横浜の司法書士安西雅史のブログ

2011-01-23湘南国際マラソンで初のフルマラソンに挑戦しました。

夏の終わり

2009-08-29 | 雑談







今朝、仕事に行こうと自宅を出たらウチの前にクワガタが止まっていた

とりあえず、携帯で写真を・・・

子供の頃だったら、これが何クワガタなのか即答できただろうけど、今じゃ全く分からないな。多分、関東ではもっともポピュラーな種類のだと思うけど。。

とりあえず、自宅裏の畑に逃がしておいた。

毎年この時期は、夜になると、虫たち(主に爬虫類系)がウチのドアや窓によくへばりついているけど先日発見したちょっと大きめのトカゲはさすがに触れなかった。ま、触る必要もないんだけど・・・

でも、ウチの子供がもう少し大きくなって、「パパー、トカゲ取って~」とか言ってきたら、その時は素手で掴んで取ってみるんだろうか。

嫁は絶対ムリって言っているし。。



そろそろ夏も終わり








ランニングコース

2009-08-12 | My Runs





わたしがこのコースを走り始めて1年以上になるかな。
ここは、他のランナーやロードレーサーなんかも良く利用しているコースで、夜はちょっと暗くて走りにくいけど、車やバイクは通らないし、休日の昼なんかも周りは静かで自然が多く(というか、よく見ると畑ばっかだな・・・) 、とても走りやすい環境かと。


距離は一周約4キロ。

で、調子が良いときは、4周くらい走るんだけど、最近はなんかダメだな・・・
いままでは最初に決めた距離は必ず完走していたのに、今月に入ってからは毎回目標手前でコースアウト
なんだか変なクセがついてしまいそうだ。。

きょうもiPodで15キロをセットして走ったが、1周半でさっさと帰宅
しかもペースは1キロ5分台後半と、ホントいいとこなし。。

まあ私みたいなド素人がスランプなんて言葉を使うのは烏滸がましいが、タイムと距離を気にしすぎているのか、ランの調子が狂っているような感じがするな。でも、特に体が疲れているわけじゃないし(たぶん)、ある程度走り続ければまた調子が戻るものと期待しよう





土曜日も仕事してます。。

2009-08-08 | 業務日誌


なんだか平日書かなくなったなあ・・・

ちょっと前の日経新聞に「不動産取引じわり回復」なんて記事があったけど、果たしてそうなんだろうか。。まあ言われてみればそんな気がしなくもない・・・気のせいかもしれないけど。

ところで、今月末決済予定の案件で、きょう、売主さんのおウチへお邪魔してきた。何回かに分けて不動産を取得しており、登記済権利書と登記識別情報と両方必要になる案件で、仲介の人と一緒に事前の書類確認をしに行ってきた。

そしたら、最近やった法定相続登記に関する登記識別情報通知書が見あたらない。
というか、本人達はそんなものは見たことも聞いたこともないとのこと。
登記完了後に、下の方にシールが貼ってあってこんな紙が送られてきませんでしたか?と聞いても、全く記憶にないとのこと。

うーん・・・

その後も今回の相続登記の経緯を聞いたり、当時の担当者に電話をして確認してみたが要領を得ないため、とりあえず月曜日に有効性の検証(通知されたかどうかの検証)をしてみようと思う。

実務では、不動産取引で相続登記後に売買を行うケースは少なくなく、ただ、この相続が法定相続の場合だと、識別情報通知が特定の人だけにしか通知されていないといったケースがたまにある(今回は誰にも通知されていないようだが。。)。やはり識別がからんでくるようなこの辺の確認作業は、司法書士がイニシアチブ取って早めにやっておいた方が取引も円滑に進むものと思います。





武田家滅亡

2009-08-01 | 雑談


武田家滅亡
伊東 潤(著)
出版社: 角川書店
発売日: 2007/03
amazonおすすめ度








解説

~戦国最強の武将といわれた武田信玄は、父信虎(のぶとら)が成した甲斐統一を基盤として、信濃、駿河、遠江(とおとうみ)東部、上野西部、飛騨と越中の一部を制することに成功した。やがて信玄は京に上り、天下に号令することを目指したが、病魔には勝てず、天正元年(1573)、軍旅の途中で力尽きた。彼の悲願は後継者に託されることになるが、その後継者こそ、諏訪四郎勝頼こと武田勝頼である。
勝頼は、信玄の四男でありしかも側室(諏訪の姫)から産まれた子供であったため、誕生当初は誰も四郎の家督承継を考える者はいなかったが、武田家に起きたいくつかの偶然が重なり、勝頼は信玄亡き後の武田家を背負うことになる。~


これは私が読んだ本の中で今年一番のオススメかもしれません


天正3年(1575年)、武田軍は、長篠の合戦にて敵対する織田・徳川連合軍からの攻撃により多くの有力な宿老を失うことになったが、本書では、この戦により信玄時代からの宿老が一掃されたため、勝頼の権力はより強固なものとなったと記されています。
また、一般的に愚将のイメージが強い勝頼ではあるが、勝頼は、美濃の明智城や、父信玄でも落とせなかった高天神城を攻め落としており、決して軍才に劣っていたというわけではないようです。

しかし、信玄亡き後の武田家は、金山の枯渇により深刻な財政難に陥ることになり、度重なる戦で自国の城が落とされそうになっても、資金不足から援軍を送ることが出来ずに、次々と城は相手方に落城される。これに不満や不安を抱いた多くの家臣らが次々と勝頼から離反していき、武田家は急速に衰退していく。

勝頼が、武田家の運命を左右する判断を迫られる場面として、たとえば、手取川の合戦で越後の上杉謙信に敗北した信長は、このあと武田家に「あつかい(和睦)」の申し入れをしている。家臣らは、これを武田家復活の「千載一遇の好機」とみる者と、長篠の禍根や信長に対する評判から「利なし」とする者と、意見は二つに分かれるが、勝頼は、「暫し情勢を傍観する」という何とも中途半端な決断を下してしまう。以後、信長からの和睦の申し入れはなく、交渉は決裂する。
さらに、上杉の家督争いが起こった「御館の乱」では、勝頼は、当時同盟を結んでいた北条方の三郎(上杉景虎)に援軍を送らずに、三郎の敵方である喜平次(上杉景勝)側につくことを決める。これにより、武田家は北条家と敵対することになり、結果、西に信長・家康、東に北条と、周囲を敵で固めてしまうこととなる。

いずれも、勝頼の外交の見通しの甘さが原因だったと考えられます。

そして、その後の武田家の滅亡は史実のとおりですが、本書は、いつの時代も国家を存続させるには、軍事力の強化よりも、安定した資金調達手段を確保し、利害の対立する外交・内政を上手く調整していくことが出来るリーダーの存在が大きな要因であるということを教えてくれた一冊でした。。


本書は、アマゾン評価も★5つのようですが、わたしもこれは「面白さ抜群」の一冊だと思います