風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

冬至/「闇」と「光」の提案書

2004-12-21 23:14:13 | トリビアな日々
syourekiji冬至。二十四節気の22番目。冬至は「一陽来復(いちようらいふく)」とも言い、陰が極まり、陽が帰るつまり冬が終わり春が来ることを告げる日とされている。一年の中で昼がもっとも短く、この日を境にして日照時間が伸びて行く。太陽高度の低い北欧では「光のうまれる日」として、光の女神・ルチアを称え、祝福して春が近い歓びをわかちあう。

日本では、柚子湯に入ったり、南瓜(カボチャ)の煮物を食べるなどといった風習がある。この日に、柚子湯に入り、南瓜を食べると一年中無病息災、病をよせつけない丈夫な身体になると言い伝えられている(他に小豆粥を食べると言う風習もあるという)。

では、冬至に柚子湯になぜ入るのかと言えば、柚子の実際の優れた薬用もあるが、なんと言ってもそいつはまるで江戸落語のようなオヤジの冗句に通じるものがある。
つまり冬至は湯治に通じ、柚子は融通に通じるということからきたのだ。柚子湯は、湯で癒され、(金銀の)融通が利くようになるという願ったり叶ったりの、庶民のやや現世利益的な願望が込められたものなのである。
このような庶民の願望が、年中行事として後世に伝わると言うのも、考えてみれば楽しいことだ。なぁんだ、昔の人も御都合主義の、素朴な願かけをしていたんだ、と考えると、なんだか、身近に感じるじゃないか。

古代では、この日を年の初めとしていたらしい。19年のサイクルで冬至が太陰太陽暦で11月1日になることになる。これは、この世のまつりごと(政治)が正常に働いていることであるとされ、「朔旦冬至」と言った。中国でも、現在も冬至の日は御馳走をつくって親戚縁者が集って祝う日である。

ちなみに、これはつけたしですが、ボクのアイディアによる提案をさせていただきます。
今年の夏至からはじまった「100万人のキャンドルナイト」が冬至のこの日も行われました。一概にマスコミの反応は冬ざれているようですが……。たしかに、呼びかけられておりました。しかし、反応はどうだったのでしょう?
せっかくですから、「ルチア祭」として呼びかけた方が、この時期ですから盛り上がったかもとボクには思えてなりません。「ルチア祭」では、ろうそくを使いますし、電気を消して聖夜を楽しもうというアピールにもなったような気がするのです。
そう、「光の誕生」を迎え、祝福するためにはその前に闇が必要です。24日のイブの日からはじまる東京ミレナリオも闇夜に浮かび上がるほうが、美しいと思うのです。
そして、東京ミレナリオに何のコンセプトも感じないボクは、それが「光の女神・ルチア」をむかえる祭りであればと願望するのです。北欧の厳しい冬であればこそ身近な冬至をはさんでの「光の誕生」は、切実であり歓びでしょう。キャンドル・ナイトが市民団体の呼び掛ける「電気を使わない日」で、東京ミレナリオが東京都や区や商工会議所や観光協会が呼び掛ける「電気を消尽する日」じゃ、なんか悲しくなります。
このふたつの異なるイベントをつなぐコンセプトは、「東京もしくはジパング・ルチア祭」であると、ここに提案いたします。
そうであれば、「闇」と「光」がドッキングするのです。商工会議所と、市民団体が「地球環境」そして「女神・ルチア」で、手をつなぎあえるのです。
(「光の女神・ルチア」のことは「クリスマス・トリビア」の記事を参照して下さい)

(画像は奈良・正暦寺の「冬至祭」の護摩焚きの模様)