阿見AC日記

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森本先生がお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈りいたします。

2021年03月02日 | 楠康夫 理事長
森本葵先生 駒澤大学陸上部元監督が、
お亡くなりになりました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
1964年東京オリンピック800m日本代表でもあり
30年以上の長年にわたり800m日本記録保持者でした。

私が高校3年生の12月に、駒大の砧グランド、体育教官室で初めてお会いしてから
44年の月日が経つんですね。
私の心に残るお言葉を数多く頂きました。
それを励みにもしていました。
いつの時代も、変わらぬ先生でした。

個人的には、森本先生の現役時代のお話を聞くのが一番楽しかった。
1964年の東京オリンピック結果的には800m準決勝で敗れるのですが
練習のしすぎで体調を壊し、病院で点滴を打ちながらのオリンピックになってしまった事
日本人として、あの時代ヨーロッパで試合を転戦して賞金を稼いだ話
当時のオリンピックローマ、東京で金メダルを獲得したピータースネル選手と走った話、結果的には一度も勝ったことはなかったなと・・・
只、他の外人選手には勝っていたので、3位にはなれる、うまくすれば2位の自信はあったと
お話をお聞きしました。
100mスタンデイングで10秒6
400m46秒台練習で走っており、公認していれば良かったなと
いつでも走れると思っていたからと
それはそれはそれは、もの凄いホントの話を何度かお聞きしました。

私が、現役を辞めている時にお会いすると、楠、なんでお前が指導者やっていないんだと言われていました。私が阿見アスリートクラブを初めた時に一番喜んでくれたのも森本監督でした。奥さんが伝えてくれましたが、先生は、楠は指導者やると俺はいいと思うんだよなといつも言ってたよ。なんでやらないのかなと・・・・言われていたそうです。
阿見アスリートクラブ発足の基調講演の講師を快く引き受けてくれました。
本当に嬉しかった。

康成の事も気にかけてくれていて、息子良いねと会うといつも励ましてくれました。

現役を引退してからは、1年でお会いできるのも箱根の打ち上げ会、その他OBOGの行事等で1回程度でしたが、いつも励みになるお言葉をかけて頂きました。

2020年1月の箱根駅伝の打ち上げ会でお会いしたのが最後になりました。

もう一度、お話ししたかった。
森本節を聞きたかった。
奥様(悦ちゃん)娘さんのツルちゃん ランちゃんが小学生 そして、先生のお母さんと
大学時代何度か家に呼ばれて、酒を飲んでいい気分になって騒いでいる私たちを受けてめてくれる、心優しき素晴らしいご家族と思ったものでした。

先生、本当に人生お疲れ様でございました。

私の心の中には、森本先生は、これからも生き続けていきます。













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