あみの3 写真日記

ラーメン食べ歩きとお城歩き、その他感動したことを写真で綴る雑記帳。
更新は不定期です。

032 春日山城@新潟県上越市 令和二年(2020)12月6日 越後上越三城物語り 春日山城-福島城-高田城

2020-12-12 10:59:30 | 旅行・城歩き
前回のエントリーは→こちら
2013年11月に訪問した際は観光目的だったので曲輪などほとんど観ていませんでした(笑)

今回の目的は春日山城が高田城に機能を移した流れと、その狭間にあった福島城の手がかりを求めてのお城歩きです。
まず「福島城」を探訪し、城下での一杯を愉しんでからの春日山城登城というコースです。



最初に向かったのは
「春日山城跡ものがたり館」
謙信公や春日山城を紹介するビデオを上映しているほか、川中島合戦図屏風などを展示している。「ものがたり館」の隣、春日山城史跡広場では毎年8月に開催される謙信公祭りの「川中島合戦の再現」が行われるそうです。


住所;新潟県上越市大豆334
電話;025-544-3728
営業時間;9:00~16:30
定休日;月曜日(祝日の場合翌火曜日)
12月~2月の冬季期間は休業
駐車場有

既に冬の休業期間に入っているため施設に入ることはできませんでしたが、
「春日山城史跡広場」では春日山の裾野に巡らされた総延長1200mにもおよぶ総構の土塁や堀が復元展示されています。





「東城砦跡」から見た「ものがたり館」と復元された惣構



春日山城東方前面の防備砦であるとともに御館を結ぶ玄関口砦として重要でした(新潟県発行山城マップより)
東城砦には掘っ立て柱建物が復元されています。



ここから徒歩で山城を散策するには半日かかってしまうので、「信玄公銅像」まで車で移動します。
当日の行程は以下の通り。
春日山城と周辺の施設が掲載されたイラストマップです。
「ものがたり館」→「春日神社・鳥居」→「春日山神社」→春日山城各曲輪散策→「埋蔵文化財センター」→「林泉寺」という行程です。



「春日神社」
越後守護上杉氏の氏神。春日山城の名前の由来です。




【ここからは、いよいよ春日山城域】
詳細なイラストマップで行程を紹介します。



「春日山神社」
山形県米沢市の上杉神社から分霊され、謙信公を祭神として祀った神社。



茶屋・売店前の「謙信公銅像」
絶対ここで写真を撮りますよね(笑)



ここからは徒歩で登ります。
正面には各曲輪が階段状に並び頂上が本丸となります。
山肌には「空堀」や「たて堀」をみることができます。


いい天気でした(*´ω`)




「三の丸跡」
「景虎屋敷」「米蔵」を総称して「三の丸屋敷」と呼ぶ。それぞれの屋敷は段違いに造られ区分されている。、、、現地説明板より(紫色文章以下同)



三の丸・「上杉三郎景虎屋敷跡」
景虎は北条氏康の七男で上杉と北条の同盟締結の際、謙信の養子となり破格の待遇をうけていた。謙信公の死後跡目を争った「御館の乱」で景勝に敗れ非業の死を遂げた。



三の丸・「米蔵跡」
城機能の中核施設が置かれた場所として考えられている。



三の丸米蔵「土塁」
春日山城跡で最も良好な状態で残っている土塁はこの三の丸曲輪の防御の役割を果たしていた。
当時はこのような土塁が各曲輪に築かれ、春日山の守備を堅固にしていた。





「二の丸」
春日山城の中心をなしている。「御二階」「台所」とも記され井戸も残っている。




二の丸俯瞰
本丸直下にあって、本丸を帯状に囲っている様子は本丸警護のために造られた曲輪である事がわかる。



「護摩堂跡」
謙信公が出陣の前に護摩堂に籠り、護摩を焚いて戦勝や息災を祈願した。


「毘沙門堂跡」
護摩の修法と共に毘沙門天への信仰は、真言密教を深く信仰していたことを物語る。


「諏訪堂跡」




「天守閣址」



天守閣からの展望


本丸と天守閣を分断する切堀と城下の展望




「本丸」
天守台と共に春日山城の「お天上」と呼ばれたところ。




「井戸曲輪」
本丸址の後方一段低いところにある大井戸


廃城後400年たった今日でも満々と水をたたえる大井戸は春日山城が山城として最適の地であることを示している。


数十年前に井戸さらいをした際に滑車や杓などが発見されている。



「鐘撞堂」
時を知らせたのか、敵の侵入などの非常事態を知らせたのか?


井戸曲輪からは小高い丘に見える




「上杉景勝屋敷跡」
御館の乱で勝利をおさめ謙信公の跡目を相続した景勝の屋敷跡と伝えられている。景勝は謙信公の姉の子で甥にあたる。また直江城主兼続という知将を得て豊臣秀吉の五大老にまでなった。景勝屋敷跡とその周辺の屋敷跡は総じて大規模で、尾根を巧みに利用して段を削出し、数段で一つの屋敷を形成している。




「御成街道」
時の関白・近衛前嗣が通ったことからその名が付いた。謙信は二度の上洛を通じて前嗣と親交を暖めた。お互い年も近く酒も好きだったと伝えられている。謙信が天皇と拝謁できたのも前嗣の力添えだったという。前嗣は謙信を頼って越後府中(直江津)に3年間滞在した。当時京都に次ぐ大都市と言われ繁栄の極みにあった越後府中文化は前嗣の来訪によりさらに洗練されていった。



慶長3年(1598)謙信公の跡目を継いだ上杉景勝は、豊臣秀吉により「会津120万石に移封」され、それに伴って堀秀治が入封しましたが慶長12年(1607)直江津港近くに福島城を築城して移ると春日山城は城としての使命を終えました。


【春日山城】
《上杉謙信が居城とした戦国の巨大山城》
頚城平野の北西に位置する春日山にあって上杉輝虎(謙信)の居城地であった。この山上に本丸を構え二の丸三の丸をその下に配し土塁・濠を重ねて比隣に威勢を示した。頂上は蜂が峰と称し、眺望に富み付近の属城を十分に監視することができた。本丸址の後方一段低いところに大井戸があって夏でも水が枯れることが無く、その北方に毘沙門丸及びお花畑があった。また西方には鐘撞堂や景勝屋敷等があって、南方の二の丸三の丸方面には家臣の屋敷址があった。規模は極めて雄大である。文部省
、、、本丸にある説明版より

名称(別名);
所在地;新潟県上越市大字中屋敷字春日山
城地種類;山城
築城年代;正平年間(1346~70)ころ、天正年間(1573~92)
築城者;長尾景虎、上杉謙信・景勝の3代
主な城主;上杉氏、堀氏
文化財区分;国指定史跡
近年の主な復元等;
天守の現状、形態;伝天守台のみ残る
※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)
地図;





「上越埋蔵文化財センター」
埋蔵文化財の保管や研究をしている施設。
春日山城の全容がわかるジオラマ展示のほか謙信公の生涯をタッチパネルで紹介している。
受付の職員が戦国コスプレでお迎えしています♡


御城印はこちらです


ラッピングバスは必見


こちらにも謙信公の銅像があるよ。背景には春日山全体像が写し込めるポイントです。


住所;新潟県上越市春日山町1丁目2-8
電話;025-526-5111
営業時間;9:00~11:00
定休日;火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
入場料;無料



「林泉寺」
謙信が7歳から14歳まで文武の修業をしたお寺。


山門に掲げられた「第一義」の扁額は謙信直筆。


住所;新潟県上越市中門前1-1-1
電話;025-524-5846
拝観料;大人500円、小中学生250円
営業時間;9:00~17:00
駐車場有



















コメント   この記事についてブログを書く
« 20250【初訪】 坂本02「チャ... | トップ | 00 福島城址@新潟県上越市... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

旅行・城歩き」カテゴリの最新記事