっている姿が浮かびますね。
 町火消しの親方か、やくざの親分みたいな感じなのですが、彼等の収入は同士達の小遣いで賄われているわけですから、たいしたことないはずなんです。
 
 当時の同心の年収は30俵1人扶持です。

で、単位は

 1斗の4倍 1俵 =60kg
        ↓
1斗の10倍 1石 =約150kg
=180.39リットル

となってますから、年収は1800㎏=1.8トン

 高級米が今だいたい、10㎏で7,000円ですから年収126万円ということになります。

 白米の価値観が今と全然違いますから、一概に比較できませんがそれにしても少ないですね。

 その中から岡っ引きに渡しているのですから、とても一家を養えるようなものではありません。
 ですから岡っ引きも下引きも副業だと言われています。

 「岡っ引き」の「岡」という字は、「岡っ引き」の「岡」とは“外からひっぱる”の意で、正当でないものを言います。すなわち、「岡っ引き」とは、正当でない者が犯人を引っぱることを意味したんですね。最初は目明かしと読んでいたんですが、そういった人達が職権を濫用して「ちょっと来い!」とかいって小さな犯罪を賄賂をもらって目をつぶるようになったり、自分の犯罪を他人に押しつけたりするものだから、何度も禁止令が出たそうです。
 で、そうすると同心の方は自分で捜査しなくちゃならないから面倒くさくなって結局元の木阿弥になってしまうという状態になっていたようです。
 「岡っ引き」という名称も名前を変えただけの「目明かし」なんですね、結局。

 だからホントに非公式な立場なんです。

 十手も同心の持つ房のついた奴ではなくて、しかも事件があると奉行所に取りに行かなくちゃ行けない。
 で、武器ですからいざというときに出すもので、いつもは懐に隠していたようです。

 だから銭形平次が銭を投げて犯罪者を追い詰めるなんてことはできっこないんですね。

 この「銭形」という名前は作者の野村胡堂という人が、文藝春秋から、「岡本綺堂の半七捕物帳のようなものを」と依頼され、構想を練ったとき、たまたま建設現場で見かけた銭高組の看板と社章から「銭形」の名前と投げ銭を思いついたといわれてます。また、『水滸伝』で登場人物のひとりである没羽箭張清が投石を得意にしていたというエピソードも、投げ銭のヒントとなったようです。

 銭形平次の息の長さの秘密っていったい何なんでしょうね。