あんなに嫌いだったのに

平成29年10月に夫がすい臓がんで先に逝ってしまいました。
定年したら離婚しようと準備していたのに・・・

癌との毎日 その17

2017-12-04 19:21:34 | 主人のこと
次の朝電話で入れた予約のために病院に出かけて行った。
私が運転していこうかと声をかけるが調子は悪くないようで一人で大丈夫だと言って自分で車を運転して行った。

9時の予約だったが一番に診てもらえたようで9:10にはメールが来た。
「腹水が増えてきてるからこれからエコーを撮るよ、終わったらもう一度診察だ」と。
それでも9時半にはまたメールが来て、「癌の進行による腹水だって、腹膜の弱いところから水が逃げてるから、ち〇ち〇とか、き〇たまに集まったらしい。」と説明されたとのこと。
その日の診察は月曜日だったが、水曜日には新たな(従来の)抗がん剤投与のために入院が決まっていたので、その時までは利尿剤で様子をみましょうと言うことだった。

思いのほか早く診察が終わり11時過ぎには帰ってきた。
体調はよかったようで「お昼何か食べに出る?」と誘われた。
実はその日は地方で働いていた長男が地元で仕事を見つけこちらに帰ってくる日だった。

新幹線で14時頃新横浜に到着すると聞いていたので長男に迎えに行く旨ラインを入れ、二人で向かった。
途中何年も気になっていたが行ってなかったラーメン屋さんで昼食を済ませ(またラーメン)長男を拾い、久しぶりに家族5人が揃う夕食のために少し買い物をして帰った。

家に帰ってからも不調は訴えず、長男にいろいろこの先のアドバイス(主人と同じ業種)などし、腸閉塞の入院前に買ってきたとっておきの日本酒を一緒に飲んでなごやかな夕飯だった。


入院までの二日間で利尿剤の効果はみられず、腹水は増えているようで食欲は落ちたし、頻尿のため寝不足にもなっていた。

予定通り水曜日に入院するが、その日は主人から「今日は入院するだけで抗がん剤は明日だから病院の玄関まで送ってくれればいいよ」と言われ一人で病院へ入っていく主人を見送った。

退屈していたのかちまちまと他愛もないメールが届き雑談のようなやりとりをしていたが、夕方担当のドクターが病室に様子を見に来て「この入院中に一度腹水を抜きましょう」と言われたとメールが来た。
腹水が胃を圧迫してあまり食べられないのを訴えたようだ。


腹水はあまり抜きたがらない医師が多い。
これは私が病院に勤めていた頃からそうで、腹水の中にも体に大事な栄養がたくさん含まれているため急に抜くと体力が落ちてしまい逆に弱ってしまうからだ。
なので、私もできれば抜いて欲しくはないなとは思っていたが、腹水のせいで食べられないとか、ひどい人は肺さえ圧迫して呼吸も苦しくなるのでどうにかならないのかといろいろ調べてはいた。

癌との毎日 その16(タイトルかえました)

2017-12-03 16:49:52 | 主人のこと
タイトルをかえてしまったけど、今までの続きです。


その日はその後お互いメールのやりとりはしなかった。
宴会には参加しないとは言ってたけど、誘われて行ったのかもしれないし、入院以外で夜主人がいないのは久しぶりで、私ものんびりしていた。

楽しくみなさんと過ごしているのかと思っていたんだ。

次の朝7時前には「おはよう、ちょっと足をのばして〇〇(毎年私がリクエストしていたお土産、今年はリクエストしなかった)を買ってから帰るね」とメールが来た。
具合が悪いとか、いいとかそんな報告はなく、そんなメールだったから「無理しないでいいよ。」と返すも「大丈夫。俺も行っておきたいから」と戻ってくる。
やめとけとは言えずに「わかった、くれぐれも無理はしないように」と返し朝のメールは終わった。

そのままメールもなく家のことをしていると「新宿からちょうどいいロマンスカーに乗れたから2時前には帰るよ」とメールが来て予告通りに帰ってきた。

顔を見てとりあえず安心していると、「ちょっとこれ見てよ。」と荷物を置くなりジーパンとパンツをおろして陰部を見せられた。
左鼠径部から陰嚢が腫れていて触ってみるとぶよぶよとしている。少しだけ熱ももっており、昔病院に勤務していた頃に見たことのある鼠径ヘルニアのようになっていた。

「なにこれ?いつから?」とびっくりして聞くと「ゆうべみんなと挨拶を終えて、ひとりでホテル帰ってシャワー浴びようと思ったらこうなってた。」と言う。
無事に帰って来たと安心してたところにそんなものを見せられて動揺していたんだと思う、「すぐ、病院行こう、なんで〇〇なんか買いに足を延ばしてんのよ」ときつい口調で言っていた。
すると主人は「大丈夫だよ、昨夜のうちに病院に電話して症状を話したら明日来てくださいって外来の予約入れてあるから。」とケロッと言う。
落ち着いて話を聞けば陰部自体は少し熱くなってるかな?程度で本人に発熱はなく痛みもないし、裸になるまで気がつかなかったから違和感もなかったと言う。
そんな症状を説明したら明日の診察でも大丈夫でしょうとのことだった。
実際本人も面白がってるかのように(下半身丸出しで)「こんなになるんだな」なんてブヨブヨになったところを揺すって見せていた。

その夜は不調を訴えるわけでもなく、疲れたと早く寝るわけでもなく家族と食事をしていつもの夜を過ごしていた。




癌という病気 その15(やっと半分??)

2017-12-01 17:58:43 | 主人のこと
さて、一週間入院を延ばしてもらったのですぐさま新幹線のチケットと、最寄駅に近いホテルをとっていた。

いつもだったらその公園でしずむ夕日を見たあとに一通りの自己紹介なぞをして、そのまま宴会になるホテルに泊まっていたのだが、今年はあえてちがうホテルにしていた。
酒もそうは飲めないし、やはり自分の体がこんなであることでいたたまれなかったのだと思う。

出発の前日に外来で受診があった。
抗がん剤治療ではなく腸閉塞で作った人工肛門のその後の経過を見るためだ。

経過は順調だった、パウチは両面テープのようなもので直接お腹に貼り付けるのだが、肌の弱い人はその貼り付ける部分がかぶれてしまったりただれてしまったりすることもある。
人工肛門自体もただれてしまう人もいる。それをスキンケア外来で診てもらうのだ。
主人は特に問題もなくスキンケア外来は終わったが、その時に外科のドクターから腹水が溜まってるので少しとって検査にまわしましょうと言われ施術して帰ってきた。
結果は次の入院の時にわかるとのこと。
その日の夜も不調は訴えなかったしいつもどおりの食事をし明日を楽しみにして寝た。


イベント当日、新幹線の時間にはあまりあるくらいの余裕をもって家を出ていった。
私は小煩いと言われようとも「具合が悪くなったら戻ってきてね。」とか「もしパウチが外れちゃうようなことがあれば大抵の総合病院の売店で売ってるからそこで買えばいいよ」とか、「何かあったら救急車を呼ぶんだよ」と口を出していた。
「大丈夫だよ、何かあったらすぐ連絡するから」と10時過ぎに出かけていった。

昼前頃「東京駅に着いたよ。これから新幹線に乗るよ」とメールが来た。
「楽しんでね」と返事はしたものの何があるかはわからないのでいつでも出かけられるようにと準備だけはしておいた。

そのイベントにも一応集合時間がある。午後5時だ。
自転車で行っていた時はたいていその1時間前くらいについていて、「今年も無事着きました」とメールをもらっていた。
が、今年は5時過ぎてもメールが来ない。
新幹線だから4時過ぎには到着しているはずなのに何もない。

しびれを切らして6時すぎ「無事に着いたの?」とこちらからメールをした。すると「うん、今夕日が沈むところだよ」となんとも呑気なメールが返ってきた。
こっちはいつ呼び出されてもいいようにと準備をして待っているのに家族が心配しているなんてかけらも思っていないのだ。
ムッとして「そりゃ、楽しんでるところ邪魔してすいませんね」と嫌味たっぷりのメールをした。
「あ、ごめん。すぐ連絡しなくて悪かった」ときたので「うるせー」とだけ返し、その日のメールは終わった。



今ふと思ったけど、「癌という病気」というタイトルで日記を書いてるけど、あまり癌がどういう病気なのかは書いてないですね。
明日からはタイトルを変えたほうがいいかもしれないなぁ・・・