阿見AC日記

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びわ湖毎日マラソン 思い出

2013年03月04日 | 楠康夫 理事長
昨日の大会も日本勢頑張っていました。

この大会は、私にとって夢の中に入り、そして、引退を決意した試合です。

コースは、当時は瀬田の唐橋を渡るコースでした。

NHKのアナウンサーが必ずここをランナーが通過するときにいう、瀬田の唐橋を制すものは天下を制す。

もちろん、昨日も言っていました。

私は、ヤクルト時代このマラソンは5回出場しています。

残念ながら1度も、入賞できませんでした。

順位的に言うと、1年目の3ヶ月でマラソンを3回走った(12月下旬防府 2月上旬勝田 3月上旬びわ湖)この大会が、一番良くて26位、27.8kmまでどうしたものかトップ独走になってしまいテレビを独占してしまいまして、一躍有名になってしまったのですが、そんなデビューを飾ったのですが・・・・後は、惨敗でした。

駅伝のため福岡国際マラソンは諦めていましたので、このマラソンはじっくり走り込んで準備をしたのですが・・・・結果がでませんでした。それは、今も悔やんでします。

ヤクルト3年目 4年目は、池田重政(大東文化大卒)が入社して、近藤孝志(専修大卒)クラブのトレーナーの・・・と共に良い練習ができました。

2人ともこの試合で何度も優勝争いをしました。

反面、私は、練習の疲れが取れないままレースに臨む形になってしまって、特に3年目 4年目のレースは記憶にないぐらい覚えていません。きっと早く忘れようと思ったのでしょうね。

タラレバですが、あれだけ練習をできていたのだから、もっと練習の疲労ぬきに真剣に取り組んでいれば、きっと上手く走れていたのだろうと思います。

私の真面目さが、逆に出てしまった、この練習をやらなければいけないと無理してこなしていく、その疲労が、蓄積されていく。その悪循環が、当時はどうしてもクリアーできませんでした。

27歳になり、自分が決めていた競技の引退28歳になる前に・・・・

5回目のびわ湖マラソンが、競技人生の引退を決意するレースになりました。


試合の翌日に、安田大監督の家に行き、監督に引退の話をしたとたん、涙が吹き出て止まりませんでした。

競技人生、勝っても負けても、悔しくても嬉しくても、人前では、涙を見せたことは無かったのですが、この時だけは、吹き出る涙がどうしても止まりませんでした。

ああ~~~ 青春だな・・・・


瀬田の唐橋を制すものは、天下を制す。

新幹線から、瀬田の唐橋は見えるのですが、今も試合の遠征などでそこを通過するたびに昔を思い出すのです。


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