「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

BLOG上の人格 おしゃれに関する一考察

2005年03月22日 15時00分48秒 | BLOG論
 ブログとHPの違いは、その気軽さにある。
 で、何が気軽かって言うとテンプレートというものがあって、それを選べばいいだけって言うのが一番ありがたい。
 でね、ブログを1ヶ月以上続けている方に聞きますが、「今のテンプレートに満足してますか?」ってことです。
 と言ってもブログ始めてから今まで一度もテンプレートを変えたことないなんて人いないんじゃないかなって気がしますけどね。
 聞いてみようかな。
 「ブログ立ち上げて以来、僕は(私は)一度もテンプレートを変えていません!」て言う人はその場で手を挙げてください!

 今、パソコンの前で手を挙げた人は「いい人」です。

 などと言ってる場合ではありません。

 結局自分の場合を言うしかないんだけれども、僕も今のテンプレートには満足してなくて、今までに何度か変えました。

 それから以前に瀬川さんのブログに書いた事なんだけど、縦書きのテンプレートが欲しくてたまらないのです。
 実現したらこの上なく読みにくいんじゃないかという恐れは多分にあるけれどとにかく一度やってみたい。

 gooのブログもカスタマイズ(自分なりの型にすること)することができるので「チャレンジしたらいいのでは?」と軽く突っ込まれそうであるが、日ごろの自由時間やパソコンの言語めいたものに踏み込むにはとても勇気がいるのです。
 これは僕がおじさんだからと言う理由でなくて僕個人のO型的おおざっぱ性格爆発の自分だからって事にしておきたいところです。

 でも一応誰かがブログで書いてる事をガイドブックにして、無料のアクセスカウンターは付けました。
アクセス解析装置はどうやら動きそうにありません。(gooのは動きます)。

 かといって外せません(泣)

 無惨なや ブログの 隅の 解析装置

 などど字余りの句を詠んでる場合でもない。


 ここから文体が変わります。

 自分のブログをオシャレにしたいっていう願望は誰しもが持っていいと思う。

 それは自分の服を着替えるように、または季節によって衣替えをするように、気分一新であらたな一歩を踏み出すためにテンプレートを変えても良い。

 テンプレートを変えずにアクセスカウンターを始めとするブログペットや月の満ち欠けを表示したりして着飾るのは女性がピアスやネックレスを身につけるのと同じ感覚かな。

 男性側から言わせれば雑誌に付いてる付録を見逃すはずはなく、とりあえず何でも作ってやろうってことで、そういう好奇心で取り組んだとしても一向に構わないわけです。

 ここに良く来てくれるドッペルさんは果敢にも?ブログの装飾にチャレンジなさっておられる。
 中年という括り自体は何とも言い難いが、学校教育でパソコンに触れることのなかった世代にとってブログのプログラムに関わる事は好奇心と同等に恐怖心もあったはずで、それを乗り越えたのはご当人に「おしゃれ心」もしくは「遊び心」が潜在的にあった筈である。

 僕みたいにオシャレに全く無縁の人間はブログにも全く頓着なく「見やすきゃいいや」とばかりに文字が大きくてはっきりすることを第1目的に選んでいる。

 ブロガーの人格の一端はこんなところにも出ているのかな?と

ドッペルさんのブログを見ていて思うのでした。

三島市での結婚式

2005年03月22日 00時20分09秒 | 紀行
 今日結婚式に行ってきました。行ってビックリしたのは僕の席が最前列になっていたこと。そこは主賓の席でしょ、っていうところに僕の名前があった。
 見ると役職名が名前の前に付いているのは新婦側で僕だけ。新郎側も主賓の挨拶した人と乾杯の音頭をとった二人だけ。
 役職といっても僕は主任でしかない。新郎側も課長クラスの人だけ。いわゆる直属の上司ってやつで、ここからも二人の結婚式のあり方の一端が伺える。
 
 披露宴(結婚記念パーティといってた)は実に上品に進みましたよ。僕のスピーチが一番下品だったかな?でも喜んでもらえました。
 出し物もカラオケとか友人が脱ぐとか、そういうのは全然なくて(いままで何してきたかばれるね)トロンボーンの独奏とか、新婦のピアノ演奏とか弟との連弾だとか実に品がよろしい。

 違うね学習院は!ってな感じでしたよ。

 二人とも両親に本当に大事に豊かに育てられてきた感じがしみじみと伝わってました。

 会場で一番やんちゃしてたのは多分僕らで、新婦のお色直しの間にウチの女性陣を新婦の席に座らせて写真撮影したり、二人のいない隙にみんなでケーキの入刀をしちゃったりかなり面白かった。
 兄弟の連弾の後にはスタンディングオベーションを敢行するぞ指示を出して、演奏終了直後にウチらのテーブルは一斉に立ち上がって「ブラボー」とやったが周りは完全に退いていた。

 まずったか?

 まあいいや、

 何と言ってもすごかったのはチャペルでやった結婚式。

 これは三島という町からいわないと理解してもらえないかも知れない。

 三島は富士山の南に位置する愛鷹山の裾野が海に落ち込む緩やかな斜面に出来た街です。JR東海道線や新幹線の駅の北側には「東レ」が工場を展開し、その東側には日本大学三島校舎が展開してます。駅北はそれでおしまい。他には大した建物はない。
 駅南は風景を全く別にしています。

 駅南には歩いて2分の距離に「楽寿園」という森を中心とした公園が展開し、少し歩けば年末年始に50万人以上の参拝客がある「三島大社」に行くことができます。

 作家太宰治はこの町が好きで何度か訪れたことがあるようです。彼が惹かれたのもこの町の至る所にある水路に流れる富士山からの伏流水だ考えられます。
 街全体が緩やかなな坂で出来ている街を流れる水ですから単なる水路の水ではなくどこか山渓の流れを思わせるものがあります。
 
 街の表情は昭和50年代と言えば伝わる人は伝わると思います。昭和のまだ高度経済成長期の活気を街全体に押し込めた印象を持つのは僕だけでしょうか。
 列島改造論に端を発し、全国の都市が土建屋という人たちに振り向けられた公共授業予算はバブル期を経て、沈静化して今に至っている。

 どの駅でも振り返れば、どの街も均質化し、大型チェーン店ばかりが駅前を占領して自分がどこのにいるのか一瞬では判断が付かないくらいになっている。

 だがこの三島は頑固なまでに街のたたずまいを変えず、狭い道路、入り組む一方通行が大威張りで住み込むことができる。

 開発が全くされてない様子が伺える。

 他の街は都市計画だの景観保護などと構えちゃいるが要するに道路を拡げて交通の便を良くすれば人は集まると考えてた時期があったが三島はそれをしなかった。
バブルにゃ載らないよっていう心意気が気持ちいいね。



  えらい!

 おかげで僕は「ほるもん」とか「やきとり」としてしか書いてない所いくつか見つけました。うれしかったです。

 いわゆる都市整備計画ってものがありませんから狭い道路と路地が入り組み、色々なところに走る水路には清流が音を立てて流れている。
 
 チャペルはそんな街の住宅街にあって道路からチャペルに至る道は両側が背の高い生け垣で仕切られてすぐ隣にある日常生活と隔絶された環境を作り出している。
 でもすぐ隣に伊豆箱根鉄道駿豆線が走っていて電車通過の音が鳴り響き、その前後には踏切の音が響いてチャペルの鐘の音と混ざって複雑な音を醸し出します。
 
 

 三島は箱根越え後に最初に宿を取るところです。

 また伊豆方面、裾野、御殿場方面への分かれ道にもなっております。

 交通の要衝として他国の人間が通過する街です。

 普通宿場町っていうのはそれなりに商売っけの強い人情になるけどもこの町は三島大社を控えていて、富士の水が人の心を洗うのか人情が良い。

静岡県の西部に住む人間にとっては東部の人たちの気質はホントに同県人かと思うほどに違いを感じるところであるけどね。
 
 それはまた別の機会に…。

 それはともかく、僕らは極めて日常的な街の一角で、まるでそこだけ切り取られた異空間みたいなチャペルで結婚式に参加した。
 でも結婚式自体がそういうもので日常の数時間を切り取って新郎新婦と祝意を持った人たちが作り出す異空間であって、場所がどうとか建物がどうとか食べ物がどうとかは気持ちを補助する添え物みたいなもので
 そこに参加する人たちの心の姿勢がどうであるかが別の世界を作り出す要素だと改めて思った一日でした。