「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

国士舘大学的悪循環

2004年12月07日 22時39分30秒 | 妄想
 国士舘大学の職員は大変だ。今、全国の国士舘大学を受験しそうな高校にお詫び行脚に飛び回っている。「今後一切この様なことの無いように…」と言っているらしいが、5年前にも剣道部の不祥事があったから、なかなか苦しいところだろう。「大学生のすることに責任なんて持てません。」とは言えないモンなぁ。亜細亜大学でも野球部が痴漢を働いたと、もっぱらの評判!ネット上の大学の掲示板では、廃部コールの嵐の状態。ちょっとでも身内になると、とことんかばうのに自分と関わりの無い他人様は、徹底的になぶり倒して、日頃の溜飲を下げようとするのは今も昔も日本人の悪い癖。書き込みしながらにやにやしている姿が、いじめっ子の顔になってるよ。正義っていう世間を手に入れると、どうしてこうも強気になれるのかね?もっともNHKほど実益があがらないから、すぐに冷めるだろうけどね。
 国士舘大学のサッカー部は幽霊部員をあわせて250名の登録があるそうだ。今回の逮捕者のうち登録が確認されたのは5名。後はどこの誰だか分からないそうだ。いいかげんだなあ。国士舘のサッカー部はJFLに所属し天皇杯にJ1リーグと戦えるほどの実力の持ち主。評価はちょっと格上って感じかな。大学の中じゃ異色だよね。どこに狙いがあったのか定かじゃないが、大学の名前を売るには適切な経営行為だと思う。亜細亜の野球部同様、大学の名を揚げてくれるクラブでの不祥事。今後このようなことが…と祈るだけなのはコメンテーター止まり、今後も繰り返されること間違いなし。大学は名を揚げるために、カリスマ的監督を招聘する。カリスマ監督とは、つまり人集めに有能な人のことで、実績をあげる唯一の道は、実績のある選手を集めることに他ならない。実績が上がれば選手も自然と集まる。集め方は競技成績優先、学業成績、人格に目をつぶってでも集めているのは周知の通り。しかし僕は思う。どんなにカリスマな監督でも、100名を越える選手を抱えてはいけないのではないだろうか?ベンチ入り枠、登録選手枠の人数にもよるがトップチームの下に3つカテゴリーがあったら選手は腐ると思う。希望が無いもの、そんな所に居たって。優秀なスタッフを揃えればと言うかも知れないけれど、限界がある。結果は不祥事のもみ消しに奔走し、挙げ句の果ては、マスコミの格好の餌食になる。今大学で、一番欲しいのは箱根駅伝の切符、次点は何だろう?ラグビー、野球、サッカーかな?柔道でもいいかも。とにかく大学にメジャーを持ってくるのは諸刃の刃になっているのが実情なんじゃなかろうか。国士舘大学に言えることは、メジャーの悪循環にはまらずに、地道に学生を作りましょうっていうこと。しばらくはじり貧かも知れないけど都内にキャンパスを構えてバブル期に土地売って郊外に逃げなかった大学でしょ。生徒は必ず集まるって!長期不況は交通費の感覚と地元感覚を取り戻させ、都内もしくは近郊の学生に支持される大学作りしたら生き残れますって、何で僕は応援してるんだ?関係者でもないのに。