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残念なこと

2005-11-26 14:34:36 | Weblog

ぶーぶっびぶびぶびぶびぶびぶー

   どーして おなかが へーるのかなー

     ぶーぶっびぶびぶびぶびぶびぶー

なんや知らんが、このブログは一つの記事に10000文字まで、と制限がついているらしい。前回は10000文字を越えてしまったため、保存ができなかったんで、10000文字に減らしたんや。数えてみ。ちゃんと、ぴったし10000文字やで。ほんま。しゃーないから、記事の内容を半分くらいに減らしたんやほんで、今回は前回減らしたことを記事にして書く、っていう程度の発想しかないのんは、ただのど素人。パッパラパー。うんこしょんべんちんこくそゲロがいじきちがいおたんこなすめくそはなくそめくらかたわちんばよつはんとうじん、なんで、わてはそんなことしません。もう一回書くなんて、賞味期限切れにも程がある!!というめっちゃ分かりにくい理由で、本日もブログのはじまり~~はじまりぃ~~~

富士山は壮大やね(なんか、大木こだま・ひびきの漫才みたいやーわしが本家やでー)、ほんま。最後に富士山を見たのは、去年の暮れ、新幹線内からですが、やっぱりあの存在感、自然が創った何とも言えぬ畏怖感ってなものを感じましたな。わて、毎週3回も滋賀県のカスばっかし住んでるど田舎へ授業に行ってますが、そのど田舎のとある駅に「世界遺産の中では、みんなタバコを我慢できるのに、公共の場所ではなぜ我慢できないだろう」という公共広告機構か何かのしょーもないポスターが貼ってあるんですわ。アホちゃうか世界遺産の中やから我慢できるんやないけ。我慢の根拠が世界遺産の中や。ほんま、アホやで。わしがポスターマニアやったら、そのポスターひっぺがして(大阪弁?ちがう?)持って帰って押入れにでも貼り付けてるとこやで。幸いわしはポスターマニアでなく、ミッフィーキャラ集めマニアやから、そんなきったないおっさんが写ってるポスター持って帰らんで済んどるんやで。

むかーし、むかし、梅田でやまざきまさよし?スガシカオ?Do As Infinity?のポスターを顔を真っ赤っかにしながら人ごみの中ポスターをひっぺがしてる(大阪便?)女性3人組のトリオがおりました。ま、ぶっさいくやったわ(便そのもの)。ところで、Do As Infinityって、どういう意味?誰か知ってる?教えてちょんまげ(死語?)まぁ、富士山は世界遺産にせなアカンな。原爆ドームも世界遺産にしろ。阪神甲子園球場も世界遺産や。他の球場はしょーもない。ついでに代○○ゼ○ナ○ル岡○校も世界遺産にしたれ。あんな人のおらん学校って、この世のありますか?いや、ない(反語。修辞疑問)1Fの玄関から中へ入るとき、外へ出るとき、ほんま、人に会わん。こないだまで守衛のおっちゃんがおったけど、今はおらんから、ほんま誰にも会わんのや。いっつも受付のおねーちゃんが2人ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ喋りまくってはるわ。喋ってない時見たことないもん。ヒマなんやろね~ほんま。自習室はガラガラで常に空席の方が多いし、教室かて、体温よりも室温の方が温かいってなくらいの人数しかおらんし(意味わかる??)ほんま、世界遺産にしよう運動を起こすで!ピース暴徒に頼んでみるわしゃ。

ほんで、富士山なんやけど、わが尊敬する西村眞悟民主党衆議院議員がメルマガでこんなこと書いてはりました。以下、無断で引用。

  富士山を仰ぐとき、いつも父のことを思い出す。
 亡き父は末っ子に、仰ぎ見る富士山を教えてくれた。
 東海道本線が、電化前で未だ蒸気機関車の特急が走っていた昭和二十年代の後半、私は父に連れられて東京に向かっていた。四歳になっていたかどうか、記憶は定かではない。
 いつの間にか座席で眠っていた私を父が起こしてくれた。そして、父に連れられて最後尾にある展望車の屋外に出た。その時、父が指さした方向を見ると、紺碧の空に真白き富士の姿が、ドーンとあったのだ。
 私は、息をのんで眺めていた。
 あの父とともに展望車から眺めた富士山以上のすばらしい富士山を未だ見たことがない。それゆえ、今五十を過ぎても、富士山を眺めるたびに父が展望車のデッキから指さしてくれたあの富士山を思い出す。それはまさに、聖なる山、霊峰であった。
 そして、いつの頃からか、父が私に遺産として残してくれたものは、富士のあの霊峰の姿なのだと思うようになったのである。

 父は、西郷南洲を敬仰していた。
 「幾たびか、辛酸を経て、志初めて堅し」ではじまる西郷の詩は、「自孫の為に美田を買わず」で終わっている。
 父は、この詩を覚えておけよと中学一年生の私に言った。そして、その八年後に亡くなっていった。

 さて、日本山岳史上、記録に残る登山の始まりは、天武朝四年(西暦六七五年)、役小角の大峰山脈開山である。
 富士山の登山記録の始まりは、貞観十二年(八七〇年)である。八六四年の富士山大噴火の後、国司の命により氏名不詳のものが噴火口の様子を見るために登頂した。その報告書が登頂記録として残っている。
 
 驚くべきことに、富士山の高度を上回る山岳の登頂記録は、
一五二三年まで世界的に見あたらないという。
 ということは、日本人は一五二三年まで、世界最高高度到達記録を保持していたことになる。
 
 さらに、一一四九年に登頂した末代上人は、富士修験の先駆者で生涯に数百回登頂している。そして、鎌倉期に富士修験は隆盛するが、戦国期に衰退する。
 それに代わって、冨士講を興したのが藤原角行で一五七二年登頂して修行を開始している。この富士講は江戸期に大隆盛期を迎え、大衆の山岳信仰となった。
 そして現在も、富士山ほど仰ぎ見られる霊峰はないであろう。
 以上の通り、富士山は、太古から驚くほど多くの人々に登頂され、世界山岳史上、稀に見る山であることが分かる。
 さらに富士山は、単に登頂の対象としての山に留まらず、その霊気のゆえか、万葉集の時代からから現在まで、多くの画家や詩人歌人という芸術家も、富士山に取り組んでいるのである。
 まさに富士山は、日本一の山、日本国民の山なのである。

最初と最後だけ削って、ほぼ全文を引用させていただきました。勝手な引用、お許し下さいませ。

1523年まで、日本人が世界最高登頂記録を保持していたんですな。いや、日本は立派ですよ。古き良き日本を再興すべき時が訪れてますな。

わてが高校3年生の時、内容等々詳しいことはさっぱり忘れてしまいましたが、現代文の教科書に「富士山はちっぽけな山」といった内容の文が載っとりました。内容は全然覚えてないから、もっとちゃう内容かもしれナイヨー(だじゃれ)。ほんで、当時の国語の担当の教師(主婦で、こじんまりした感じの30代半ばの女性やったと思うわ。ぜーんぜん覚えてないな)が自分の体験談を語ってて「・・・外人さん(友達?知り合い?)と新幹線乗ってて、私寝てて(おきろ)、その外人さんが、ツンツン突っつくんで、目覚ましたら『フジヤマー』って言いはって、窓覗いたら富士山があって、あんなちっぽけな山、言われへんかったら、気付かへんかったわー。ほんま。しょーもない山や。フランスの何とかって山は大きくて、偉大な山で存在感があるけど、それに比べたらねー、富士山は全然存在感ないわー」ってな内容のナイヨーのことを言うてはりましたわ。もちろん正確に再現はできてないけど、なんしか、そんなことやったわ。当時もちろん、フランスに行ったこともないし、外国のこともちっとも知らんかったらから、実体験のある人の話なんで、その通りなんやろうと思っておりました。以来、富士山はしょーもない山という観念が私の土台となり、私の人生観、日本観を形成していったのです。でも、いつ見てもあの山は、私を敬虔・厳粛な気持ちにさせるのです。自分の思念と人格を形成する土台との乖離。自分探しの旅に出てしまうくらい悩んでたわ。もうちょっとで人間の鎖するとこやったわ。薬害エイズのおかげでボクは、生きがいを見つけた!って叫びそうやったわ(全部ギャグよ

もちろん、高校での出来事などすっかりすっかり、すっからかーんのかーんと忘れてました。そしてその後何度となく富士山を拝見したが、やはり、鳥肌が立つような凛とさせる畏怖感、霊力を感じた自分は正しかったと、西村眞悟さんの文章を拝読して改めて思った次第であります。  

残念ながら、私が尊敬してやまない西村眞悟民主党衆議院議員が逮捕される可能性がでてきた。弁護士は月に30~40件もの案件を抱えているため多忙である(だから弁護士不足のため弁護士の数を増やそうとのロースクール構想であったのだが、失敗に終りそうではありませんか?)。したがって、しょーもない事件(といっては失礼だが)、交通事故のたいしたことない示談交渉などは事務員にやらせるのが弁護士界の常識であるようだ。依頼者が一度も弁護士に会ったこともない、けど裁判したり示談が成立したり、といったことが多聞にあるとのこと。そら、そーでもせんと仕事多すぎて、弁護士業なんて成り立たんでしょ。(他の案件と比較考量したら)瑣末な案件を事務員に100パーセント委ねるのは、市長が我々の書類に一々目を通してないけど、市長の印鑑が押してある書類が交付される(つまり、市長が認めた)のと(少なくとも理屈の上では)同じ理屈でっせ。西村眞悟さんは、弁護士活動と議員活動を両立するのは無理だとの考え、また、選挙で選ばれた身分であるものが弁護活動するのは相応しくないとの理由から、弁護士活動を平成12年度に自粛。後は、残務処理のみを行っていたとのこと。つまり、残務処理が済めば、今回逮捕された鈴木さんは解雇ということになる。鈴木さんは解雇されたことを恨んで事を大きくしたんとちゃいますか?そういえば、山本譲司元民主党衆議院議員(『獄窓記』の作者)も解雇された元秘書の逆恨みで憂き目を見ましたね・・・同じことをしながら辻元某元ピース暴徒さんは、言い逃れに次ぐ言い逃れで、ついになーんの罰も与えられず、国政に復帰しました。

弁護士界の常識に従って活動をしていたのは事実だが、諸事情があったにせよ、それが脱法行為にあたるのであれば、弁護士会のいかなる処分にも従い、検察の主張も全面的に認めた、という点においては、西村議員は潔いと思いませんか?1億円もらって、記憶がないとか、他の人がそういう事実があるというのなら、そういう事実があったのでしょう、と殺意を抱かせるような発言を平気でする元内閣総理大臣(元、首相やで・・・)に比べたら、はるかに潔い。

なんか、今日はまじめな話になってもうた、普段やったら、ミッフィーから、あるいはDo As Infinityから、話が地球を3週と4分の2するくらい飛んで、どんどんん発展するんやけどな。カテゴリー「まじめな話」に変えよっかな。

 


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8 コメント

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ロングブログ (M-to)
2005-11-27 22:07:56
 いつも長いと思っとったが、10000文字をオーバーするとはすごかね



 Do As Infinityって「無限の広がり」って意味なんやて。で、原爆ドームは世界遺産になっとるよ



 それにしても富士山は日本一の山やねぇ。一度は登ってみたいね
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ちょっとまてー (あんぽん)
2005-11-27 22:16:45
ちょっとまてーちょっとまてー

その、do as infinityって正しい英語なんか??それが知りたい。知りたいのよ~~~ん原爆ドームが世界遺産なのは知ってたけど、書き直すの邪魔くそかったから失礼いたしやした。

ほな、正月は、富士山登頂ツアーを組んでください。わし、幹事するわ
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そういえば (DNS子)
2005-12-01 00:24:07
昔、富士山になんかお店があるって言ってたね何やった?山頂だった?
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総入れ歯? (あんぽん)
2005-12-01 01:52:08
のりピーハウスやなのりピーハウスでしか手に入らない、のりピーシャーペンと、のりピー筆箱を使ってたなーほんま、あほな時代やった



ところで、雲のアイコンええなこれに変えよっかな
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だめだめ (DNS子)
2005-12-01 09:02:59
私のアイコンとっちゃダメよー

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Unknown (あんぽん)
2005-12-02 00:12:00
いろいろためしてみよう

こんなんとか

こんなんとか
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眠たい。。 (yamagucci)
2005-12-08 02:57:52
学校から帰ってやらなあかんことしてたら、

いつのまにかこんな時間に

先生のながーいブログも頭に入ってこないくらい眠たいわ

明日は1限から体育のバスケやしなぁ。

起きれるかなぁ。

あたぃ最近1限間に合ったことないんよねぇ

んじゃ
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おはょー。。。 (あんぽん)
2005-12-08 09:08:39
まさに、だいがくせーってな生活でんな生きーよすまんのー

わて、今日で2学期終了や!!わーいわーい!今から大阪校行って最後の授業してくるくるぱ~



わしも・・・1限よく遅れる・・・最近・・・
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