あんなに嫌いだったのに

平成29年10月に夫がすい臓がんで先に逝ってしまいました。
定年したら離婚しようと準備していたのに・・・

癌との毎日 その26

2017-12-19 22:34:51 | 主人のこと
退院の言葉がドクターから出たためかその後その日のメールに弱音は一切なかった。
本当にくだらない他愛もないメールばかりが何通も送られてきた。
私はと言えばドクターに言われた「ご主人には内緒で」の一言で心は落ち着かないが、主人に悟られてはいけないと努めて普通の返信を返していた。

つもりだったが、今これを書いていて「かつての私はこんなくだらないメールにこんな優しい返事なんてしなかったな」と今改めて思った。当時のメールのやりとりを読み返してだいぶテンパっていたんだなと、変な話だが今、このブログを書いていて実感した。

幸い主人に私の動揺は気づかれなかったようで、穏やかにその日のやりとりは終わった。


次の日ドクターと約束した時間に外来に向かうが、もしどこかで主人に見られてしまったらどうしようと少し焦りながらもコソコソと外来の待合で息を潜めて面談を待った。

担当ドクターの予約の患者さんをすべて捌いた後でのイレギュラーの面談だったので、ドクターに会えたのは12時を少し過ぎていた。

覚悟して診察室に入る。
相変わらずドクターはハキハキとした好青年で、それでいて物腰は柔らかくまずは私に非常に丁寧に「今日は突然お呼びだてしてすいませんでした」と頭を下げた。
その頭を下げた時に「あ、やはりいい話ではないんだな」と思った。

これを言葉にするのはすごく難しいのだが、本当にかつて外来で会ってきたドクターとは空気が違うのだ。
「いえ、私もちゃんと話を聞きたいと思っていたので、呼んでもらって良かったです」と強気を崩さないようにと答えていた。


「まずはご主人の経過のことが気になっていると思います」とドクターが話始めた。
喧嘩上等くらいなんかいろいろ言ってやろうと思っていたのに「はい、どうなんでしょう?」としか返せなかった。


「はっきり言います、どんなに長くても年内でしょう」


ドラマなどでよく聞く言葉だが、実際こんな言葉を言われるとは思っていなくて、もっとオブラートに包んだようなバツが悪そうに言う言葉なんじゃないのか?とびっくりした。

昨日の電話で覚悟はしてきたつもりだ。「多分余命宣告なんだろう」とも思っていた。
でも、いつものようにハキハキと好青年ぶりを醸し出し、でも決してチャラくはなく余命を告げられ、「わっ」と泣き崩れるわけでもなく、「どうにかなりませんか?」と詰め寄るでもなく、ただただ「そうですか」としか言えなかった。




癌との毎日 その25

2017-12-17 21:16:25 | 主人のこと
担当のドクターは外来を持っているため病室にくるのは大抵は夕方すぎだ。
私は(平日)2時からの面会時間に合わせて病院に行き、子供たちが帰ってくるまでには夕飯の支度をしなければならないので5時か遅くても5時半には病院を出ている。

病院に不信感を持ったその日も5時に病院を出て自宅へと運転していた。
5時半頃バッグの中で携帯がなるが、運転していて取ることはできない。

停められるところを探して、携帯をみるが知らない番号からだ。でも、市街局番で病院だろうということはすぐわかった。
こちらからかけ直そうとしている時に再度携帯が鳴った。
担当のドクターからだった。

夕方病室に顔を出した時に主人から話があったのだろう。
私が憤慨しているとでも言ったのかもしれない。

とても丁寧に「連絡が遅くなってすいませんでした。」と謝られた。
そして「一度奥様にもお話しておきたいので病院に来てもらってもいいですか?」と言われた。つい数時間前に主人相手に噛み付いたばかりなので、こっちから言い出さないと説明もないのかよと心の中で悪態をつきながらも「はい、大丈夫です。いつでも行けます」と答えた。
ドクターは「では明日でもいいですか?」と言うので「もちろん、面会時間の2時には病室に行ってますので先生が(病室に)来てくれるまでは待っています」と答えるも「いや、ご主人には内緒で僕の午前中の外来に来ていただきたいんです」と言われた。

途端に心臓がバクバクいいだした。
え?主人には内緒で?それって余命宣告?え?え?午前中?外来?え?え?ちょっとしたパニックになった。
そんな動揺を感じとったのかドクターが「まずは奥様とだけで話をしたいと思います」と切り出した。そんなことを言われたらもう悪い方にしか話はないよなと思いつつ、いたって平静をたもち(保ったつもりだが)次の日の約束を取り付けた。
そしてドクターが「二度手間になってしまうのは申し訳ないのですが、そのあと夕方にご主人と三人で話がしたいので、もう一度来ていただくことはできますか?」と言われた。
あくまでも午前中のドクターとの面談は隠したまま、夕方今後の治療方針を相談しましょうと言うスタンスできて欲しいとのことだった。
全身の毛穴が開いたようないや汗がでるが「はい、わかりました」と電話を切った。

心臓はバクバクしたままどうにか自宅まで帰り、夕飯の支度なんて手もつけられないままボーッとしてると主人からメールが来た。
「先生から電話が行ったんだね。明日五時半に面談だって今先生が言いに来たよ」と。
私だけが外来に呼ばれてるとは知らない主人が「経過がいいから退院の話をしましょうって言ってたよ」と嬉しそうにメールをよこした。


癌との毎日 その24

2017-12-16 18:34:31 | 主人のこと
一度自宅に帰り、入院に必要なものを揃えトンボ返りで病院に向かっていると主人から病棟に上がったとメールが来た。
腹水は予定通り2時間で2リットルを抜いたようだが、吐き気も収まらないしお腹の張りもあまり変わらないと言う。

夕方食事はでたが重湯・ポタージュ・牛乳・アップルジュース・ジョアとすべて飲み物でげんなりしていた。
結局ほとんど手をつけていなかった。

次の日の朝のメールは弱音から始まっていた。痛みでほとんど眠れなかったと。
横になっていると痛みが増すからと四つん這いになったり、ベッドに腰掛けたりして過ごしたと言っていた。

その日は造影剤を入れてCTを撮るということだったが、私に歯医者があったためそれにつきそうことができずに、撮影前に病院を後にした。
痛みのために撮影中横になっているのも辛かったと後で話してくれた。

入院して三日目に痛みに対する処置のため麻酔科のチームが病室に来た。
もう点滴や服薬では痛みは収まらなくなっていて、痛む腰や臀部にピンポイントで麻酔を入れるということだった。
腰やお尻に4箇所注射で麻酔を入れると格段に効果が出た。

あれだけ訴えていた痛みが90%くらいは軽減したと言う。動くと少し痛いかな?くらいになった。

痛みの訴えはなくなったが、腹水は溜まっているようで相変わらず食事は取れていなかったが、痛みがなければ睡眠は取れるようで次第に元気が出てきた。

毎日が一進一退といった感じで、朝「吐き気がひどい」とメールが来るが面会に行くと「すっかり(吐き気が)引いちゃった」と言ってコーヒーを飲んだりするが、私が自宅に戻る頃「コーヒー全部吐いちゃった」とメールがくる。

それでも面会に行けば日に日に顔色も良くなってきていて、一緒に院内のコンビニに買い物に行ったり、そこで自分の食べたいものを買って食べたりも(量は少ないが)できるようになってきていた。

さて、入院してから明日で一週間になろうかという頃、面会中に主人から「明日からリハビリがあるんだって」と言われた。
「なんのリハビリ?」と聞くと「さぁ?なんか歩くみたいだからスニーカーを用意してくださいって言われたよ」と言う。
私は「筋力低下を懸念してるんだな」とすぐ思ったが、それにしても入院してから何回か行っているCTやレントゲンの結果を何一つ説明されていないのにいきなりリハビリってどうなの?と不信感を持ってしまった。
「え?おかしくない?お父さんこの前撮ったCTの結果の説明受けたの?私に言い忘れてただけ?」と聞いてみた。
すると「あぁ、そういえば撮ったよね。何も聞いてないや」と言う。
回復しているにしろ、悪化しているにしろそういった説明はあるものだと思っていたので、主人相手に「おかしいよ、まず説明があってその後ああしましょう、こうしましょうって話を進めていくものじゃない?なんの説明もなく突然リハビリって点数かせぎにしか思えないんだけど。この病院信用していいのかな?」と言ってしまった。

私自身が以前病院に勤めていたこともあるが、実父や兄が入院した時もどの病院も何か検査をしたらその結果は必ず報告説明されていた。家族がいなければ本人相手に説明があった。
その上で今後の治療方針を相談する、それが当たり前だと思っていたからだ。

私があきらかにムッとしているのを感じたのだろう、「先生に会えたら言ってみる。そうだよな、気になるよな」とまぁまぁ落ち着いてといった感じで主人にいなされた。



癌との毎日 その23

2017-12-14 18:10:42 | 主人のこと
その日都内の病院で腹水を抜くことはできなかったが、苦しく辛くなれば電話連絡すればすぐ施術出来ると納得安心して帰宅した。
帰りの道路も空いていて問題なく帰ってきたが、やはり疲れたのだろう、たいした食事も取らず(取れず)に寝てしまった。

次の日からは悪化する一方で、一日中ベッドですごしクロスワードや携帯をいじっているだけ、臀部から腰部にかけて痛みが走るとも言い出し横になることもできず、ストーマパウチがあるためうつ伏せになることもできずに_| ̄|○ ←こんな体制になって痛みを逃がすことが多々あった。

医療麻薬の処方もされていたため、痛みが出れば飲んでしのいでいたがそれも追いつかなくなってきていた。

腹水もすぐに溜まってきていて胃が苦しいとか、呼吸すると吐き気がするとほぼ水以外何も口にしないでいた。
水でさえ飲めば吐く、以前に書いたが土曜日に餃子を食べた以降はほぼ絶食状態で木曜日の外来に行った。


毎日顔を見ている私でさえ、「こんなに痩せてしまうなんて」と思うほどガリガリに痩せていった。

いつもどおり受付を済ませ、月曜日に行った都内の病院の医師からの返事を渡し、いつもの流れで抗がん剤センターに向かう。

外来の抗がん剤投与の前には必ず血液検査と、抗がん剤センターでの問診がある。
体重の減少も問題だったのだろう、血液検査の結果も良くなかったのだろう、センターより先に受診してくださいと言われ待合室へ戻る。問診をしていたナースが「この状態でよく歩いていますね、車椅子は用意しなくて大丈夫ですか?」と心配していた。

待合室に戻るとすぐに呼ばれたのは処置室のナースからだった。
担当医師に会うより前に処置室のベッドに案内され、栄養状態が良くないのでまずは栄養点滴を入れますと説明を受けた。
ナースがバタバタと準備をしているうちに担当のドクターがやってきて「もう、このまま入院しましょう。この状態では抗がん剤なんて無理です。まずは体力を回復しないと、腹水も溜まっているようなので腹水を抜いてから病棟にあがります。」と言われた。

当然入院の準備はしてきていないので主人が腹水を抜いている2時間の間に入院手続きや、入院に必要なものを準備するために私は一度自宅に帰ることにした。


癌との毎日 その22

2017-12-12 19:16:43 | 主人のこと
翌週月曜日に書いてもらった紹介状を持って件の病院へ行った。

その病院は都内のT区にある。
自宅は圏央道が出来たおかげで東名にとてもアクセスが良くなり、都内ならば1時間くらいで行ける。
混むのならば用賀をすぎて首都高に入ってからだろうと思っていたので2時間少しで行けるだろうと思っていた。

予約時間は午後2時だ。11時半頃に出ようかと思っていたのに、主人は10時前には出発したいと言う。
「あまり早く着いてしまっても2時までは診てもらえないし、早すぎない?」と言うも「間に合わないよりずっといい。コインパーキングも探さなきゃいけないし、道に迷うかもしれないだろう。」と反論された。
その病院には行ったことがなかったが、実は私には同じT区に親戚がいて都内もT区もちょいちょい行っていた。数年前に大橋JCTができてから首都高もそれほど混まなくなったのも知っていたので、「なんの問題もなく到着すれば、向こうで2時間は時間を潰さなきゃいけなくなるよ。」と提案するが、「それでも同じ2時間を待つなら現地がいいよ。俺は時間に間に合わないのが一番嫌なの」と頑なに主張された。

言われた通りに10時前に出発し、11時すぎには到着してしまった。
とにかく病院の場所を確認し、時間を潰すために少しその辺を歩いてみるが、あまり具合は良くないようですぐ「疲れた」と言い出した。
昼食をと近くのファミレスに入るが、お昼時の混雑する時間に2時間弱も席を確保するのは気が引けたし、だいたい主人は腹水で食べられないのだ。

それでも食べられそうなものを頼むが半分以上残し、結局診察までの残り1時間をコインパーキングに停めた車のなかで過ごした。

つくづく、スマホって便利だな、スマホにしておいて良かったなと思ったものだ。


予約した2時にその病院に行き、紹介状を渡し今までの経過を説明する。
よく喋る関西弁のドクターだ。
その場で腹部エコーをするが腹腔内にガスが溜まっているためよく見えないと言う。
持参した紹介状と一緒にCTのディスクも入っていたが、ドクター曰く「こんな一ヶ月以上前のものをみても今がわからないとなんとも言えない」とCTをとることになった。

結果、「木曜日に腹水を抜いているから今日は抜くほどの腹水の層はない、無理やり抜くことはできなくもないが、今我慢ができるなら今日はやめておきましょう」とのこと。
「でも、苦しくて我慢ができなくなったらすぐに来てください。そのときは抜きましょう」と言われその日の診察は終わった。

主人も我慢できなくなればすぐに施術してもらえることに安心したのか、それで納得していた。