「正月という気分」を取り戻したい。ましてや2000年代(21世紀)の10年目に入ったというのに、気分は「昭和」のままである(笑)。
かって「正月」は非日常だったような気がする。年が新たにされただけでなく、心身共に生まれ変わるそんな「気分」があったような気がする。
神道では、大晦日から準備した禊(みそぎ)を年が明けるとともに決行したものだ。また、新年最初に汲んだ水を神棚に捧げた。新年最初の水は「若水」であり、すべてのものを若返らせてくれる。生まれ変わるのだ。
そんな緊張感を失って久しい。今日の正月一般参賀の今上天皇のことばも紋切り型の毎年繰り返す挨拶で、せめて貧困にあえぐ人々への思いやりの言葉くらい付け加えればよかったのにと思う。
もし、いまももちろん続けられていると思うが、元旦四方拝の宮中祭祀を元旦の午前4時くらいに行われていたのなら今上天皇は日本では史上初の元旦の部分月食をご覧あそばしたはずである。そのことに言及なさったなら、平成22年という年の初めがなんらかの意味をもったものとうけとられる可能性があったはずなのにと、老婆心ながら考えてしまった。
「正月」という気分を失って久しい。それはともかく「日本人」だという確認作業も失ったことに等しいのかもしれない。また、けふ(今日)もどこまでも日常なのである。
かって「正月」は非日常だったような気がする。年が新たにされただけでなく、心身共に生まれ変わるそんな「気分」があったような気がする。
神道では、大晦日から準備した禊(みそぎ)を年が明けるとともに決行したものだ。また、新年最初に汲んだ水を神棚に捧げた。新年最初の水は「若水」であり、すべてのものを若返らせてくれる。生まれ変わるのだ。
そんな緊張感を失って久しい。今日の正月一般参賀の今上天皇のことばも紋切り型の毎年繰り返す挨拶で、せめて貧困にあえぐ人々への思いやりの言葉くらい付け加えればよかったのにと思う。
もし、いまももちろん続けられていると思うが、元旦四方拝の宮中祭祀を元旦の午前4時くらいに行われていたのなら今上天皇は日本では史上初の元旦の部分月食をご覧あそばしたはずである。そのことに言及なさったなら、平成22年という年の初めがなんらかの意味をもったものとうけとられる可能性があったはずなのにと、老婆心ながら考えてしまった。
「正月」という気分を失って久しい。それはともかく「日本人」だという確認作業も失ったことに等しいのかもしれない。また、けふ(今日)もどこまでも日常なのである。
久しぶりに川端さんの舞踏も見たいと思ってます。また、なにかからみませう。
小林嵯峨トリビュートとか?
感じたのは、カウントダウン前後の数十秒間だけでしたね。
ともあれ、今年も宜しくお願いします。