阿見AC日記

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日本ハム優勝 栗山監督の思い出

2012年10月03日 | 楠康夫 理事長
プロ野球、日本ハム優勝 おめでとうございます。

というよりも、栗山英樹監督には、特別な思い出があるのです。

彼は、きっと覚えていないかもしれませんが・・・

彼のことだから、話せば、思い出してくれると思います。

ヤクルト本社、東京工場が富士裾野工場に移転、会社にとって大きな転機の年でもあったと思います。

そのような時代、

1986年5月にヤクルトの陸上部寮が東京東久留米市から、現在の寮がある戸田市に移動になりました。

当時、ヤクルトスワローズ2軍寮の隣の一戸建て住宅、各部屋に分散しての入寮になりました。

当面は、スワローズの2軍の寮の食堂で時間帯を変えて食事をすることになりました。

電話も、今のように携帯電話などありませんので、

2軍の寮にも電話がかかってくるようにしてありました。

私は、当時は寮長でもありましたので、

スワローズの若手の選手とも話しました。

阿井選手、ジャンボ宮城選手 山田選手 内山選手 荒木大輔選手いましたが、彼には会わなかったな~

寮の管理の方が、阿井選手に大輔選手は、どこにいったかと聞いた時に『俺は大輔のマネージャーじゃないです。』何かとてもおかしくて、当時の荒木大輔選手は特別でしたから・・・

その中で、栗山選手は、東京学芸大からテスト生で入団して、学校の先生の免許をもっている異色の存在で入団していたと思います。

私もそのことは知っていましたが、ある時、寮に私に電話が入り、それを取り次いでくれたのが栗山選手でした。何人かの選手が、取り次いでくれましたが、その中で、特に印象になるような良い感じの取次ぎをしてくれてことを今も、心に残っています。本当に人柄の良い好青年という言葉がぴったりの人に思えました。

その後、ヤクルトでもハッスルプレーで活躍する選手に、特に顔から突っ込んだホームへの突入のシーンは有名で、好プレーチンプレーで良く映像に流れていました。

解説者として、長年やっていましたが、今年度から日ハムの初めての監督となり、賛否両論、斉藤佑樹選手を開幕投手に起用、見事に勝利して見せました。

そして、パリーグ優勝を掲げることが出来ました。

もちろん、一方的な思い出ではありますが・・・

私の中では、好印象なのです。

これからの

栗山英樹監督の采配振りを応援したいと思います。


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