風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

<いのち>の水

2008-07-14 23:57:11 | コラムなこむら返し
Water_1 このたび引退、いや退院いたしました。経過は順調で、予定通り本日抜糸、退院と言うことになりました。
 まだ、傷口はつれ、もののはずみで痛みますので(とりわけ笑った時など(笑))無理はできませんが、御心配をおかけしました。コメントなどでお言葉をお寄せいただいた方々、探し当ててわざわざお見舞いに来てくれたココナツ、入院前にボクの大好きなチーズケーキを差し入れていただいたcureaさんに感謝いたします。

 退院した本日7月14日はフランスの革命記念日、いわゆる「パリ祭」の日です。町中がはなやかなお祭りムードに彩られていたことでしょう。いつもに増してたくさんのワインやシャンパンが傾けられたことでしょう。

 今回、ボクは腸の病気でした。開腹手術とは言っても、傷口はおよそ5センチ程度で軽い手術だったと言っていいでしょう。それでも、半身麻酔は背骨(腰椎)に打たれ、足先まで電撃の走るかのようなショックには驚きました。手術中は音楽が流されていたので、ジャズをリクエストしリラックスして受けることができました。腕の確かだった麻酔医、執刀医に感謝します。全幅の信頼を寄せることができました。

 歩けるようになって、腸を動かすためにも八国山をふくめて近くを散策しておりましたが、おとといの朝、北山公園(ここは6月の菖蒲祭りで有名)の中の蓮池で見つけた小さな水の固まりは、その清らかな透明度からも、いまにも蒸発してなくなってしまいそうなはかなさにおいても、まるでわたしたちやすべての生類がそこに住まうかけがえのないこの惑星の姿そのものに思えてなりませんでした。
 それは、おおきな蓮の葉の真ん中に集められた朝露だったのですが、このところの炎天下の太陽にさらされて(まだ梅雨もあけないと言うのに!)いまにも蒸発して、消え去ってしまいそうでした。
 それでも、風にたなびく蓮の葉につられて移動しながらも、陽にきらめいてその清浄な水のかたまりを確固なものにしていたのです。その小さな水の固まりの中には目には見えない微生物や、微粒子のうごめきや活動があったはずなのです。
 蓮池に突き出た東屋(休憩所)から身を乗り出して、ボクは自分のゆくすえをも感じながらそのはかなげな水の固まりを見つめていたのでした。

 蓮の葉の おもてに集う いのちみず

 清らかな しずくの中に いのちあり

 朝露を あつめていのち 育ちゆく (風月乃じゅん)

(写真)蓮の葉の表面に集められた透明な朝露のかたまり。