S:先日朝10時過ぎ、プランタン銀座のアンティークバザールに出勤するために銀座中央通りを京橋方面に向かって歩いておりました。松屋の手前、三菱東京UFJ銀行前で信号待ちをしていたんですけど、いつまで待っていてもなかなか信号が変わりません。「何事?」と不審に思い辺りを見渡すとやがて京橋方面からパトカーに先導された黒塗りのリムジンが近づいてきました。「きっと大臣クラス以上の国会議員か外国の要人でも通るのかな?」と思って通り過ぎるクルマの車内を覗いてみようと待ちかまえていたところそのクルマのウインドウがスーッと開いて中からなんと!!美智子皇后様が手を振っていらっしゃいました。もちろん初めてお見かけしましたけど、その瞬間なんだか気持ちがスーッと晴れやかになりました。今日はきっといいことがあるに違いない!と天津木村のように「なんだかいけそうな気がする~っ!!」と吟じながらプランタンまでの道のりをスキップしながら出勤しました。
S:「誰にも左右されることなく、自分の意志で人生を切り開いていこう!」というささやかな思いを秘めてこの町に移住したのはもういまから10年以上も前のことになります。港を取り囲むように、まるで競技場の観客席のように家々がびっしりと建ち並んでいる風景に魅了され、独自に発展していったこの町特有の少々エキゾチックな歴史や文化に感激したものでした。
この町で新しい仕事を始め、様々な人々と関わっていったり、落ち着いてこの町のことを眺められるようになるとだんだん別の思いが膨らんできます。「まるで彼岸の彼方みたいなところかも・・・・。」実際に彼岸の彼方に渡ったわけでもないのに、このような感じを抱くのもおかしなことですけど、そう表現するのが一番ぴったりくるような気がします。
町中いたるところに墓地が点在し、(墓地と墓地の間に家が建っているって感じです。)共生しているかのように佇んでいます。さらにお寺や教会、斎場までもが町の規模に比較してやたらと眼に付きます。人々は老いも若きも、男も女も(一人の例外もなく?)まるで生彩を欠いていて、覇気がなく、強い意志を持って生きているようには見えません。人々の人生に光り輝く瞬間があるとすれば、それは残念ながらその人の生前にはなく、精霊となって精霊船に祭られる初盆の日にあるように思えてきます。あるいは精霊船に祭られるために此岸の人生を生きているのかもしれません。
西方浄土って西のはるか彼方にあると言われていますし、この町はこの国の西の果てにありますから、この町は彼岸の入り口、西方浄土の出発点にあたるのかもしれません。さらにまた、西洋の神様もはるばる海を越えてこの町にたどり着いているわけです。(それが証拠に?この町の港の最先端にある神の島には海に向かって大きなマリア様がこの港を見守っています。)
わたしのように日々煩悩に苛まれ、浮き世の欲をぎらつかせているようなものは「この町に生きるにあらず!」と神様から烙印を押され、この町を追われることになるのです。
M:河村が以前住んでいた長崎へは、二人でもう何度も旅をしています。長崎は本当に良いところ!海を囲む風光明媚な地形、様々な文化遺産、古いものと新しいものが共存しているおとぎ話のような街です。街を歩いているうちに、遙か遠い昔にタイムスリップするような、時間軸が曖昧な街。そんなことを長崎から感じながら、河村と様々な場所を歩き回りました。
河村仁(以下S):1990年代の初め頃のことだったと思いますけど、本屋の店頭に平積みされた一冊の写真集が気に掛かって何気なくページを捲ってみました。「少年の港」というタイトルのその写真集はモノクロームのスクエアフォーマットで撮影された門司港周辺の風景を映し出したものでした。内容はその著者のキャリアの中では、せいぜい「中年おじさんのセンチメンタルジャーニー」の評を越えることのないベタなものだったと記憶していますけど、ミディアムフォーマットのモノクロ写真特有の豊富なトーンや階調表現がドキッとするほどリアルさを感じさせたのがとても印象的でした。
すぐに影響を受けやすかった若かりし頃のわたしは、「やっぱり写真はモノクロームの四角いのに限るぜ!」とばかり無謀にも当時のお給料の何倍もするような機材を揃えて門司港に向かったのでした。
以来、「四角い写真こそ本来の写真の姿である!!」と信じて疑わず今に至っています。といってもこのブログに掲載されている画像は全て現代のデジカメでわたしが撮影したものですけど、最近ありがたいことに四角い画像を得られるデジカメがいくつかリリースされておりますのでそれを用いてこのブログを作成しております。
坂崎雅子(以下M):恒例、福岡の骨董祭の前後に必ず滞在する北九州の門司。雨に煙る関門海峡です。
M:この日は晴れ、ここに来る度「海の見える所に住みたいな。」と思ってしまいます。
S:最近鳩山総務大臣が東京中央郵便局の解体延期を求めたりして話題になっておりますけど、「あんなもん残しておくほどの値打ちあるんかい?」と素朴な本音を抱いていらっしゃる方も結構いらっしゃるのではないでしょうか?同じように時計の付いたビルである、銀座和光のようにロマンチックで装飾的でもなければ、人々に愛されているとも思えませんし、格子状に整然と窓が配置された愛想ない建物といった印象を抱かれる方が大半かも知れません。モダニズム建築とか国際様式とかいわれるこの手の建築なんですけど、確かに「装飾を廃して機能を追求する」のがモダニズム建築とか国際様式の大前提みたいなものですから愛想無く印象に残らない建物も沢山あると思います。
そんな世の中の無知無関心に耐えつつ21世紀の現代にまで残っている貴重な国際様式モダニズム建築を発掘し脚光を浴びせるのが全日本国際様式研究会の趣旨なんですけど、会員は実のところわたしだけで、細々と研究を続けているのが現状です。東京は上野にある西洋美術館なんてまさにそのようなものの代表ですけど、近い将来に世界遺産に認定されそうですから、手のひらを返したように人々の注目を浴びることになりそうです。
東京は銀座界隈ですと、なんといっても「三原橋センタービル」がその寂れ具合や、無神経な改築、特殊な構造と秀逸なオリジナルデザインがなんとか忍ばれる状態で保たれていて大変貴重な存在です。