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阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

積極的な信仰の姿勢を養う

2010-05-31 01:23:34 | Weblog
2010.5.30.積極的な信仰の姿勢を養う
聖書 使徒の働き8:26~40
題  積極的な信仰の姿勢を養う

はじめに
1. ピリポと宦官
2. 宦官の主体性
3. コーチングから


はじめに

 先週、津田キリスト教会にコーチングの学びに行きました。そこで学んだことは積極的な信仰姿勢でした。自分から積極的に主を求めていく姿勢です。
今日はあとで、メッセージから学んだことを分かち合います。ですから、よく聞いて、心にとめてください。

信仰姿勢には2つあると思います。
①主の導きに従う。主に対する従順を養う。
②自分から積極的に主を求める。信仰の主体性を養う。
どちらも主の願いです。主の祝福に与ることができる信仰姿勢です。2週間前のメッセージで神のみ声に従う時、想像もしなかったすばらしいことが起こることを学びました。ですから、神のみ声に従順に従うことはとても大切なことです。また、さらに成長するために必要なことは、積極的に神を求めることです。自分で聞いて、自分で考えて、自分で決断し、やってみることです。「信仰の主体性を養うことを大切にしなさい」ということを何回も繰り返し、教えてくださいました。

1. ピリポと宦官

ピリポは聖霊の声を聞いて、宦官に近づきました。宦官はイザヤ書の53章を読んでいましたので、その個所から、聖書の解き証をしました。これはイエス・キリストについて書いてありますよ。あなたの罪のために十字架にかかられました。・・・・とイエス様の救いについて証をしました。すると、宦官はイエス様を信じました。さらに、馬車に乗ったピリポと宦官は、道を進んで行きました。進んで行くうちに、水のある所に来ましたので、宦官は言いました。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマ(洗礼)を受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」ピリポは「あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません」と言いました。すると宦官は「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」と告白しました。そして二人は水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けました。

この宦官が受けたバプテスマは私たちと同じですか。同じことと違うことがありますね。
同じことは、信仰告白をしていることです。また、水の中に入って、全身を水にしずめるバプテスマを授けていることです。
違うこともあります。
違うことは「イエス様を信じました。すぐ、バプテスマを受けます。」ということです。例えば、今日、教会に初めてこられて、イエス様を信じました。「洗礼を受けさせてください。」と申し出があったとします。わたしたちの教会は何と答えますか。「じゃ、バプテスマの勉強をして、それが終わってからにしましょう。」と答えますね。しかし、エチオピア人の宦官は、バプテスマを受ける前に、洗礼講座は受けていません。信仰告白をしただけで、「・・・・ピリポも宦官も水の中に降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。」のです。
ここが私たちの教会と違う所です。

 もっと驚くことは、エチオピア人の宦官は、水から上がると、バプテスマを授けてくれたピリポがいません。
聖書の解き明かしを教えてくれたピリポがいない。個人伝道をしてくれたピリポがいないのです。

バプテスマの時期は早くても良いのです。
例えば、病床洗礼に導かれた時などは、信仰告白が出来たらその場で、滴礼でバプテスマを授けます。(命ある時間が限られているとき)
このように病気の時だけ、早くバプテスマを授ける、そんなことはありません。いつでも、信仰告白をしたら、バプテスマを授けて良いのです。バプテスマの後に、きちんと誰かがついて、教え、訓練すればよいのです。救われた人の信仰が成長し、養われ、整えられていくためには、引き続き、教えと訓練が必要です。

信じるまでが5%、その後の助け(フォロー)が95%、必要と教えられています。大切なことは、その後、その人にいつも寄り添ってくれる先輩のクリスチャンがいることです。

しかし、宦官の場合は・・・、彼はバプテスマを授けてもらうまでは良かったのですが、彼を導いた信仰の先輩ピリポは、わずか数時間より添ってくれただけで、いなくなってしまいました。どういうこと?後は自分で、考えてやりなさいということですか?
教会とは何か?聖霊とは何か?献金の意味は何か?祈り方は?などなど、何も教えられないまま、放り出されてしまいました。一人で学べということですか?こうなったのは誰のせいですか?
(使徒8:39)
「水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので・・・」
ピリポのせいではないことは明らかです。

「神様、無責任じゃありませんか?」と宦官は文句を言っているでしょうか?文句どころか
(使徒8:39)
「水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼(ピリポ)を見なかったが、喜びながら帰って行った。」のです。

2.宦官の主体性

宦官には喜びがありました。どんな喜びだったのでしょう?
1)私は救われた!罪が赦された。神の子とされた。嬉しい!

2)聖霊様が共におられる喜びがありました。聖霊様に聞きながら歩むことができるって嬉しい(ヨハネ14:26)

3)ピリポは、私に、一対一で、聖書の読み方を教えてくれた。一対一で、人を救いに導く導き方をいてくれた。私は、貴重なことを経験できた。嬉しい!
「私も、主に聞きながら、受けたものを、同じように、他の人に、してあげることができる。やってみよう。」

「アルゼンチン・宣教ニュース・レター」1009年7月号より、在原繁宣教師が書いておられる記事の一部を抜粋。モンテカルロの教会は、確実に実力を身につけるための条件を一つ一つ踏みしめながら、進んでいっています。
確実性を身につけるための条件とは、
①自ら考えること。 ②自分で決断し、立ち上がること。 ③自分でやってみること。 の3点だと思います。
この3つは、セルチャーチとして前進している私たちの教会にとっても大切なことではないでしょうか。

「神様!なぜ、宦官は、わずか数時間、ピリポから手ほどきを受けただけなのに、なぜ、主はピリポを連れ去られたのですか?」と、主に問うなら、主からどういう答えが返って来るでしょうか?
それは、宦官が、主に聞いて、自分で考え、自分で決断し、立ち上がり、自分でやってみるようになるため。つまり神は、信仰の主体性を養うことを、宦官に教えようとしておられたのではないでしょうか?

宦官は、自分の国へ帰る道すがら、喜びながら思ったことでしょう。
「聖書の意味が分からなくて困っていたけど、主はポリポを遣わしてくださった。主は私の必要に答えてくださった。聖書はイエス・キリストについて証ししている書物であること、人を救いに導く導き方をピリポは教えてくれた。ピリポは私にバプテスマを授けてくれた後いなくなり、驚いた。でも私もこれから、主に聞いて、自分で考えて、決断し、自分でやってみよう。自分の信仰の主体性を養うことを大切にしていこう。」と。

3.コーチングから

これから、コーチングで学んできたことを少し証しします。今日の宦官の積極的な信仰を手本にして、私たちも自分で主に聞いて、自分で決断し、自分から立ち上がり、自分でやってみようと決心しましょう。今回のコーチングは実際にやってみることです。ですから、やってみましょう。

 最近、T兄が草刈機を使って、草を刈ることができるようになりました。この一週間、ずうっと、草を刈っており、昨日、ほとんど、きれいに草を刈り、H姉妹がそれを袋に詰めて、ゴミにだせるようにしてくださいました。わたしはI兄の弟子ができて良かったと感謝しています。少し前にT兄が草刈機で草刈りしたいので教えて欲しいとI兄に頼んだようです。I兄は喜んで、教えてあげました。すると、その後は自分で、積極的に草刈りに参加して、喜んで草を刈ってくださいました。I兄が教えても、T兄が自分でやってみなかったら、草を刈るという仕事はできませんでした。私も、メッセージでいろいろ、皆さんに報告しても実際にやらなかったら進みません。

 今日はグループに分けて、分かち合いの時をもちましょう。
これはセルの一部分です。まずは、隣の人を理解しましょう。やってみましょう。

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