風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

ディラン・ディラン・ディラン/ボクらの世代のディランのこと(6)

2008-05-29 00:58:13 | アート・文化
Goodbye_dyllan2 関西フォークを語る上で、伝説的な存在となった店の話から始めよう。

 難波元町の国道26号線沿いのしもた屋風のつくりの商店が、「ディラン」という名前で大塚まさじと石井洋子の手によって開店したのは1969年8月だった。その時から、この4坪半の小さなライブ喫茶は「関西フォーク」の発信基地になっていった。
 前年、新森小路教会ではじまっていた「フォークスクール」で大塚まさじ、永井洋、西岡恭蔵が出会う。「ディラン」に日参する日々が続き、70年4月に三人で「ザ・ディラン」が結成される。
 同年5月に天王寺野音にて喫茶「ディラン」主催のライブコンサートが開かれ、これが翌年からの「春一番」につながってゆく(ブランクを経て現在復活している)。
 西岡恭蔵が抜け(しかし、アシストでたびたび入り、つかず離れずの関係だった。西岡もそのソロデビューのアルバム名は『ディランにて』である)、71年4月大塚まさじと永井洋のふたりで「ザ・ディランⅡ(セカンド)」結成。「ザ・ディランⅡ」は74年11月の『グッドバイ・ザ・ディランⅡ』コンサート(中之島中央公会堂)にて解散、以後大塚まさじはソロで歌う。

 年譜風に書けば、こういう推移だろうか?
 「ザ・ディランⅡ」のアルバムを写真で飾り、ずっと周辺の記録を写真で撮り続けて来た糸川耀史の74年刊の写真集『グッドバイ・ザ・ディランⅡ/歌が駆けぬけた!69?74』が、2006年に復刊された。その写真は「時代」を写し取っていて、大阪に住んだ訳ではないボクさえも懐かしい思いをさせる写真である(大阪、京都などはヒッチハイクの寄港先だったが……)。

 僕は今 両足をだきかかえ
 この峠の上にすわってる
 この道を最初に来た君と
 いっしょに旅に出るために 嗚呼
  サーカスにはピエロが
  つきものなのさ
  だっていつもいつも君が
  笑っているとは限らないもの
  サーカスにはピエロが
  つきものなのさ
  だってきのうの思い出に
  別れをつげるんだもの
   (「サーカスにはピエロが」西岡恭蔵:詞・曲)

 50年あまりスリリングな時代を駆け抜けたボブ・ディランは我が国にも大きな影響と軌跡を残していった。それで、結局ディランはなにを言いたかったのか?
 その回答も風に舞うばかりで、ボクにもしかとは分からないが、時代のピエロという存在も失ってしまったボクらはきのうの思い出にも別れをつげることが出来ずにいる。

 ボクらが生き、ディランが駆け抜けた60年代以降という時代??この5月24日に67歳になったばかりのディランとともにふたたび「時代は変わる」のだろうか?

(おわり)

(写真)糸川耀史写真集『グッドバイ・ザ・ディランⅡ/歌が駆けぬけた!69?74』(1974年刊/2006年復刻)ビレッジプレス刊