風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

パリ100年の展覧会(2)

2008-07-02 23:57:51 | アート・文化
Tour_eiffel また、この100年に写真の技術は革新的な発展をとげた。今回の『パリの100年展』にも、たくさんの写真が展示されたが、その中の1枚に近代映画の父であるリュミエール兄弟の実父が写った1枚がある。「映画の父」の父の写真という、実に象徴的な写真だ。
 そして同じナダールが撮ったジョルジュ・サンドやアレクサンドル・デュマ、エミール・ゾラやボードレールの肖像写真??こののち、肖像画は写真にとって変わられるだろう。

 写真は、パリという都市においていまやそのシンボル的な構造物であるエッフェル塔の建築風景の記録をも残している(デュランデルは公式のカメラマンとして設計技師エッフェルから依頼を受け記録を残している)。1887年1月から基礎工事がはじまったエッフェル塔は、1889年3月の完成まで2年2ケ月の工期を要したが、1890年のパリ万博のモニュメントとして建てられ、当初20年たったら取り壊す予定だったらしい。
 エッフェル塔が生き長らえた理由は、20世紀に入っての「電波の時代」の到来だった。

 そして、写真はその黎明期においてそれまでの絵画作品をなぞるかのようなアングルの風景写真を残している。「観光」という概念が、「万博」という一大イベントにあいまって発展する。そして、「観光写真」というジャンルが異国の風景や、植民地のエキゾチックな風景として「あこがれ」をかりたてる。

 ガブリエル・ロッペが撮影したエッフェル塔に落雷する瞬間の写真は、絵葉書としていまだ一番売れる写真だという。電波塔として生き残った330メートルの「鉄の魔術」は、自然の放電現象において天と結びついたかのような一瞬をとらえている。もはや、このような一瞬を永遠に定着する技術としての写真は、光学技術としても20世紀の魔術となってゆくだろう。

 当時は風刺画だろうが、今日のマンガの父とも言えるドーミエは、入浴の風習のなかったフランス人とりわけパリジャンの水浴風景をその「泳ぐ人」シリーズでたっぷりと描く。19世紀になって公衆衛生の観点から水浴が推賞されるようになり、セーヌ河は芋洗い状態になる。鉄道が発達しブルジョワジーはリゾート地へ出かけるというヴァカンスの風習がうまれる。人間観察の雄でもあったドーミエにかかると、ひとの営みと言うものは涙ぐましい喜劇になってしまう。おつにすましたパリジャンやパリジェンヌさえもが!

(写真)ガブリエル・ロッペ撮影「エッフェル塔の落雷」(1889年ころ)