こくご食堂

小学生向けこくご塾を創業しました。[こくご]の楽しさを、様々な切り口から発信していきたいと思っています。

[死とむきあう]

2017-10-12 20:30:33 | 思う
はじめまして。2018年、川崎で小学生むけ[こくご]を中心とした塾を創業予定のamimです。思考を声に出す表現力、自分の言葉を文章する力をつける塾を目指しています。よろしくお願いいたします。
「こくご食堂」本日調理する食材は、[死と向き合う]です。

「死」について、何度か考えることがありました。初めて「死」に直面したのは、大好きな母方の祖母が亡くなったときでした。小学生だった私は、従姉の中で一番年齢が低い孫でした。ことあるごとに、祖母は「一番小さいから、よくしてやりなさい」と他の従姉達に声をかけてくれました。私は祖母が大好きでした。

祖母は癌でなくなりました。祖母の葬儀があるというので、母の実家にいきました。葬儀は田舎の形式でおこなわれました。

納棺をすると言うので、一族は神妙にその様子を見ました。布団に横になっている祖母を、叔父が抱き上げ、お酒で清めたお棺にいれます。布団に横になっている時は、まだ起き上がるように見えるのですが、お棺に入れる様子をみていると、祖母はもう死んだのだと思い知らされました。私は一年に一度しか会えない祖母でしたが、一歳上の従姉は一緒に住んでいたので号泣しています。私は、納棺の様子がすこし怖かったです。

火葬場にも初めていきました。お棺が火葬場の炎の燃えあがる場所に入っていくと、伯母は泣いていました。火葬場では、泣いていたのは母の兄弟の中でもその伯母だけだったので、他の母の兄弟はなんと冷たいのだろうと思いました。しかし、大人になって、「涙の出ない悲しみ」「その場所では泣くことができない事情」なども知り、泣くことだけが供養ではないとわかるようになりました。

一番「死」を身近に感じるのは、知っている人の「死」ではないでしょうか。温かかった人間が冷たくなって反応をしてくれなくなるのです。

91歳になる老人ホームにいる伯母が言っていました。
「死だけは、年齢順番でないからね」
とても深い言葉です。


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