アマスポホームページ http://www.amsp.1583.com

アマスポは大阪堺市の町のスポーツのベンチャー的活動です。スポーツ経験のない人や楽しみでスポーツしたい人も参加できます。

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チームの中で楽しいことだけするのは…(2009.11.28土/記)

2009年11月28日 09時54分51秒 | Weblog
身内ともいえるバレーボールチームが、おおげさに言えばいま存続の危機にあります。ケガ人などで試合に出るメンバーが足りないのです。しかし表向きはどこにでもあるメンバー不足なのですが、その根本にはこれまた多くのチームが抱えている問題があるのです。
バレーボールは試合に出ようとすればいまでも10人ほどのメンバーが不可欠です。だから常日頃から練習だけではなくメンバーを募集したり育てたり、体育館を借りる交渉したり会議に出たり…、チームの仕事はたくさんあります。そのシゴトもチーム練習のうちなんだからみんなでやろう、という考えと、自分はバレーをする以外のことはしません、という考えとの摩擦です。
「メンバーでありながらバレーだけしかしないなんてムシがよすぎる」とこれまでなんども非難されてきた問題です。そのようなメンバーが多くなったらチームは続けていけなくなるといわれてきましたが、ほんとうにそうなればチームはつぶれるのでしょうか?。その人たちはいいます「そんなことをさせられたらバレーが楽しくなくなる。どうしてもやれといわれるならやめます」と。そんなことを求められない楽しいチームが他にいっぱいあるというのです。
本当にそんなやり方があるなら注目です。チームの雑用に振り回されている人たちも決して楽しいはずはないので、このようなチーム運営方法があるのならまねたらいいのですから、たとえ半信半疑でも調べてみる価値はあります。
マゴのオトコノコが遊ぶおもちゃはすべてが既製品です。いや、そのパパたちの乗っているクルマも完全に出来上がりで故障すらしません。自分で修理したり作ったりしなくていいし、したくてもできない場合も多いです。こんな時代にチーム活動もむかしと同じようにしんどくて楽しくない方法でいいのでしょうか。既製品のチームの中から自分に会ったところを探せたらこんなにいいことはありません。ここはひとつ「新人類」などと揶揄されている人たちの言い分にも耳を傾けてみたい気もします。ひょっとしたら守旧派のわれわれが化石になりつつあるのではないか、少し気にはなりますね。

先輩に叱られて…(2009.11.25火/記)

2009年11月24日 21時53分36秒 | Weblog
アマスポ大会の試合で若い人が先輩に厳しく叱られた。大事な試合でミスをしてしまいを勝てなかったのだ。先輩からは事前注意されていたのにそのミスをしてしまったから申し開きは出来ない。こんこんとお説教をされ、大声で叱られたのではないにしても周りの人たちの視線も気にかかる。小さくなって頭を垂れ声にならない声で返事をしながら耐えてやっと許された。
帰り際に「叱られてしまったねえ」と話しかけると「はい、言われていたのにそのミスをしてしまって…。私が悪いので仕方ないのですが」。わたしは叱られたりすることには打たれ強いのですが今日はちょっと辛かったです、とも。叱られるあなたも辛いけど叱る先輩も勇気が要ったのでは?と水を向けると「そういわれますね。私もそう教えてもらったことがあるので分かっているのですが今日のは少しこたえました」。先輩が去ったコートでしばらく仲間と練習をして「これでまたさっぱりとして帰れます」。
「試合で苦しいときには相手も同じようにくるしいのだ。だからがんばれ」、と教えられますが、叱ったり叱られたりする間柄にも同じことが言えるのでしょう。叱るにしても後日ひと気の無いところで静かに注意できればいいのですが、時を逸してしまったら何にもならないので先輩は人前でも叱ることが多い。叱られるほうはそれも辛くて耐えられない。その堪忍の度合いが超えてしまうと叱られるほうにはクラブやチームを「やめる」という特権があるので大概は叱らない先輩が多くなった。オトナのチームではなおさらだ。叱られるほうもその特権の誘惑に負けてしまったら自分を甘やかすことになってしまい、結局は成長出来ない事が多い。
この日叱られていた人は、叱る人も辛いのだ、ということを誰かから教えられていて知っていた。叱った先輩も勇気がある人でしたが、他にもそれをフォローをしてくれるいい先輩がこの人の近くにいるのでしょう。後輩たちは、また怒られた!、といいながらこのクラブのひとたちは元気だ。この日叱っていた先輩がまだ初心者であった頃、当時の先輩達からやはりきびしく叱られていた姿が思い浮びます。

お世話マンの冥利(2009.11.09月/記)

2009年11月09日 07時16分27秒 | Weblog
長い間にわたって大会や練習会のお世話をしていると「つづけてきてよかったな」とひそかに思えるときがあります。多くの人たちがスポーツに興じる場であってもみんながその運営に満足してくれているわけではありません。不満を感じている人は当然ながら運営には協力的ではありません。それを口に出すようなヤボなことでは信頼関係も成らずに壊れてしまいます。お世話マンに基本は率先垂範。お世話に明け暮れる自分に迷いが出たときには「オマエはだれかにたのまれてこれをしてるのか?自分がやりたいからはじめたのやろ?だったらいまさら迷うな」と言い聞かせるのです。
会場をよくよく注意して見つめていないと気づかないことですが、これまであまり協力してくれなかった人が少しずつ働いてくれるようになってきたとき「ああやってきてよかった」と思います。その人にも少しは満足を感じてもらえた瞬間です。このような人と力を合わせて次の新しい活動へと発展していくのでしょう。昨日の一日、朝からもお昼からもうれしい小さな兆しを感じ、そして夜のそれからもうれしいメールが送られてきました。その成果はこれからのお楽しみでありますが…。
今日はこれから臨海スポーツセンターで卓球です。しかしマゴたちのゴホンゴホンに囲まれていつ自分も風邪を引くかとひやひやの連続です。

米・大リーグと大相撲(2009.11.06金/記)

2009年11月06日 09時46分38秒 | Weblog
彼の地ではノモさんにはじまりいまやイチロー、マツイと大活躍です。ご本人の努力・活躍はもちろんですが、よくもこれだけ人材を見つけそれを上手に生かすもんだなあ、と感心します。ベースボールとなればあちらの国では伝統スポーツ、日本流に言えば国技に等しいのではないだろうか。そこに小さな国でヘンコツモンと阻害されていた人たちをテストしそれを育て生かして使う懐の広さ。シゴト・商売に真剣なのだ。
片やこちらの国技とやらは人材枯渇で青息吐息の状態。活躍してるのはお年寄りや何やら委員のみなさんばかり。そんな中でなれない国にやってきて辛酸をなめて励んだ外国人の少年・若者がやっと芽を出したら「マナーが悪い」とさんざんやっつけられている。そんなマイナスがあるにせよ功績のほうが比較にならないほど大きいはずなのにそれを認めない。彼らの活躍で何とか体面を保たれている「国技」なのではないのか。もしアメリカにオオズモウができたら有望な若者は全部取られてしまうでしょうね。
年寄りはそこにいるだけで老害をまき散らすとかいわれますが、彼の地で日本の若者に道を与えてくれているのも老人年令の人たちが多い。日本にも「老いては子に従え」と進歩的な考えのお年よりも多いはず。要はトシではなくて…ということ。もっともらしく書いているこの方も心しなくてはなりません。

アマスポ、12時間活動はあえなくダウン…(2009.11.05木/記)

2009年11月05日 17時24分42秒 | Weblog
10月から美原体育館で週一回の12時間活動を始めましたが、夜の部がやはり不評で3回ほど行って中断しました。途中でやめるときにはいつももっともらしい理由があるものですが、皮肉なもので参加がなくなっていくはずのバレーやバスケが元気で、卓球参加がありません。PRが行き届いていない今は当然なのですが、これからバレーやバスケが増えないにしてもなくならないとしたら!同じフロアでの卓球はムリと判断しました。それと「朝からバレーして夜もまたバレーではだらけてしまいます」というスタッフの意見もあります。といっても体育館は11月いっぱいは借りているので卓球だけをしないということですが…。「12時間行事」これで2回目のダウンとなりました。
しかし遅れて12時間のことを知った人からは「わあ!そんなのがあれば便利よ。いつでも使えるなんてどこにもないもんねえ」という人にも会いました。もう一度プランの練り直しです。
身近なところにもこどもを中心に新型インフルが迫ってきました。こちらがダウンしたときに行事の当番はどうするか、「交替ばんこにかからないとね」なんていってますが。
鮮やかに色づいた柿の枝にジョービタキがくるようになりました。ことしのはオスなので美しいです。ヒ、ヒ、ヒ、ガチガチ、ガチガチ…、こんな声では誰も気づいていないようですよ。

きのうの卓球練習会は…(2009.11.02月/臨海スポーツセンター)

2009年11月03日 07時31分12秒 | Weblog
ラージボールの皆さんがなぜかお二人だけの参加だったのに110人もの参加がありました。そのほとんどが参加費は「月払い」。つまり千円払って今月5日分の参加費です。安いか高いかは別にしても今月の体育館代はこれでペイします。月末までには3,4万円は残る計算です。月曜練習会だけの単独で考えればこれでやっと事務運営費はまかなえる計算ですが、問題はアマスポ活動の「不採算部門」。人件費などはおろか事務運営費までまかなえればオンの字で、体育館代ですら赤字の活動あります。「その話、ホンマか?。ほんならなんでやってるねん」とこれまで何度も難問を投げかけられたことですが、やってみたいから、としか答えられません。
しかしアマスポ活動はボランティア(もうからないから結果的にボランティア)と事業活動との中間点に差し掛かっているのではないかと実感します。このアタマに経営才覚さえあればなんとかなるのになあ、といったところでしょう。スポーツ活動はこれでいいとして、もうひとつふたつの収益事業レベルの活動がつくれたら人件費もまかなえてスタッフも来てもらえます。
もっと若い頃に勉強しておけばよかった…といまさら後悔してもねえ。やれるのは続けてみるぐらい、だからつづけていきます。

いままでできていたことが…(2009.11.02月/記)

2009年11月02日 07時16分56秒 | Weblog
ある人が悩んでおられる。今までなんでもなくできていたことがうまくできない、と。高齢化社会といわれる今、これまでできていたことができなくなる、という驚き・戸惑いは多くの人たちが実感していることだと思う。病気やケガならあきらめもつくがそうでもないのに(自分だけがそう思ってる?)、あれ?できない!となればおどろく。スポーツに興じる中も目を凝らしてみるといろいろが見えている。
みんな子供のころからこの方、できないことに挑戦して努力して少しずつできるようになってきた。しかしトシとってできなくなったことをできるように、と努力するのは似ているようでもかなり違う。トレーニングとリハビリの違いというものなのか、それを支えてくれる夢の部分で残念ながら大きく違いがあるようだ。
あるときの体育館のロビーで、もう故人になってしまった友人が、コーチと期待されながらも「もうやりたいことができんのや」と嘆いていたときがありました。病に逆らえないのでした。「いままでやってきたことにこだわらないでもいいのやないかなあ、いまやれることをやってあげるしかないのやから、それをできるだけやってあげたら?、みんなはその姿からもいろいろ学んでくれるのやと思うよ」。友人は「そうやなあ、できることをやれるだけやればでいいのやなあ」とさびしく笑っていました。
国家経済の話ではなくても人の体力・気力は、右肩上がりから横ばい、そして下降となるのは避けられない事実。もう始まってる人もこれからの人も「少しでも人様のお役に立てる自分」で一生を全うできるよう、投げやりになりがちな自分を「なだめ、すかして、励まして」精進したいですね。