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高野山大学スクーリング

2020年08月03日 | 高野山大学

このたびは新型コロナの影響で、心配なことが多くて神経を使いました。

まず7月30日に靜岡を出発するときの新幹線ですが、自由席の5号車で余裕の乗車率30%。

つまり2列に3人座っていたということ。

時間帯によりますが、大阪をお昼前後に抜けるときは地下鉄も空いていました。

なんばから南海電車に乗って、橋本で乗り換え、ケーブルカーに乗り、高野山へ向かうのもガラガラでした。

順調に現地へ到着し、まずは宿坊へ直行します。

去年は夏も秋もおおぜい宿泊客がいて、情報交換などできて楽しかったのですが、今回はなんと私一人だけ。

そのため、平屋のほうの和室を二間続きで使わせていただき、ここには台所とトイレが直結しているので、いわばスイートルームみたいなところです。

もちろん私の気持ちとして、宿泊費は多めにお渡ししました。

気のおけないお友達とふすま一つで隣り合わせというのも楽しいですが、ひとりがこれほど気楽だとは思いませんでした。

2泊目と3泊目には男性が2階の個室のほうにいらしたような感じでしたが、会話することはありません。

ひとりしか泊り客がいないようではかんじんのスクーリングも半分くらいしかいないのでは、と思っていたのに、「日本密教美術」は21人もいてびっくり。

事務の方いわく、コロナが一番多い東京からおおぜい参加して次に大阪の人の数が多いです、と笑っていました。

コロナ対策はあの手この手で気を遣ってくださっていて、会場はいつものふつうの教室ではなく、入学式のあった黎明館のホールでやり、あの広い場所に点々と座席が配置されていて、21人がひとりずつかなり遠く離れて座ります。

その日の終わりにはネームをイスにかけておくとそこだけ消毒しておくようでした。

森先生はいつものようにやさしい声でつぎからつぎへと語りかけていくのですが、会場が広い上にマスクをされているので、なかなか聞き取りづらい。

あれを全部聞き取れる人の聴力はすごいですよ。

お話の半分はチベットやインドの仏像のことで、なかなか日本密教美術らしいものが出てこなかった。

大学の先生はなんとインド方面の仏教美術がお好きなことかと思う。

板書の中に艹を2つ上下に重ねた文字があり、読めなかったのですが、あとでそれが菩薩という漢字の位相文字だと教えてもらいました。

ほかにも「灌頂」のことを「汀」と書くんですって。

そういうことならば自分でも位相文字を作り出してみるのもありかなと思います。

今は帰宅してぼーっとしていますが、明日からレポートを書かなければ。

 

コロナの影響はあちこちに見られました。

スクーリングでは次の科目の先生が外国人で、日本に入ってこられなくなったので中止になったとか。

 

「奥の院参拝」

31日の早朝、宿坊の木戸をくぐって外出し、奥の院まで歩いて行きました。

一の橋へ到着したのが午前4時半頃。

そこから2kmの参道を通って奥の院までいき、朝の御膳運びの見学をめざしていたわけですが、実際に見ることができたのはちょうど午前6時でした。

午前5時から6時まで1時間ほど待っていました。

メインのお坊さんが真ん中を行き、若い人二人が長持ちのようないれものを担ぎ、拝礼しながら奥の院へ入ります。

そのあと、見学者は中へ入りますが、外陣という場所があって、「読経、納骨の済んだ方はお上がりください」というような貼り紙がしてあるところで靴を脱ぎ、中で座って読経を聴くことができます。

上がっていいものかどうか迷うところですが、女性が二人どんどん上がっていったので、あとからついていきました。

ここも場所を空けて座るような床の表示があります。

一通り終わるまでに1時間近くかかるのですが、お坊さん、まったく手元を見ずに唱えています。

さすが虚空蔵求聞持法。

私は経本を持っていたので、あの40分かかる理趣経にも耐えられましたが、なにも持たないと今どこらへんでいつ終わるのかと気が遠くなるでしょうね。

見学者数、推定10人弱。

帰りは行き以上に足に負担を感じます。

なんというか、足がだんだんおもりをつけたように上がらなくなってくるのです。

コロナの運動不足が相当祟っています。

 

「情報交換」

今回は同学年がひとりもいなくて、寂しい限り。

2019から始まる番号の人はもちろん数人あったのですが、男性だけだったような。

髪の毛パラリの若い女性も見かけませんでした。

会えるとしたら今年の秋こそ最後のチャンス。

ぜひお会いしたいです。

新しいおともだちが3人できました。

大阪がひとり、東京がふたりです。

大阪のKさん、『日本の仏教』の画像を送っていただき、ありがとうございました。

見た瞬間、靜先生のものだと思ってしまいましたが、よく見ると違っています。

「澄禅流刷毛書」

「慈雲流」

下が先生の作品で、地紋がそっくりだったので同じかと思ってしまいました。

静慈圓先生は、高野山伝燈大阿闍梨で、第五百十九世寺務検校執行法印という役職をされていました。

そんな畏れ多い方に「質問」などできるはずもないのですが、もしかしてという淡い期待をもって、奥様にお願いしたことがあります。

金剛界種子曼荼羅の供養会にある金剛護菩薩の種子のことです。

奥様から大僧正に聞いてもらえればと思ったのです。

まさかの奇跡がおこり、8月2日の夕方、奥様からお声がけいただき、先生が午後7時から面談してくださることになりました。

そりゃもう緊張しましたよ。

応接間に中国茶をたてる専用のテーブルがあり、本場のお茶を正式なお点前でいれていただきました。

そんな日がくるとは夢にも思わなかった。

修論についても相談しました。

さすがに一瞬で核心をついたご指摘。

私がいかに未熟であるかを見破られてしまいました。

修論に対する姿勢をご指導いただき、それはひたすら耳が痛い話なのでおいておくことにして、梵字についてはこうです。

どんなに形がよく梵字が描けても、基本がわかっていなければまったく意味がない。

その基本とは、51音について、形とともに、ローマナイズされたものを覚えること。

ローマナイズから梵字へという転換、相互に自由自在に往復できなければならない。

また悉曇十八章を完璧にマスターしておかなければならない。

以上の2つができていないと指導するスタートラインにもつけないということです。

それでも粘って粘って、金剛護菩薩の種子は示していただきましたが。

先生は7年くらい前まで高野山大学のスクーリングで梵字の講師をやっておられたそうです。

そのあと現在の五十嵐先生に代わりました。

五十嵐先生は松本俊彰先生の直弟子で、その手法そのままらしい。

そのためひとりひとり添削しながら授業を進めておられるので時間がかかって悉曇十八章はもちろん、切り継ぎの段階にも入っていけないのだと思いました。

静慈圓先生のときはあの短い期間で悉曇十八章にまで触れたんですって!

これは必ずやらなければならない。

だから東京の梵字書道でともだちから聞いた、どなたかが高野山大学通信課程で悉曇十八章を描けるようになったというのは本当の話でした。

私は、だから高野山大学へ入ったのだと二度ほど強調して、静先生に食い下がり、ついに金剛護菩薩の種子を教えてもらいました。

つぎにもしもお会いすることがあるとすれば、独学でも悉曇十八章を書いていかないとまずいです。

できれば朱筆を入れていただいて初めて弟子入りということですね。

敷居はそりゃもう高いのなんの。

2時間半ほどお話を伺い、悉曇十八章のはめ込み方を教わり、中国茶をごちそうしていただき、夢のような時間でした。

先生の本をいただきました。

この中にも種子曼荼羅がのっています。

あとはもうどうしていいかわからない、というのが正直な感想です。

 

8月2日は日曜日で、講義の最終日。

最後は霊宝館にて、森先生に解説をしていただきながら見学をします。

私は美術館があまり得意ではなく、何を見たか何を感じたか、非常に感性に乏しくて・・・・・

あれからまだ2日も経っていないのに、十三仏がいくつかあったとか、来迎図があったとか、断片的にしか思い出せません。

孔雀明王像のときのようなインパクトの強い展示仏はなかったですね。

先生から新潮社『図説日本の仏教』というシリーズを紹介していただいたので、早速タブレットでヤフオクにて発注。

第2巻ひとつだけでよかったんですが、ついいきおいで全6巻とも注文してしまい、本体7100円、送料が1350円くらい、けっこう散財してしまいました。

まだ手元に届いていないので、それが来てからスクーリングのレポートを書こうかと思います。

 

昼食は肉の吉田屋を左へ行ったところにある中華料理「ミッチー」?でおともだちといっしょにいただきました。

この店は高野山8回目にして初めて入ったのですが、8月1日(土)酢豚定食、2日には唐揚げ定食、どちらも810円で価格相応に美味しかったです。

食後いったん宿坊に帰り、一息ついてから歩いて徳川家霊台と女人堂を見学。

どちらもわざわざ足を運ぶのはいかがなものかと思われました。

徳川家霊台は、日光東照宮には及ばないまでの地元の久能山東照宮でも国宝に指定されているし、規模においては比較になりません。

女人堂はバス停にストップしたときに車窓から見るので十分です。

 

このあと、東京のMさんと一の橋近くの香老舗「高野山大師堂」へ行き、お買い物。

おすすめの塗香のほか、黄櫨染風匂い袋、五鈷杵を買いました。

黄櫨染匂い袋に五鈷杵を入れて身につけ、コロナ感染リスク(公共交通機関利用後)が消滅するまでしばらく警告用として香りを漂わせておきます。

 

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