前の記事で、SNSで流される情報はその人の趣味や考え方、志向を反映して偏ってくるものだ、というお話をしました。
今回は、その部分をもう少し突っ込んで考えてみて…
現代に生きる人間として、SNSやその他の情報とどう接するべきか。
正しく情報を受け取るためには、どうしないといけないのかについて書いてみたいと思います。
前回も触れたとおり、SNSで接する情報は、AIが管理するアルゴリズムによって…
情報の受け手一人一人が興味を持ちそうなことを選んで送られてきます。
まあ、まだAIがそこまで優秀でないせいか、たまに「なんだこれ」という情報も混じっていますが。
ここで十分に注意しなければいけないのは…
結果的に、自分の関心のある話題についての、自分と同じような意見ばかりに接することになるので…
それがたとえ、マイナーな関心事だったり、めちゃくちゃ少数派の意見だったりしても…
メジャーだったり、とても有力な情報だったりするのだと勘違いして、信じ込んでしまう傾向があることです。
ネットの情報がある傾向に偏ってしまうことを「サイバーカスケード」といい…
その結果自分のタイムラインに同じような論調があふれ、自分もそれに乗って反応し、他者がさらにそれに反応し…
そうしたスパイラルに陥って行くことを「エコーチェンバー」といいます。
SNSだけでなく、YouTubeなどの動画サイトも、同じようなアルゴリズムによって配信されます。
なんなら、あなたがいま読んでいらっしゃる、ブログでも同じような現象が起きます。
フォローしているブロガーだって、要するに「自分が気に入る記事を書く人」たち、なわけですから…
その情報に囲まれていると、どうしても、自分の中の「偏り」が強化されるわけです。
ネット経由の情報で、デマや陰謀論の類を、簡単に信じ込んでしまう人が多いというのは、そういう理由からです。
私のTikTokのタイムラインに「踊ってみた」みたいな動画よりもたくさんの…
政治家の演説や、国会中継の動画が出てくること、しかも与党批判的なものが多いのは、それが私の「好み」だから。
自分の頭の中を反映し、むしろ強化したものを、見せられている。
ネットの情報というのは、AI管理のアルゴリズム配信による、受動的なものにせよ…
あるいは、ブログのフォローみたいな能動的な自己選択であるにせよ…
その人自身の、思想傾向や、趣味や志向を反映しているもの……反映せずにはおかないものなんです。
もともとちょっと右派的な傾向を持っている人が、ネット世界の影響で過激化して「ネトウヨ」になったり…
そういうのは、いわば「現代病」といっても良いでしょう。
では、インターネットに触れるのを制限して、テレビや新聞などのマスコミ情報だけを「摂取」すればいいのか。
いやいや、マスコミ情報にも「偏り」のない物など、はっきり言ってどこにも存在しません。
不党不偏、本当の意味での「中立」というのは、残念ですが、幻想だと思いましょう。
むしろ不党不偏、を自ら強張しているメディア(や個人)ほど、実は怪しいと思った方がいいかもしれません。
ネトウヨの自己紹介文の定型が「右でも左でもない普通の日本人」であるというのは、実は有名なことです。
「偏ってなどいない」というのは、あくまでも自分の主観的な判断で、客観的な物差しなどないんです。
全てのメディアを通した情報は、その会社の、その部署の、その記者の「立場」を反映しているのです。
そして、マスコミも日本の企業ですから、上意下達の仕組みが強固です。
なので、個人の記者の意志よりは、その上司、そのまた上司、結果的には「カイシャの方針」が最優先です。
ですから、たとえばトップや幹部が、首相主催の「食事会」に参加しているような法人では…
「組織全体の方針」がどこにあるかは、推して知るべしで…
政府のやることが間違っていたとしても、急所を突くような、本当に厳しい批判は許されない。
現場の記者が「個人的良心」を発揮することはあっても、やれることには一定の限界があります。
それを超えた場合には、軽重はあるにせよ、何らかの「処分」が待っているわけです。
そんな有様ですから、マスコミ情報は、うのみにするわけにいかない。
フェイクではないにしても、ニュースの選び方や、視点、切り口に何らかのバイアスがかかるからです。
かといって「ネットの中にこそ真実がある」と思っているとサイバーカスケードの罠にかかる。
じゃあ、いっそのこと、何も情報などに接しない方がいいかというと…
社会が複雑化し、時代の流れがどんどん急になっている現代。
情報弱者は、場合によっては命の危険さえある、絶対的な弱者になります。
どうします?
こういう時代だからこそ、自分で情報を整理し、分析し、評価する力量が必要になるのです。
そして、自分の頭で考えないと。
情報を自分で評価し、自分の頭で考えるためには、基礎的な「知識」と「知性」がなければなりません。
無知であれば、簡単におかしな情報に振り回され、だまされることにつながります。
愚かであることが、命取りにさえなりかねない、そんな時代になって来ているんです。
だから子どもだけでなく大人も、いや大人こそ、いろんなことを勉強しないといけない。
最近はやりの言葉に「リスキリング」なんていうものがあって…
「ビジネスパーソンにも自主的な学びが必要だ」などと言われるようになって来ましたが…
学びをしないと、企業人として利益を上げられないから、出世できないから、ということのようです。
でもそれ以前に…
無知なままでは、情報の中から有用な物と、不要な物や危険な物を選別する力さえなくなります。
それなのに日本は、先進国だけでなく途上国も含めて、世界有数の「おとなになると勉強しない国」なんです。
こんなグラフもあります。
あらゆる形態での学びをしている勤労者が、アジアの国々と比較してどれも少ない。
そして、学習や自己研鑽を「何もしない」が、アジア14か国平均に比べて、度外れて多いです。
アジアの仲間たちと比較して、日本の大人たちがここまで「勉強嫌い」だと、あなたは知っていましたか?
もっとも、大人が勉強しないことを、個人の問題だけにするのは間違いかもしれません。
こちらは、労働者への教育に公的投資がどれだけされているかを、対GDP比で表したグラフです。
他の先進諸国では、大人に勉強してもらうための公的投資が…
日本の何倍も多い。しかも21世紀になって増えているのに、なんと日本だけが減っている!
その背景には、日本の企業や役所に独特の「新卒生」の大量一括採用という習慣があります。
学校を出た人を、企業などが同じ時期に、横並びでまとめて採用する。
その仕組みのおかげで、諸外国に比べ失業率が比較的低く済んできたというのはあります。
この事と「終身雇用制度」の影響で…
大人になったら、もう勉強は「上がり」になってしまい…
一旦職業人になってから、大学などで学び直す人が極端に少ない。
勉強して、知識やスキルがたとえアップしても「中途採用者」は出世のラインに乗れない…
そんな慣習が、日本の会社や役所に長くあったことは、皆さんご存知の通り。
だから、もう終身雇用は終わり。労働市場の流動性が必要だ、なんて言われるようになってもまだ…
勉強は「社会に出る」(これ自体変な言葉ですが)前にするもので…
大人になったらもう勉強しない、という日本人が多いままで、今に至ってしまったのではないでしょうか。
というか、受験競争が激しくて、モチベーションがなくても無理やり勉強「させられてきた」ために…
最終学歴の学校に入ってしまったら「勉強なんてもうこりごり!」と思う人がとても多いみたいです。
1.受験競争のせいで、子どもや若者のころに勉強嫌いになっていること
2.社会人の学び直しがしにくい雇用習慣が長く続いてきたこと
3.政府や公的機関の、勤労者への教育投資がものすごく少ないこと
これだけ揃えば、日本のおとなが学ばない、勉強しないのも、当然かもしれません。
でも、学ばなければ無知になり、無知になれば騙されやすくなる。
情報に対するリテラシーがなくなる。
日本人が「自分の考え」というものを持つよりも、周りの反応や、人の様子を見回して…
それに従い流されようとする傾向が強いのは…
自分自身の知識と判断力に、自信がないから、という部分もあるのかもしれません。
いずれにせよ、情報はいろんなソースから、たくさん入れたほうが良いです。
そして、その情報の価値や真偽を見分ける賢さを身につけないと。
賢くないと危ない、生き残れないかもしれない時代に、もうなってしまっているのだと理解しましょう。
最後に、フランス文学者・巌谷國士さんのツイートをご紹介しておきます。
記事の中の4つの写真を、それぞれクリックorタップで、大きくしてよく見てください。
どれも身につまされることで…
今の日本が、ナチズムに席巻されていったころのドイツにそっくりだ、ということがわかると思います。
大変危険です。
このまま流されて行くと、本当に戦争になる可能性がとても…とても高いです。
私たちの社会が、大きな川のようなもので、私たちの生活基盤が、そこに浮いたボートだとすると…
流れは激流に見えていないから、危険は感じないかもしれません。
でも、すぐそこに、ナイアガラの滝みたいなものが迫っています。
巨大な滝も、滝つぼに落ちて行く直前まで、流れはゆったりしているものです。
突然、ボートが落下して、奈落の底へと落ちて行く。
その前に、なんとかしないと。
流れに逆らって漕ぐのが、もしも無理ならば、せめて岸に近づいて、この流れから逃れることをしないと。
せめて、あなたの子どもさんや、お孫さんたちだけでも……