風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

うつろいゆく季節は哀しい(東京春景色櫻之文章其ノ五)

2005-04-20 01:45:44 | トリビアな日々
nogawa_sakura桜が、葉桜になり(しだれと八重はまだ咲いている)緑陰が増すと、次はツツジの季節になると思っていたら、もう、咲いていた。ま、これは公園の植え込みのものだから手入れもいいのだろうが、だんだん緑濃いさわやかな、一番好きな季節になっていく。
もっとも、これは東京の話で、東北は今頃が花見の真っ盛りであり、桜が満開となる。さらに、GWの5月となるとやっと桜前線は、北海道に上陸するのだ。

結局、桜の時期にふたりの大事な存在を失った事になる。岡田史子さんと、高田渡さん。その喪失の哀しみが、薄れる頃には初夏が来るのだろうか?

無性に、山之口貘の詩を読みたい。昨日、この詩人をディアスポラな詩人と書いたら、もうひとりの故郷喪失者とは、とりもなおさず自分のことであり、そのボクもまがりなりとも詩を書いている。
ああ、季節はうつろってゆく!
哀しいからこそ詩がいるのだと書いた詩人の詩を読みたい!

「生きる先々」
僕には是非とも詩が要るのだ
かなしくなっても詩が要るし
さびしいときなど詩がないと
よけいにさびしくなるばかりだ
僕はいつでも詩が要るのだ
ひもじいときにも詩を書いたし
結婚したかったあのときにも
結婚したいという詩があった
結婚してからもいくつかの結婚に関する詩が出来た
おもえばこれも詩人の生活だ
ぼくの生きる先々には
詩の要るようなことばっかりで
女房までがそこにいて
すっかり詩の味をおぼえたのか
このごろは酸っぱいものなどをこのんでたべたりして
僕にひとつの詩をねだるのだ
子供が出来たらまたひとつ
子供の出来た詩をひとつ
(詩:山之口貘)

※(写真は今期桜の見納めとなった都立武蔵野公園野川沿いの桜。流れは干上っていた。4月16日「はらっぱまつり」花見にて。)
<東京春景色櫻之文章其ノ五>完。