月の晩にひらく「アンデルの手帖」

寂聴さんの蟄居は燃えるように豊かだ





(実山椒の佃煮をつくる)

 


ある日。5月15日(金曜日)晴

 

 7時におきて、30分お風呂。10分瞑想をして朝食の準備。きょうは、路地モノのいちご、夏蜜柑、アボガドなどを盛りつけ、ブラック珈琲で。

 

 この頃、朝日新聞の朝刊に目を通す際、昨日の日本の感染者数・世界の感染者数をみるのが習慣になっている。一喜一憂はしない。実際にはこの数字の何倍なのだろうか。未来という言葉の響きが白々しく聞こえる。

 

 目を移し、瀬戸内寂聴先生の書かれた昨日のエッセイを読み返す。



「蟄居(ちっきょ)の日々、人生を懐かしむ」というタイトル。満98歳のお誕生日を明日迎えるとあった。蟄居、の蟄という感じを改めて分解すると、幸、丸、虫となる。古典的なニュアンスだ。特に「虫」というの文字がいい、虫のように丸まって没頭しているのだ。孤独でも個人は幸せなのだという、古人の声がきこえてくるよう。

 

 寂聴先生は93歳の頃に、ガンで闘病され、腕がしびれて力が入らず、万年筆をもつこともできなかったと、NHKで仰っていた。それでも凛として、こうして佇む先生のお姿がある。

 「書いていたらね、ちっとも辛くないの。エネルギーが湧きあがってくるのよ」とも。

 筆力、衰えていない良いエッセイだった。毎日、読んだり書かれたりしていたら、98歳まで、溌剌とした随筆が書けるのだと感動する。

 

 「いのち」という長編小説も読んでみたい。

 

 お昼から夕方まで仕事をする。夕方。散歩に出た。

 

 ご近所をぐるっとまわり、外の空気を取り入れながら、住宅街の家々の花をみていると、黒い大きな何かがこちらをにらんでいた。ある家の駐車場。でこぼこに波うっているトタン屋根の上からである。一瞬。目をそらしたくなるほど、大きい。立ち止まってみつめる。

  墨をぬったような黒々とした姿で、肉づきがいい。下をむいてなにをしているのだろうとみると、くちばしを一生懸命、トタン屋根にこすりつけたまま、左右に首をふっては、こすりつけて。わからないが鋭敏にくちばしを研いでいるよう。観察しすぎたのか、今にも飛びかかってきそうな勢いでにらまれた。

 

 そういえば昨年。大きなカラスが、羽を「しゅんしゅん」と音をさせながら風にのって漕ぎ、私の耳のすぐ横から、肩のあたりにむかって、凄い勢いで飛んできて、通り過ぎた時には怖くて鳥肌がたったこともあった。その映像がありありと浮かんできて、急いでその場を走り抜けた。

 

 帰宅後。6時からパパさんはオンライン飲み会。

 丹波篠山ことりさんの餃子と中華まんを蒸し器にいれ、小松菜とクレソンのごまあえ、で簡単なアテを用意。ジントニックをつくって甲斐甲斐しく運び、あとはおもいっきり自由時間といく!



 本を読みかけて、結局、母と90分も長電話して、再び本に目を移したら、「はやくおわってごめんな。ゆっくりできた?」とリビングに戻ってきた。すでに8時。

 

 ザーサイ入りの中華がゆを温め直して、ことりさんの点心をいただく。

 梅酒オンザロックとともに。

 


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