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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

夏の甲子園名勝負集 その2

2010年06月18日 | 高校野球名勝負

50年代前半の【私的】名勝負集です。

昭和50年 2回戦
上尾(埼玉) 5-4 小倉南(福岡) (延長10回)

上尾 2発で豪快にサヨナラ!小倉南・前半のリードむなし


 またまた上尾が出てきてしまいました。
 前年の悔しいサヨナラ負けから1年、捲土重来を期して連続出場を果たした上尾。
前年のことがあり期待も大きかったのですが、このチームは前年と比較して評価はいまひとつでした。『打線はいいが、軸になるエース不在』これが戦前の上尾評。
 評価が低いのを覆したのは、やはり豪快な打線でした。この初戦、対戦相手の小倉南は夏は初出場。しかし剛腕といわれたエース二保投手を擁していました。この二保投手、たたずまいはあの【左門豊作】を思い起こさせる朴訥としたタイプ。しかし投げてびっくり、剛球をビシビシ決めてくる素晴らしいピッチャーでした。さしもの上尾打線も前半から中盤にかけては、全く捉えることができず。4-0と小倉南が大きなリードを奪って、後半戦に入ります。
 しかしここからが上尾の本領発揮。8回に2人のランナーを置いて主砲・中村が豪快に3ランを奪って追い上げると、後はイケイケ。9回に追いつき、10回は2年生・塚原がまたも豪快にライトスタンドに叩き込み、決着をつけました。
 埼玉県人のワタシ。これまで代表校は、小粒なチームばかりを見てきた印象があり、この上尾高校の豪快な逆転劇には、長~く酔いしれていました。


昭和50年 2回戦
 浜松商(静岡) 6-5 石川(沖縄)

まさかまさかの逆転サヨナラ本塁打!高林、好投糸数を最後に捕らえる


 まさかまさかの結末でした。
 沖縄県勢が大きく台頭してきたこの年。春の選抜では赤嶺を擁すると豊見城がベスト8に進出。そして夏の石川も、好投手・糸数で初戦を快勝しての2回戦進出でした。【判官びいき】の甲子園スタンド。沖縄県勢が登場すると、割れんばかりの歓声と指笛が鳴り響き、沖縄一色と染まるのがこの頃のお約束。そんな中で、大物はいないながらも実にしぶとい浜松商が、中盤から後半に追いつき、リードされて迎えた9回裏。ランナーをひとり置いて、5番の高林が打った打球は、グングン伸びてフェンスを越え、その瞬間糸数投手がライト方向に振り返ったまま呆然としているシーンが、脳裏に蘇ってきます。史上初の【逆転サヨナラホームラン】でした。
 沖縄勢はこの後、豊見城を中心として強豪としての地位を固めていきます。そして浜松商は、この3年後の選抜大会で、悲願の初優勝を飾っていきます。この前後に活躍した浜商戦士たち、現在ではたくさんの高校に散らばり、静岡の野球を盛り上げていっています。


昭和50年 準々決勝
上尾(埼玉) 5-4 東海大相模(神奈川)

上尾 またも豪快に逆転。東海大相模・原無念の敗退


 スコアにすると、なんてことのない試合。しかし、たくさんのエキスの詰まった素晴らしい戦いでした。
 東海大相模は、この年の高校野球の主役。父子鷹・原を中心に津末、村中らの好選手を配して春の選抜で準優勝。スマートな都会的な野球に豪快無比の打線。本当に強いチームでした。対する上尾は、東京をはさんで神奈川と対峙する埼玉では無敵。しかし、チームカラーは東海大相模とは全く違う、野武士のようなチームでした。
試合は完全に東海ペース。上尾はエースの今投手が不安定で、序盤にリードを奪われます。原選手もあたりに当たって4安打。誰もが東海大相模の勝ちを信じて疑いませんでした。しかし8回、堪えに堪えていた上尾打線が一気に爆発。村中に襲いかかり一気の3点。試合をひっくり返しました。その裏、チャンスでこの日4安打の原が打席に入ります。上尾を熱烈に応援していたワタシの頭は、ネガティブなシーンで一杯。原の逆転打が脳裏をよぎります。しかし上尾の『無骨なエース』今太(こん・ふとし)がこのピンチに度胸を据えて原と勝負。見事キャッチャーフライに打ち取ったときは、家中が大騒ぎでした。(このとき以来、ワタシの頭の中には『原は勝負弱い』と刷り込まれ、ついに現役引退までそのすり込みが取れることはありませんでした。最近指揮官になっての彼を見て、やっと『勝負強いなあ』と思えるようになりました。)
【上尾が全国制覇】の夢が一気に膨らんだ瞬間でした。


昭和50年 準決勝
新居浜商(愛媛) 4-3 上尾(埼玉)

雨中の激闘!上尾 必死の追い上げもむなし


 【上尾シリーズ】の最終回です。
 全国制覇の夢が膨らんだ上尾高校。このときの4強進出は、上尾のほかは強豪・習志野と2年前の優勝校・広島商。『どっちとやっても分が悪いなあ』と感じていたワタシは、対戦相手が初陣の新居浜商と決まって、ほっと胸をなでおろしました。それがいけなかったのかと思います。勝負は一寸先は闇・・・・ですもんねえ。
 新居浜商は、愛媛の無名校。松山商や今治西は知っていても、新居浜商はこのとき、あまり知られた存在ではありませんでした。大会での勝ち上がり方もあまりパッとしたものではなく、新聞紙上にも『上尾有利』の文字が躍っていました。
 果たして、上尾は初回の速攻で3点を先取。まず勝ちは固いと見ていたワタシたちを、衝撃が襲ったのは6回でした。ここまで好投を続けてきた今投手が突如の乱れ。というよりも、新居浜商の集中打が見事でした。逆転された上尾は、カクテル光線の中必死の追い上げを見せますが、追いついては突き放される展開の中、ついに追いつくことは出来ませんでした。新居浜商の『ヒゲの竹場』選手、よく覚えています。いいところで打ちました。
 最終回、上尾は必死に3塁前にセーフティーバントを試みるも、間一髪アウト。ワタシはいまだに、『ありゃあセーフだ。あれがセーフなら、展開は変わっていた』という負け惜しみを言っているのですが、それにしても新居浜商のエース・村上投手の、最後の最後で踏ん張りきる投球は、見事なものでした。
 埼玉県勢が、ある意味一番【真紅の大旗】に近づいた瞬間だったかもしれません。


昭和50年 決勝
習志野(千葉) 5-4 新居浜商(愛媛)

猛打・習志野サヨナラで県勢V2を達成。最後は下山田が決めた!


 50年の決勝は、猛打を誇った習志野と新鋭の新居浜商の対決となった。
 この頃の映像を見ると、当たり前の話ではあるが立錐の余地もない大観衆である。高校野球が深く国民の間に根付き、高校野球にとっては一番幸せな時代だったかもしれない。この年の決勝から、決勝の決着は4年連続でサヨナラとなるなど、実力伯仲の戦いが多く、多くの人々の胸を打ったのであろうか。
 さて、習志野はエースで4番の小川(現ヤクルト代理監督)が軸。とにかく1番から9番まで良く打った。準々決勝の磐城戦など全員安打の16得点。「これが金属バットの威力か」と、前年に解禁された金属バットと引っ掛けてよく形容されたものである。対する新居浜商は上の対戦でも紹介したとおりのチーム。しぶとい攻守、続木・竹場の豪快な打撃、粘り強いエース村上など、随所に『高校野球の勝てるチーム』を体現してくれたチームである。『高校野球って、名前だけじゃないんだな』ということを、子供の私に強く実感させてくれた。
 決勝はずっと新居浜商のペースで進んだが、5回に習志野がチャンスを掴むと一気に村上を攻略。特にランナー3塁でのファーストファールフライからのタッチアップは光るプレーであった。後半は習志野がどこで突き放すか、ということが焦点だったように思う。しかし粘りの村上が決勝点を与えずに持ち込んだ9回。ついに習志野が村上を捕らえ、1死3塁のチャンスから6番・下山田のライト前タイムリーで歓喜の2回目の全国制覇を成し遂げた。
 千葉代表は前年の銚子商に続き2年連続の栄冠。”野球王国”の名前を確固たるものとした。


昭和51年 2回戦
祟徳(広島) 10-8 東海大四(南北海道)

黒田発熱の大ピンチに、祟徳、原爆打線の本領を発揮! 


 祟徳は選抜の優勝チーム。超ど級の選手たちを揃え、この夏の大会でもダントツの優勝候補。優勝回数全国トップ(当時)の広島県にして、【県勢過去最強のチーム】とまで言われた。エース黒田、攻守に卓越した力を持つ山崎、応武、樽岡、小川、永田、兼光・・・・。そういわれるのもうなずけるチームであったことは確かだ。
 しかし、選抜は初戦で大乱戦。2回戦では鉾田一の剛腕・戸田に押さえ込まれ9回2死まで負けていたという経験も持つ【ドラマチックなチーム】でもあった。
 夏の初戦。対戦が決まった当初は、「一方的な試合になるだろう」という見方が支配的であったが、試合の中盤にドラマは待っていた。
 この試合、エースの黒田が前日に発熱したということで祟徳は2番手の和気を先発マウンドへと送った。味方の序盤での打線爆発にも助けられ、和気はスイスイと好投。しかし点差がついたところで、祟徳はエースの黒田を【試運転】に登板させた。
しかしこの黒田が、2イニング投げたところで再び体調不良で降板。ここから試合は大きく大きく動く。祟徳はこのとき、既に和気をベンチに下げてしまっていて、ピッチャーが底をついてしまっていたのである。
 急造でマウンドに登った、登板経験のほとんどない兼光がストライクを取るのにも汲々としているところに、東海大四の打線が襲い掛かった。7回、そして9回、大爆発の東海大四は3点差に追い上げてなお満塁まで攻め立てるが、最後の打者は高めのボールに手を出してあえなく三振。「相手を甘く見たらどうなるか」「野球は一寸先は闇」を身をもって示してくれた、祟徳の戦いぶりであった。カクテル光線に映えて、美しい対戦だった。

 
昭和51年 2回戦
小山(栃木) 1-0 東海大相模(神奈川)

東海に一瞬のスキ。父子鷹・原に無情の結末


 51年の大会。選抜の優勝は祟徳。そして準優勝は小山。両チーム共に素晴らしいチームであることは間違いなかった。しかし、何かが物足りないといわれた。そう、【3年計画】の最終年に当たる強豪・東海大相模が出場していなかったのである。そこで、【東海大相模抜きの大会】とも評された選抜勢が、復調してきた東海大相模を迎え撃つ構図、というのも大会前に予想されたものだった。
 多くの人が望んだ祟徳vs東海大相模、あるいは剛腕酒井の海星vs東海大相模は実現しなかったが、”関東の強豪”小山が東海大相模の前に立ちふさがった。
 小山は選抜準優勝にもかかわらず、夏の大会前には下馬評に上がることはなかった。というのも、選抜をひとりで投げぬいたエース・初見が肩を壊し、全く投球ができない状態になっていたからだった。白羽の矢のたった”急造エース”黒田は、チームの中心選手であるもののマウンド経験は浅く、県大会でも度々打ち込まれていた。この対戦が決まったとき、新聞各紙は「黒田では東海大相模の強力打線には通用しない」と書きたてた。しかし、彼らは黒田の、投手としても日に日に成長を遂げる
野球センスを見落としていた。
 黒田は、この試合入江・原・津末・村中らの並ぶ東海大相模の超重量打線に対して、対角線と緩急を自在に使った「これぞ投手の見本」という投球を見せ、結局3安打に完封してしまった。原も津末も村中も、外に泳がされ内で詰まり、自分のバッティングは一切させてもらえなかった。
 小山は、新チーム結成以来選抜の決勝まで無敗の36連勝を続けたチーム。そのプライドが『東海何するものぞ』と黒田の負けじ魂に火をつけたようだった。
 東海大相模にとっては、悔やまれる敗戦だったが、最も苦手なタイプのピッチャーに完膚なきまでに抑えられた姿は、甲子園を去る姿としては潔かったかもしれない。江川の作新に続き原の東海大相模も戴冠することなく甲子園を去った。やはり甲子園の女神は気まぐれだ。


昭和51年 3回戦
海星(長崎) 1-0 祟徳(広島)

祟徳の春夏連覇の夢、はかなし。サッシー、原爆打線を完封


 51年の大会。本当に話題が多く、楽しめた大会だった。この大会の焦点は3つ。「祟徳の春夏連覇なるか」「最後にかける東海大相模のVは?」「剛腕・サッシーの投球は?」
 東海は早々と敗れ去った。祟徳は1回戦で苦闘の末勝利。そして、みんなが見たかったサッシーこと酒井投手の投球は、初戦から冴え渡った。
 酒井が注目されたのは、県予選の島原中央戦。7回参考記録ながらノーヒットノーランに抑えた酒井、しかし世間が注目したのはそんなことではない。【最初のバッターから16人連続三振】の超絶の記録があったからである。
 だれもバットに当たらないのである。島原中央といえば、県内ではちょっとは名の知れた好チーム。その相手に対して、6回1アウトまで、誰一人打球を前に飛ばさなかったのである。
 『酒井って何者だ?』
 一気にその名は全国に広まった。今のようにインターネットなどのない時代である。「見たことのない剛腕」というフレーズは、人々の期待をいやがうえにも盛り上げたそして初戦、苦戦したものの剛腕の片鱗を見せた酒井に対して、世間の評価は『江川以上』『尾崎の再来』などなど。そして運命のいたずらで、その酒井の2回戦の相手はあの祟徳である。投げ合う投手は、あの黒田である。
 ファン以上にプロ野球のスカウトたち垂涎の対戦だったこのカード、意外なプレーでの決着となった。
 酒井の投球は見事の一言。唸りを上げる重そうな直球がズバズバと高めに、低めにと決まっていく。さしもの祟徳”原爆打線”もこの日ばかりは沈黙。わずか2安打に抑えられてしまう。初戦の発熱で体調を懸念された黒田は、もっと凄かった。キレのある速球とカーブの切れはものすごく、全く付け入る隙を与えなかった。
 しかし7回、海星は2死3塁のチャンスを掴むと、8番(?)のあたりはボテボテのピッチャー・キャッチャーの間に転がるゴロ。キャッチャーが一瞬躊躇して遅れた送球が届くとき既にバッターランナーは1塁に到達していて、間一髪セーフ。結局この1点が勝負を決めて、祟徳の春夏連覇の夢は散ってしまった。
 死んだ子の年を数えるようなものだが、多分祟徳はこの対戦に勝っていれば優勝まで突っ走っていたことだろう。祟徳もこの年一瞬の輝きを放った流れ星のようなチームで、その後はほとんど甲子園出場すら成し遂げていない。
 酒井、黒田の両投手は共にプロに進んだが、大成することはなかった。しかし、この日に見せた両投手の素晴らしい投球、長く高校野球史に刻まれる素晴らしいものであった。


昭和51年 決勝
桜美林(西東京) 4-3 PL学園(大阪)

桜美林が都市決戦制し、60年ぶりに優勝旗を東京へ


 さて、素晴らしいチームと素晴らしい選手の登場で沸きにわいた51年の大会。
決勝のカードは、誰もが予想しなかった桜美林vsPL学園のカードとなった。 
 桜美林は初出場。春の関東大会で優勝しているため力は持っているといわれていたが、いいところダークホースの扱い。一方のPLも大型の選手がいるわけではなく、小粒な全員野球のチーム。(あのPLにも、こんな年もあったんです) スルリスルリと激戦を潜り抜け、決勝までたどり着いたのはこの両チームでした。
 しかし、同型の対決となった決勝戦。東京vs大阪の戦いということもあって、戦い前からスタンドはヒートアップ。満員札止めどころではなく、球場の外に入りきれなかったファンが鈴なりになるような試合となりました。
 先手を取った桜美林をPLが4回にひっくり返し、桜美林が7回に追いつくというスリリングな展開。桜美林の超満員のアルプスが声を限りに応援すれば、一方のPLアルプスは、甲子園名物ともなった人文字で統制の取れた応援。面白さ満載のゲームはついに延長へ。
 堪えていた桜美林は11回、本田がヒットを放ち1塁へ。バッターは途中から入っていた菊池太陽クン。彼の放った打球は、レフト頭上に鋭く飛んで、差し出すレフトのグラブをすり抜けフェンスへ。同時にフェンスに激突したレフトが、足元にあるボールを見失ってしまう間に、本田が2塁、3塁を回って長躯ホームイン。初出場初優勝という快挙、桜美林が成し遂げてしまった瞬間でした。
 「イエス イエス イエスと叫ぼうよ」という、聞いたこともない斬新な校歌が甲子園へ流れ、『ひ弱』の代名詞だった東京球児たちが、光り輝いたのでした。

 


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5 コメント

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Unknown (高校野球オタク)
2010-08-05 23:20:01
はじめまして 私は静岡県人ですが、浜松商業高林の逆転ホームランは覚えてます。ライトの選手がラッキーゾーンの前で見送っていたシーンが印象的でした。浜松商はスターは不在ですが、地元では粘りの浜商 逆転の浜商といわれてます。このすぐあとの選抜で優勝した時も、バントや盗塁 ツーランスクイズなどの機動力で早実 東北などの強豪校に競り勝ちました。後に送りバントをしない常葉菊川の監督になって優勝した森下監督がキャプテンだったのも、なんかおもしろいですね。
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浜商強かったですね (まめちち)
2010-08-06 09:47:27
高校野球オタク様、こんにちは。
浜商、強かったですね。選抜優勝時の樽井-青野のリレーで早稲田実、桐生の有力校を連破したのはワタシの記憶には新しいです。
また、延長の激戦で池田を破った夏、候補・拓大紅陵に競り勝った夏など、粘り強い戦いぶりは強く印象に残っています。復活が待たれますね。
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浜商の青野 懐かしい~ (高校野球オタク)
2010-08-07 21:43:01
いた いた 鉾田一の戸田 確か選抜の初戦でノーヒットノーランやった人ですね。ホームランも自分で打って(初戦か2回戦か?)そうとくとの試合も自分の一人相撲で負けたような?戸田のワンマンチームでしたね。後に東海大行きましたが訳わかんないこと言って中退したり、ホントユニークなひとで好きでした。
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がんばれ 本庄一高 (高校野球オタク)
2010-08-07 22:19:40
それにしてもよくご存知ですね。浜商が池田 拓大紅綾に勝ってベスト8になった後 菊川がベスト4に入るまで、20年かかりました。上尾というと9回2アウトまで勝っていて牛島にホームラン打たれて追いつかれた試合がありましたね。投手は二村3兄弟の一人だったような。
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Unknown (はまっ子)
2011-07-31 17:22:33
浜松商・石川…濃い顔の糸数投手を応援していたので、残念でした。
上尾・東海大相模…コンタは地味にすごかった。東海大相模は北関東のチームにことごとくやられました。
新居浜商・上尾…初陣新居浜商の鴨田監督が、それまで投げていない片岡を先発させたのが裏目に出て、いきなりのビハインドを負ったけど、粘りで逆転勝ちしましたね。
習志野・新居浜商…優勝がチラついたか、それまで無欲だった新居浜商が、5回にはフィルダースチョイスやホームベースカバーを忘れたりと浮足立ちましたね。それでも7回一旦は追いついたんですが…この後、秋の国体でも同じカードでサヨナラ負けしたんです。
小山・東海大相模…黒田投手、選抜では選手宣誓をやったような記憶が。
私は52年に早稲田に入学したんですが、小山黒田、桜美林片岡、PL中村と甲子園を沸かせたメンバーが結構早稲田に入りました。
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