阿見AC日記

阿見アスリートクラブで起こった出来事、試合速報、お知らせ、などなど

私の三大駅伝(箱根、実業団)

2011年11月19日 | 楠康夫 理事長
 私にも、中学、高校の駅伝の思い出はありますが・・・

ここでは、大人になっての思い出を書いてみます。

 私には、心に残る三大駅伝があります。

 21歳(駒沢大学3年)の時の箱根駅伝1区 区間4位 実業団の道を切り開いた走り。

 24歳(ヤクルト2年目)の時の東日本実業団駅伝1区 区間2位 安田監督就任初の全日本実業団初出場を決めた走り。

 27歳(ヤクルト5年目)の時の全日本実業団駅伝5区 区間14位 引退か?もう1年か?悩んで、引退を考えるきっかけになった走り。
 
 派手な実績がなくて、どうもすいません。

 デモね~~今、思い出しても、この三大駅伝は、鳥肌が立つんデスよね~~~

 箱根の1区、駒沢が2年連続1区区間最下位になっていました。私が大学2年の時の箱根駅伝の打ち上げ会の時に、森本監督に来年は、僕が1区をやりますと言って・・・・・ 1年間頑張ってある程度結果を出せたこと・・・ この1年の努力をした事がどれだけ自分の人生に影響を与えた事か。自信のついた駅伝でした。ひょっとしたら社会人でやれるかもと思いました。

 東日本実業団駅伝(茨城大洗)、安田監督就任3年目、全日本実業団駅伝出場の勝負の年(当時は6位までしか全日本には、東日本からは出場出来ませんでした。)この時も、1年かけて、絶対に遅れることは出来ないと1区を任されました。あの時は、自分の競技人生をかけての1年。今思い出しても血が騒ぐんですよね。責任を感じながら走った駅伝でした。でも、楽しかった。

 そして、私の生涯、実業団最後となる全日本実業団駅伝(伊勢~賢島)身体の体調が悪く、1年近く苦しんだシーズン、そして、引退するか?しないか? そして、今まで、チームの中心でやってきたはずの自分のプライドもズタズタになりながら、2日前に最終決定戦をやって臨んだ試合でした。食事を考えたり、滋養強壮剤を飲んだり、身体ケアーもあらゆる事をしつくして、やっと、走れる状態にしました。引退を決意する駅伝になりました。競技人生、悔いは無しと言い聞かせたものでした。

 この3つが、きっと、私にとっての節目になった駅伝なんですね。

 1年、準備した駅伝。絶対に本番のレースで遅れないと誓って練習をやった、努力の日々、今も、決して忘れることはありません。 

 1年、悩みに悩んだ、15年の現役生活にピリオドを打つ事を投げかかけてきた神様に、答える形になった事は、確かなことなのかな・・

 
 でも、本当に楽しかった。大学~実業団の日々、9年間

 私の心の中には、今でも、その時代のことを思い出す度に熱き心が蘇ってくるものです。

 そんな思いのする、私の三大駅伝です。

 もし、タイムスリップできるのなら、

 あの日に帰りたい。

 いつも言いますが、23才、実業団ヤクルトに入った年に戻りたい。

 

 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。