あんなに嫌いだったのに

平成29年10月に夫がすい臓がんで先に逝ってしまいました。
定年したら離婚しようと準備していたのに・・・

癌との毎日 その21

2017-12-11 19:17:16 | 主人のこと
本格的に腹水を抜いたのはこの日が初めてだった。

さて腹水が溜まってしまった人のためにcart(カート)という処置がある。
肝硬変などが悪化しても腹水はたまるのだが、腹水の中にも大事な栄養があるため抜くだけだと急に弱ってしまったりする。なので抜いた腹水をきれいに浄化して必要な栄養をまた体内に戻すという処置だ。簡単に言えば人工透析の腹水版とでも言おうか。
残念ながら施術してくれる病院はあまり多くはないが、主人が通っていた病院では行うこともできた。
前回の入院のときに主人がドクターにcartはできないのかと聞いていた。
が、「肝硬変にはとても効果があるが、癌にはあまり効果がないのでやらない」と言われたようだ。

腹水で食べられないと言い始めた頃から私はネットで腹水のことを調べていた。ある有名な医師がそのcartを癌の腹水のために改良したものがあるのをネットで調べて知っていた。
癌の治療ではなく、癌によって溜まってしまう腹水を抜き浄化してまた体内に戻すという処置だけを行ってくれるのだ。
癌に対する治療投薬は従来の病院で行って、腹水だけを抜きにいくというピンポイントな処置とでも言えばいいのか。

主人も日々溜まっていく腹水に苦しんでいたため、そんな病院があるなら行ってみたいと言っていた。
しかし、癌で治療投薬している限り紹介状が必要になる。
またムッとされるかもと思いながらも担当医師に紹介状を書いてもらえないかお願いした。
「あぁ、いいですよ。それで気が済むならぜひ行ってみてください」と了承してもらえた。

腹水は2時間かけて2リットル抜き、その後ストーマの外来を受診して帰った。

紹介状を書いてもらった主人は家に帰ってすぐにその腹水を抜く病院(K病院)に電話をして翌週の月曜日に予約を入れていた。


2リットルも腹水が無くなったおかげか、その日の夕食は普通に食べていたし、以前に書いた最後の餃子もその日の二日後だったが美味しいといいながら食べていた。

二回目の月命日

2017-12-10 19:56:41 | 日記
今日は主人が逝ってから2回目の月命日です。


この二ヶ月が長いか短いかに答えはでない。
もう何年も顔を見ていないような気もするし、つい昨日看取ったような思いもあるからだ。

現実は受け止めているつもりだ。
主人がもういないのもわかっている。帰ってこないのもわかっている。

遺影が元気な顔で笑っている分、私が看取ったガリガリに痩せズタボロの(記憶の中の)この人は誰だったのか?と思うこともある。


元気な(遺影の)顔の主人と、最後の家族以外の人には見せたくない主人の顔が私のなかで一致しない。

元気なままいなくなった主人と、見てられないくらい弱った主人の二人が心の中にいる。


どっちの主人がこの先の私に残ってしまうのだろう。



私が死ぬときにどちらの主人の顔が思い浮かぶのだろう・・・

癌との毎日 その20

2017-12-08 17:45:24 | 主人のこと
土曜日に退院して次の外来は木曜日の予定だ。
帰るなり発熱もしたが処方されていた解熱剤で下がったのでそのまま予定の外来までは受診はしなかった。

しかし腹水は増えるばかり、とうとう左下腹部や臀部腰部の痛みも言い出すようになり、体を動かすことは減った。
朝のお散歩も行かず、自転車なんて「行きたい」とも言わなくなり一日中ベッドで過ごすようになった。以前なら痛みがなかったり調子が悪くなければ自分から積極的に体を動かしていたが、「なんだか体を動かせば動かすほど腹水が溜まっていくような気がする」と言ってパソコンの前にも座らなくなっていた。

癌が見つかってすぐに仕事を休職扱いにしてもらっていたのだが、一ヶ月に一度くらいは職場に必要な書類を届けに行かなければならないことがある。
腸閉塞で入院しているときは私が行ったが、それ以外は自分で自転車やバイクで行っていた。

外来予定の2日前に提出書類があったらしく「職場にいかなくちゃ行けないんだけど連れてってもらえるかな?」とお願いされた。もちろん連れて行くけど、「辛いなら私が届けに行ってくるよ?書類渡すだけでしょう?」と聞くと「休職して〇〇日(何日か忘れた)経つと、△△(現場)扱いなのが総務の人事課預かりになるんだ。みんなに挨拶したいから乗せて行って」と言う。断る理由もないし心配だから了承し、では行きましょうとなるが助手席ではなく後部座席に座った。そしてそのまま上半身は横にして「これが楽だからここでいい?」と言う。
だいぶ辛かったようだ。座っていると臀部に電気が通ったような痛みが走ると言っていた。

元気な時なら裏道使って最速のルートで行くのだが、この時は混んでも路面のいい大きな道路を選んで使って行った。
職場に着き私は車で待機していたが、20分ほどで戻ってきた主人は久しぶりに上司や同僚部下の方々に会えたのがうれしかったようだ。

2日後の外来はいつもの通り採血から始まるが、主人が自分から「先生、僕今日は抗がん剤を入れる自信がありません。とにかく(腹水のせいか)お腹が苦しくてろくに食べてないんです。」と訴えた。ドクターは「そうですか、じゃあ今日は(お薬は)無しにして腹水を少し抜きましょう」と言った。
入院中には腹水を抜いて欲しいと言っていた主人だが、退院してネットでいろいろ調べたのだろう、腹水を抜くと急に弱ることがあるのを懸念していたようで「え?腹水抜いたら俺死んじゃったりしませんか?」となんとも無礼なことを口にした。隣で聞いていた私は内心(おいおい、言い方ってものがあるだろう)と思いながら「ほとんど絶食に近い状態でだいぶ体力が落ちているのを心配してるんです」とフォローを入れた。
ドクターがムッとしたのは見逃さなかったが「大丈夫です、僕は医者ですよ」と言われ主人は「はい・・」と恐縮していた。


癌との毎日 その19

2017-12-07 17:54:34 | 主人のこと
話は前後してしまったが、そういうわけで退院のお迎えは長男にお願いしていた。

私は7時には家を出発しなければならなかったので、朝起きていつものように具合を伺うメールをするとすぐに返事が返ってきた。
「変わりないよ、腹水も抜かずにこのまま退院だって」と。
「ただ、夜中に何度もトイレに目が覚めて全然眠れなかった。尿意はあるけどたいして出ないんだよね。」と愚痴をこぼしていた。
利尿剤のおかげで頻尿になっているようだが、あまり飲食していないためか出る尿が無いようだった。

家に帰っても利尿剤は処方されるだろう、自宅にトイレは1階にしかないし、主人は2階で寝ている。夜中にそうなんどもトイレに降りてくるのは眠れないだろうから「退院の時に病院の売店で尿瓶を買って帰ったら?」と提案した。「尿瓶なんてカッコ悪い」と返事が来るものと思っていたらあっさりと「うん、そうする。毎晩こんなんじゃ体力が持たないよ」とちょっと意外な返事が戻ってきた。だいぶ堪えたらしい。

そんなやりとりをしているうちに私は出かけなきゃいけない時間になってしまい、「何かあったらすぐ連絡して、メールじゃなくて電話でいいからね」と朝のやりとりは終わった。

父のお墓は管理墓苑なので、大勢の人と一緒に法要を受け、その後各自の墓参をする。そしてその後簡単な食事という流れ。法要は11時からで12時より食事の予定だった。

食事が始まる前にメールで「お墓参りも終わってこれから食事になるよ、そちらの具合はどう?」とメールをすると「〇〇(長男)の運転が怖かった(笑)、ちょっと疲れたかな」と返ってきた。メールを見る限り具合が悪そうではなかったので「そうか、予定通りに食事を済ませてから帰るんでも大丈夫かな?」と聞くと「大丈夫だよ、親戚が集まるのも久しぶりなんだろうから楽しんで」と言ってくれた。

滞りなく7回忌も終わり、主人からこれといった連絡もなく母を実家に送り届け自宅に戻ったのは5時くらいだった。

居間にはいないのでベッドまで様子を見に行くと静かに寝ている主人がいた。
ドキッとした。あまりにも静かに寝ているのだ。もしかして死んでいるのでは?と焦って頬に手を当てると目を開けた。「具合悪いの?」と聞くと2時過ぎ頃から熱が出てると言う、たしかに額に手を当てると熱い、すぐさま体温計で熱を測ると38度近くあった。
「すぐ連絡してくれればいいのに、病院行こうよ」と言うも、「熱が出てすぐ(病院に)電話したんだ、こういう時のために処方されている薬があるからそれを飲んで明日(熱が)下がらなかったら来てくださいって言われた。さっきまでは38度を越えてたんだよ、汗も出始めてるから下がってきてるよ。」と言う。
「なんで連絡してくれないのよ」と文句を言うも「(遠いから)焦って運転して、事故でも起こしたら大変じゃん、俺より先に死なれたら困るよ」と笑っていた。
その日は一時間ごとに熱を測り様子を見ていたが、解熱剤が聞いたのか次第に平熱に戻っていった。

次の日は日曜だったが救急外来に行こうと提案するも「熱が下がらなかったら来てくださいって言われたし、熱も下がったから大丈夫だよ」と結局次の外来予約まで受診はしなかった。


癌との毎日 その18

2017-12-05 21:01:16 | 主人のこと
三泊四日の入院中は別段これといって変わりはなかった。

予定通り二日目に新たな(従来の)抗がん剤を投与し、とくに副作用もなく終わった。
入院初日にメールで知らされていた腹水も抜くことはなかった。
三日目の朝には軽減したのだ。
あんなにブヨブヨしていた下腹部が(特に陰嚢)きれいさっぱり引いてしまった。
寝てばかりいたためか下腹部に集中していた水が全身に逃げたのか、点滴で入れられた利尿剤が効いたのはわからないが、お腹に針を刺して抜くほどの腹水の層がなくなってしまったのだ。
ある程度の水の層がないと逆に内蔵を傷つける危険があるため腹水を抜くのは中止になった。

入院二日目、三日目もちゃんと面会時間に会いに行った。
本人も暇をもてあましながら元気にしていたし、病棟の面会者ラウンジでいい景色を見ながら(11階なのでいい眺め)コーヒーを飲みながらいつものようにくだらない話をしたりしていた。

腹水が軽減したおかげで少し食欲も戻っているようだったし、たまに起こっていた痛みも腹水軽減と共になくなっているようで「痛み止めも飲んでないんだ」と言っていた。

最終日の退院は特に何もなく迎えに行くだけだったのだが、私は迎えに行くことができなかった。
その日は私の実父の7回忌で私がメインで働かなければならない。
実母は高齢で運転免許もないし、移動手段もない。

主人が自分のイベント参加のために入院をずらしたいと相談を受けた時に退院と法事が重なることはわかっていた。主人は自分のイベント参加しか頭になかったのだろう、主治医に入院をずらしてもらってほくほくしている帰りの車中で私から「お父さんの(私の)法事はいけないね、でも私も退院のお迎えには行けないよ、その日はお父さんの7回忌だから」と言った。


父の法事の話は癌が見つかった時にも、腸閉塞で入院した時にも話はしていた。
「無理そうだから私はともかくお父さん(主人)は欠席で返事をしておくね」と。
その度主人は「いや、行くよ。お義父さん(主人にとっての)にそんな不義理はできないよ」と言っていた。


私がそれを(7回忌の欠席)言ったときにまた「しまった」という顔をした。
多分父の法事など頭からすっぽ抜けていたのだろう。

ムカつかないと言ったら嘘になるけど、私の父の法事に主人がいなくてもそれほど支障はないし、むしろ病院に居てくれれば何かあった時に安心だから責めはしなかった。
退院のお迎えは長男にお願いすればいいとも思っていたからだ。(そのときは退院時に長男がこっちに戻っていることはわかっていた)


「あ!・・・・う・・・」と言葉につまった主人の顔は少し笑えた。