水辺の先に東屋(あずまや)があり、その目の前が「トトロの森1号地」だった。そのことを表示する看板(写真2)の脇に階段が作られており、森の中へ誘導される。ここはうっそうとした佇まいで森(Forest)と呼んで差し支えないだろう。土盛りを木でとめただけの階段を登ってゆくとそこは谷地の片側の稜線で、そのまま森の中を進んでゆくと林の先に、小高い丘の中腹につくられた堀口天満天神社の鳥居が見えて来た。そのまま小手指の方へ歩けば、藤森稲荷神社ともうひとつの天神様である北野天神があるはずなのだが(2年ほど前の年越しに、そこで成瀬氏の舞踏とともにボクも即席の詩を叫んだ)今回はそこまで足を伸ばすのはあきらめた。
真下に茶畑を臨む絶景の丘の中腹にあるこの天満天神社は、となりの火消し稲荷神社とともに昭和4年(1929年)山口貯水池(狭山湖)がつくられるにともなってこの地に移築されたものらしいことが、石碑で読める。水の底に沈む運命から村とともに逃れたらしい。火消し稲荷も面白い命名だが、これは移築後放火にあったが、祠のなかの御神体には火はまわっておらずそれを顕彰して後年つけられた名前らしいことが書いてあった。この正月来浅草から招来したオキツネさまの祀ってあるものとしては参らない訳にはいかない。
奇しくもこうして天神があい並ぶようにこの地に建つことになったのだが、天満天神は菅原道真を祀りこの稀代の昇進コースを突っ走って右大臣までのぼりつめた文章博士の失脚と太宰府への左遷そして客死という運命を呪って都に椿事を起こさぬように鎮魂する神社でもあったはずだ。
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
堀口天満天神社から里へおりてゆく途中、農家の庭先に白梅が咲いていた。春はすぐそこまで来ている。
(おわり)
(写真4)「トトロの森1号地」を抜けてゆくと木漏れ日が木々の間から差して来た。写真に美しいプリズムが出現したように気持ちのいい森だった。
真下に茶畑を臨む絶景の丘の中腹にあるこの天満天神社は、となりの火消し稲荷神社とともに昭和4年(1929年)山口貯水池(狭山湖)がつくられるにともなってこの地に移築されたものらしいことが、石碑で読める。水の底に沈む運命から村とともに逃れたらしい。火消し稲荷も面白い命名だが、これは移築後放火にあったが、祠のなかの御神体には火はまわっておらずそれを顕彰して後年つけられた名前らしいことが書いてあった。この正月来浅草から招来したオキツネさまの祀ってあるものとしては参らない訳にはいかない。
奇しくもこうして天神があい並ぶようにこの地に建つことになったのだが、天満天神は菅原道真を祀りこの稀代の昇進コースを突っ走って右大臣までのぼりつめた文章博士の失脚と太宰府への左遷そして客死という運命を呪って都に椿事を起こさぬように鎮魂する神社でもあったはずだ。
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
堀口天満天神社から里へおりてゆく途中、農家の庭先に白梅が咲いていた。春はすぐそこまで来ている。
(おわり)
(写真4)「トトロの森1号地」を抜けてゆくと木漏れ日が木々の間から差して来た。写真に美しいプリズムが出現したように気持ちのいい森だった。
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