日々想うコト ~DIARY~

美葉果の『ぼちぼち』日記です

当たった♪

2006年05月27日 | 当たった♪
本屋さんでもらう『書店くじ』
当選番号の控えをもらい、何気なしに以前もらったクジと
照らし合わせてみると・・

なななんと、一等賞の番号がおんなじ!!

『一万円分の図書カード』大当たり~~

持ってた2枚のうちの一枚だから、まさか当たるとは思っていなかった
書店に引き換えに行ったら、店員さんも当選券を見てオロオロ・・・
「し、しばらくお待ちください・・・」

奥でなにやら他の店員たちと、聞きあい、チーフも呼んで来てしどろもどろ・・
「すみません、こういうこと、滅多にないもんで・・・」

小さい書店だものね~~

主人に「当たったよ~」って言ったら
「取っとかなあかんな~~」って・・・(えっ、捨ててたの??

主人は懸賞とか馬鹿にするけど、
私はこの間も、別の懸賞で『一万円の商品券』当てたし、
モニターやアンケートとかでも、4000円~5000円券もらってるし
結構、馬鹿にできないでしょ?
(私の姉も、お菓子かなんかの懸賞で、PSPを当てた

 でも、案外
当てようと思って出したものは、なかなか当たらないのよね~~
超難解・ナンバープレイスとか挑戦したりしてるんだけど
苦労したわりのは、なかなかね・・・。

でも、まあ、気楽に送って当たればお得・・位がいいのかも。。
今回の書店クジも、何気なしに取っておいたものだし。

一等の上は特等で
『オーストラリア旅行』。そんなん当たっても
家族で行けないし、一等の図書券の方で良かったわ~なんて。

(5000円分の図書カードを2枚でもらいました)

日々のご褒美だと思って
有り難く使わせていただきマス~~


(注:写真内の『くじ』は、外れたほうのもう一枚で撮りました。
  当たった方は、引き換えにだしてしまったので。

こんなん、もらったな~~って方、番号を確かめてみては??
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ダ・ヴィンチ・コード

2006年05月23日 | 映画
いろいろ論争アリの『ダ・ヴィンチ・コード』。

先日のカンヌ映画祭で上映された後は、拍手が殆ど聞かれなかったとか・・・

問題になっているのは、ダ・ヴィンチの描かれた絵画に隠された謎と
キリストが実は結婚していて、子供がいたという内容。

「あれ? そんなに俗っぽい話なの?」と最初は思った。

私は(一応・・)もと美術学生で洋画も勉強していた時期があったから
ダ・ヴィンチなどの絵画にも、色々な謎や俗説があるのは知っていた。

描かれた絵画の中に、さまざまな意味や 隠し要素が練りこまれているものは
ダ・ヴィンチの絵だけではなく

レンブラントやラファエロ、ミケランジェロ、ゴヤなど
中世~ルネサンス時代の作家の作品の中には、
いろいろな作者の意図が漏り込まれて描かれたものが多くて、

謎解きの好きな私には、とても奥深いおもしろさがあって
美術書を読みあさったりして、とてもハマッていた時期があった。

でも・・ダ・ヴィンチの絵に関しては、かなり謎だらけだ。

~~というのも、彼の絵は あまりにも
謎や俗説が多くて、色んな見解が混ざり合っているから。
その俗説の延長だと思って
『ダ・ヴィンチ・コード』の小説も、興味はあったけれど
読まなかった。

代表的な『最後の晩餐』の絵。

数学的にも計算しつくされた完璧な遠近感と構図。
取り囲む人たちの表情、顔の向きや位置関係、テーブルに置かれた小物など、
それぞれに意味を持って描かれている。

この数人の人物の中で、
描かれている『ユダ』の存在は、有名な話で知っていたけれど
この間のTVの特番組を見ていて
キリストの横にいる女性・・・

『マグダラのマリア』(映画『ダ・ヴィンチ・コード』でキリストの妻であるとされている女性)
の存在は、知らなかったな~。。。

魔女狩りと称して、拷問なども行われた時代だったから
今みたいに世相を反映した風刺画などを描くことは命取りにも繋がるんだろうな。
だからこそ、この時代の絵は こうやってよく見ないとわからない様な
描き方が多いんだろうと思う。

ダ・ヴィンチが、絵に込めて、何を本当に伝えたかったのかは
まだ分からないけれど、

皆が神と崇める『キリスト』も、皆と同じ ひとりの人間なんだよと
(尊厳の意味を込めて)
言いたかったのだと思えば、私は納得できる・・・ような気がする。


ただ、アメリカ的に『ミステリー』として
おもしろおかしく娯楽の映画のひとつにされてしまうとなると・・
反感がでても、仕方がないような気がする・・・。
(宗教的な問題も絡んでるし・・・;)

でも
主人と、「映画、一度 観たくなってきたね・・・。」

吉とでるか凶とでるか・・・


こうまでして
後世の人々に、多くの論争を起こしてくれる

レオナルド(ダ・ヴィンチ)さんてやっぱり、凄い。
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我が家の・・母の日(?)

2006年05月14日 | 家族・家庭
今日は、母の日という事で・・・本日の夕食は娘二人ががんばってくれました。

『手巻き寿司』。殆ど切るだけ盛り付けるだけ・・ですが。楽っ
(卵焼きやツナマヨ、酢飯等はちゃんと作ってました)
お寿司は大好きな我が家なので・・・。(りっぱなご馳走ですよ
今日は、『ハマチ』と『アジ』等が新鮮で安かった・・。
あれれ、マグロは??
(買うの忘れてる・・・

実際は、自分達から進んでやってくれるような『デキた子達』ではないので
少々無理やりやらせた感じが・・・
まぁ、うちの場合は良しとしましょう。(上出来だ~~

最近、私はご馳走~っていってもお刺身とかお寿司とかの方が
いいですネ。
(↑最近、焼肉食べたら胃が持たれるヒト)

今日は、久しぶりにラクさせていただきました

これからもこの調子でたまにはよろしくぅ
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私にとっての・・母の日

2006年05月13日 | 家族・家庭
明日は母の日・・・

私にとって『母』と呼べる人は3人いる・・・かな。

私を産んでくれた母(実母)
おばあちゃん(祖母)
主人の母  (義母)       ~の3人だ。    

●おばあちゃん●
 先日は、おばあちゃんの命日。もう7回忌だ。(早いなぁ)

 私の母は、私が物心ついた時から看護婦の仕事をしていたから
夜勤なども多く、家事などは殆どおばあちゃんがしてくれていた。
その頃は、忙しい母に代わり、おばあちゃんが食事の支度や
おべんとうを作ってくれたり、夜いっしょに寝てくれていたり、
殆ど母代りの状態で、その存在は大きかった。
 あの頃は、私や姉妹の誰かが風邪を引いたり 
母がいなくて不安な夜も、安心できたのは おばあちゃんがいてくれたから。。
お漬物や煮物が上手で、いっしょに台所に立ちながら
色々な料理のいろはも教えてくれた。
私がお嫁に行くときに泣いてくれたやさしいおばあちゃん。
ありがとう・・・。

●お義母さん(主人の母)●
 主人との結婚時からの同居。
これからは、実の母や祖母よりも長い年月を過ごしていく筈だった。
(私もその覚悟をしていた)
でも、60代半ばで病と闘い、こんなに早く逝ってしまった・・・。
お嫁に来た時はまだ未熟な私をびしびしと鍛えてくれた。(いわゆる嫁・姑の仲)

 病気を患ってからは
入退院を繰り返し、長い自宅介護生活のあと
再度入院・・・私がお義父さんと交代して一人で病室で付き添いをしていた時

「あと、家の方頼むわな。うちの男共(主人と義父のこと)は
 頼りにならなくってなぁ~~。あんたが頼りやから。」

以前、病室で看護婦さんに爪を切ってもらって痛い思いをしたらしく
「あんた(私)が切ってくれた方が安心や。」
義母の爪は、少し切りにくい巻き爪をしている。しょっちゅう病室で
爪切り持参で切ってあげたなぁ。

義母が息を引き取って、納棺の日
何度もさわったその手に、経帷子の手袋の紐を結んであげた。
何度もさわったあのやわらかかった手が とても
冷たく硬く感じられた。今でも忘れられない。

『あとは、私がちゃんとこの家を守るから。』
色んな意味での厳しさを教えてくれたお義母さん。
ありがとう・・・。

●おかあさん●

私を産んでくれたお母さん。
私は3人姉妹の真ん中だ。
「・・・これって、一番ほっとかれて損な立場やな~~」小さい頃はよくそう思っていたものだ。
実際、3人の中では
私が一番手がかからなかったらしい。(母談;笑)

母は看護婦(しかも婦長さん!)で仕事をばりばりこなしてた時期は
甘えられない・・・それが当然の様に思ってた。
普通のおかあさんの様に、何もしてくれない・・少々反発していた時期
もあったね。。って、私が思ってただけかもしれないけど。

でも、実際は・・・
姉や私を連れて、休日にはよくお店や映画、観劇に連れていってもらったなぁ。
映画は、戦争ものや大人向けの内容など母の趣味も多かったけれど
結構感動しちゃって、今でも思い出すよ。

一番、手がかからなかったとはいえ、
一番、お金を使わせたのは、私かも・・・。

美術を勉強したいといった時期にも、美術教室を探して通わせてくれたけれど
そこは、あとから思えば 母が選んでくれたそこの教室の先生は
『○○超現美術会』の一人者で、とても不可思議で魅惑的な油絵を描く
すごい先生だった。私が持つ油絵の常識をがらりと変えてくれた。

更に、3人の中でただ1人 大学まで行かせてもらった。

高い学費(お金のかかる私学の美術系でしかも4年制)

そんなに裕福でもなかった家なので
無利子貸付の奨学金を受けて入学。その高かった残りの授業料を、
長いことかかって返済したよと、ずいぶん後になって聞かされた。

 実家を離れて結婚して・・主人の母が病気になり
介護をすることになった時、
まさか、私も30代で夫の親の介護をするなんて思ってもみなかったから
体力的には大丈夫としても、精神的にはまだまだ未熟で余裕がなかった。

そのときに、一番私が頼りにしていたのは
やはり母だったと思う。

昔は甘えたくても甘えられられなかった。

でも、今は
私が一番甘えているのかもしれないなぁ・・・。

これからも、ありがとう・・・。

(面と向かって言うのは恥ずかしいので、こうやってブログにこっそり書いときマス)
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