阿見AC日記

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中三 高三の青春をバネにして、

2014年05月09日 | 楠康夫 理事長
クラブ的に考えれば、中三、高三は通過点ですが、

日本の世の中から考えると

やはり、

中三は、大切な岐路になると思うし、

高三も、大切な時期かと思います。

時々、ブログにも書きますが

また書きます。

私は、中学三年生の時、自分なりに一生懸命がんばったつもりでしたが、
陸上部のキャプテンで、生徒会会長で、学級委員長でした。
文武両道、まっしぐらのつもりでしたが
結果的には、放送陸上(今の通信陸上)、県総体に出場しただけの選手でした。
今考えても、情けない結果の青春です。
でも陸上競技はやりたかった、青春をかけてがんばりましたから・・・ここで辞めたくはなかった。ただただ、それだけで・・・
土浦三高か龍ヶ崎一高か?
陸上をやるには、土浦三高だと兄が勧め
勉強をやるには、龍ヶ崎一高だと両親が

私の下した判断は、文武両道、陸上もやる、勉強もやるでした。

結果、龍ヶ崎一高を選びました。自分の思いで

そこで、出会ったのが、香取先生、茨城国体の関係で茨城県の教員になった新任教員でした。

当時から、先生の陸上の話を聞くのが楽しみでした。もちろん今も楽しいです。いやホンと

高校三年間、本当に面白かった。

一生懸命がんばったつもりでしたが

ここでも、がんばったつもりでしたが、

またもや、北関東止まり、全国には出れませんでした。

悔しいというか?情けないというか?

中学は、県大会出場、高校は北関東でした。

ここでも、俺は、こんなもんじゃないと自分を奮い立たせて

大学では、箱根駅伝を目指して、駒澤大学に進学しました。

こんなにがんばってきたのだからと、もったいない、やり続けないと自分の楠家の中での威信にかかわると・・・

そんな思いもあり、中学も高校も陸上競技に悔しさが残りました。

その時代は、本当に全力で自分のできる範囲でがんばっていたことには誇りに思っているのですが、

大学になり、実業団に行ってから、自分の高校時代のトレーニング、日々の努力の甘さを痛感することになりましたが・・・

高校を卒業して、大学4年、実業団5年の競技生活を送れた事は、この時代の青春の悔しさが、劣等感が支えてのは間違い有りません。

私にとって中三、高三は、結果的には人生一番悔しい思いをした青春時代です。

でも、その事が、その後の自分の人生に(競技~引退~仕事~退職~阿見アスリートクラブ創造、現在55歳、もう少しで56歳、60歳が見えてきましたが)バネになったことは、まぎれもない事実だと思います。

私が、もしタイムスリップして若い時代に戻りたいとしたときに、中高世代に絶対に戻りたくないと思うのは、こんな青春の思いがあるからなんだと思います。

しかし、あの時代に、悔しかった思いをしていなかったら、それを支えてくれた皆さんに出会えてなかったら、今、ここに立っている人間ではなかったと思います。

中三、高三の皆さん、青春をかけて思いをぶつけて下さい。

結果を求めるだけではなく、心を思い切って奮い立たせることなのではないでしょうか・・・

お願いします。

がんばれ、アスレッコ!









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