松山の帰りに、新居浜で途中下車♪
夫がすごく行ってみたいと言っていた場所。
東洋のマチュピチュ、です
本家のマチュピチュ、そして日本のマチュピチュと言われている、
最近大ブームの兵庫県の竹田城跡、
その中間?東洋のマチュピチュと言われています。
1691年(江戸、元禄4)から1973年(S48)に閉山するまで、
約300年に渡り、住友一社で掘り続けられた、
大銅山、別子銅山の産業遺跡です。
新居浜駅から、小一時間ほどバスに揺られ、
かなり山の方へ上がっていきます。
銅の採掘、製錬など住友の基幹産業は、
現在も、住友金属鉱山という企業として受け継がれています。
その銅に関する様々な事業が、現在の住友各社となって派生し、
連綿と続いているのは、とてもスケールが大きく、感動的です。
大きな山の中に、様々な施設が、赤レンガを使用したものもとても多く、
点在していて、とても見応えがあります。
最盛期の大正時代には、この別子銅山は1つの町のように発展、
病院、学校、劇場などまであったそうです。
ただし、銅の製錬のための、公害、山から植物が消えてしまうなどの
影響があって、住友2代目、名番頭と言われる伊庭貞剛によって、
この別子銅山を、元の青々とした山に戻すことが決められ、
現在のように、豊かな山々に戻ってきています。
現在は、マイントピア別子と呼ばれる観光施設エリアと、
現地でのツアーに参加して見学の出来る、
もっと山の上の東平地区が公開されていて、
そちらへも見学に行きました。
木々の足元にも、当時の建築物、働いていた社員たちの住居の基礎の
石積み部分、などが残っているのを見ることが出来ます。
(住居などの木材部分は、山火事を起こさないようにと、
閉山時に、全て処分されたのだそうです。)
大きな建造物などは、地元のボランティアの方々によって、
保存されています。
京都の住友家門番の家、大阪に残る、住友本店臨時建設部による建築物、
住友家の寄付で建てられた中之島図書館、伊庭貞剛の活機園、
などなど、住友にまつわる建築物から、とても住友に興味があるので、
その基幹部分を垣間見ることが出来て、面白かったです。
住友が新居浜周辺に残した産業遺産は、
この銅山の他の場所にも広く残っていて、山の麓から海の方へ、
そして 新居浜の沖合の四阪島まであるそうです。
一つの事業を同じ場所で300年も続け、
日本の近代産業の発展につながった住友の銅産業。
なかなか、このような企業はないと思います。
観光施設内のレストランで、ご当地カレーです
東洋のマチュピチュ、マイントピア別子、
11月13日の「ナニコレ珍百景」という番組で、
杉村太蔵さんがレポートをするそうです~