この1週間は、やっぱり桜の話題がよく出る。
先週、愛媛の桜三里?とか言う辺りを通った時、満開の桜がそれはそれはキレイで立派だった。
街なかに入るとまだ五分咲きだったので、山のふもとが満開で?街に入ると五分咲き?と不思議だったけど、
どうも有名な桜の名所だったみたい。
昨日は昨日で、車窓から見事な桜並木を堪能した。
大阪に『桜ノ宮』というところがある。名の通り、桜なのよね。近くには造幣局もあり、桜の種類が違うので
”通り抜け” はまだもう少し先なんだけど、今が盛りの桜は大川沿いにずーっと続く続く。見事だった。
今朝は、近所の公園の桜が散りかけて、我が家の玄関前にも花びらが舞って来ていた。そして雨に濡れて。
タクシーの運転手さんが『日本人で、桜キライって人居ないですよね・・・』と言う。そうなのかな。
何でこうも桜桜と言うのかしら?と思うでしょ?桜前線なるものが天気予報にも出て来るというのはやはり、
他の国の人から見たら不思議?なのかも。
私は桜って、満開の時の一瞬だけ自己主張するよねと思っている。花が咲くまでは分からないものが、
満開になった途端 ”ぐわんっ!” と、その枝ぶりを見せるのだ。ハッキリくっきり。ああ・・見事な枝ぶりだなと
見とれる。
桜の季節になると思い出す歌。
清水へ 祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢う人 みなうつくしき
そーなんだ・・・みんなうつくしいんだ。そう感じるのねと、その時の晶子の心情を思う。
さっき言った自己主張。それが本当に一瞬だから、はかないから、美しいのだろうか。
勿論私も桜は好きだ。でも私にとっては桜は何だか、もの悲しい。
遠い過去、嫁いだのも、別れたのも3月だった。使い方が正しいかどうか分からないが、その余韻?残照?
そういうものを引きずっている頃が丁度桜の季節だった。それはどんなに年月を越えても、毎年その季節になると
同じ様な思いがよみがえる。別れたこと自体に後悔はないが、それ以外で結構難儀な思いをした。
それが原因だと思う。
美しくてはかなくて、そして散り出すと更にいけない。悲しくさえある。1年で一番欝っぽくなる季節でもある。
でもね、西行のこの歌も好き。
願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃
暖かい穏やかな季節の、明るい頃に、そうなればいいな・・・とは思っているけれど、そううまく行くかしらね。
ノスタルジーを感じさせる桜は、やっぱり日本人には切っても切れない ”こころ” なのかもね。
ちょっとセンチになってしまったわ。らしくない💧