銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

野村萬斎の、祖父としての、坂本越郎について、本日は分析をしたい・・・・前篇

2016-07-20 21:55:56 | 政治

副題1、『本日のブログを書くにあたって』

 このブログの世界が、どれほど、紛糾をしているとしても、私は、最近では、家事雑事を優先する様になりました。これは、2013年ごろまでの姿勢とは、まったく違った姿勢です。

 どうしてそういう風にできるかと言う事情は、どこかですでに書いていると、思いますので、ここでは書きませんが、本日も新しい文章として、ちょっと、ひいているというか、おとなしめのものを書かせてくださいませ。つまり、TV東京の特番ドリームハウスとか、ダッカ人質襲撃事件とかとは、離れた文章を開示すると言う事です。

 それで、鎌倉エージェント側が。『あいつ弱気になっている』と誤解をして、また、損害を与えてくる様だったら、すぐ元へ戻します。ところで、本日もシステム的には、邪魔されていますので、例のドリームハウスの続きを書く方が、先かもしれませんが、画廊巡りを終わって、一時間、横須賀線に揺られているうちに、詳細な文案が、坂本越郎氏に関して浮かんできてしまったのです。

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副題2、『坂本越郎も、伊藤整と関係があるみたいだなあ。となると、伊藤玄二郎との関係で、又、厄介な事には、成る可能性があるが、そんなことで、文案を捨てるのももったいない事だ。ここは、先へ進もう』

 今、坂本越郎氏が、何歳で亡くなったかを調べました。1969年に亡くなっている模様です。1906年生まれなので、63歳での死です。若い。一方、驚いたことに、伊藤整も同じ年に死んでいます。伊藤整の方が1905年生まれなので、一歳年上ですが。

 以前、「坂本越郎は、校長先生だった(お茶の水女子大付属高校で)」と言っていますが、それだけの交流でもないのです。卒業した後でも、他の大人の人と一緒ですが、坂本先生とは、小さなお部屋で、合計五人ぐらいで、お話をしたこともありますし。どうしてそう言う事になるかと言うと、多分ですが、私自身が詩人のひとりだからでしょう。若いときは、ずいぶんと詩ができました。手書きで、段ボール箱・数箱になっていたのですが、鎌倉はあまりにも湿気が多くて、カビが生えてしまったので、箱ごと全部捨ててしまいました。惜しい事をしました。あ、は、は。

 もし、既にノートパソコンを使う時代だったら、入力して、保存することもできたでしょうに。特に本を作る様になった後では、詩集を作ることなど、パソコン上の作業としては、とても容易な事なので、作ったと思います。
 しかし、私にとって重要なことは、創作と言うかライブと言うか、なのであって、詩が生まれると言う事だけで、満足してしまったのですね。

 それは音楽もそうですし、絵もそうだし、版画もそうだし、何もかも、創作と言う点では、熱中をしているくせに、それを他者に向けて、開示し、仕事と化し、最後に収入につなげるという意味での、詰めが無いのです。足りないというよりもないのですね。

 それで、大丈夫だった若い日があるのです。今【キリンの子】と言う歌集が大ヒットしているそうです。それは、テレビの特番で見ただけなのですが、美しく、おっとりした顔の、著者は、実は苦労の連続だったのですね。驚くほどの、苦労の連続の人生だったのです。だからこそ、天からのお恵みとしての、歌集の大ヒットだと、思います。

 一方、私の若いころと言うのは、経済的には、彼女とは、正反対でした。たぶんですが、戦う必要が無いという若い日を過ごしたのです。親からの経済的な保護が非常に手厚かったのです。ところが、今、戦う必要が出て来て、ずいぶんと、自分が、変わりました。心理的な戦争ですが、生きるか死ぬかと言うほどの激しい戦いを、やり続けております。

 このブログですが、書き方として、決して媚びてはいないのですよ。でも、結構な数の訪問回数を誇っています。弾圧を受けているので、数は、ゼロ一つ分少ない形で、こちらに、知らされているのではないかと思いますが、それでも相当数を数えています。

 と言うのも、2012年で、グーグルの検索回数が、すでに、770万を、数えていたのです。その画面を撮影したj-peg 画像も保存しているほどです。

  しかし、それを誇ったら、急に数が減らされる様になり、ずっと、30万回で、グーグルが、動かなくなりました。だから、真実を語れません。こんなこと一つでも、真実を語れないのです。で、文章の進め方も、非常に抑えた形で、このブログは書いています。

 本当は、判っているのですよ。こういう風に書けば、文章が面白くなるのにと、思う書き方は、有るのですよ。それも、知っていて残念に思いながらも、わざと、あいまいなところで終わらせているのです。突っ込まないのです。不十分な形で、終わらせておく。でも、あまりにも残念だから、『これは、35%の開示です』とか言って弁解しておくわけですが・・・・

 これを、文章としても、面白くして、人気でも出てごらんなさい。却って、たいへんな事になります。だから、猫をかぶっていて、馬鹿な振りをしています。文章も中学生の作文程度で、推敲を、終わらせております。
 修辞法は、ほとんど使わないです。修飾もしない。スケルトンだけです。しかも下世話なうわさ話風で、推移させています。

 しかし、この、・・・・・1978年から始まり、現在も抱えている瀬島龍三をトップとするCIAの日本人エージェント達との・・・・・鋭い戦いこそ、私を詩人から、普通の人へと、変更させ、地に足がついた人とならせたのでした。だから、リアルな世界も、抽象的な世界をも含んで、いろいろなことが瞬時に見える人と、今は、なっているのです。【キリンの子】の著者と同じくらい、さといかもしれませんよ。

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副題3、『オランド大統領が、フランス国で、非常事態宣言を六か月延長したというニュースを扱うNHKの手法は、周南事件の、一審を扱った手法と全く同じだった。したがって、私は、自分のブログが、世界を動かしていることを知る』

 朝、5時台と、6時台のニュースでは、NHKは、確かに・・・・オランド大統領が、フランス国での、非常事態宣言を、6か月延長する・・・・・と言いました。しかし、私がブログにそれを書いたとたんに、午後零時のNHKニュースでは、それは、もう出てこないのです。

 特に、その前報(後注1)内で、・・・・・私のブログ(前々報=後注2)に対応して、そう言う措置が取られた・・・・・と書いていますが、それが、当たっていたからでしょう。だから、NHKは、お昼のニュースではそれを出しませんでした。私が銀座に居た夜7時のニュースと、夜9時のニュースではどうなっているでしょうね。鬼の居ぬ間の洗濯として、再びオランド大統領の、非常事態・継続・宣言が出ているか、または、出ていないか。まだ点検をしていませんが。前夜(19日)にも出てきていませんので、20日、午後零時のニュースで、それが出てこなかったことは、非常に重要になります。つまり、私がオランド大統領を動かしたと言う事になるし、それを私が気がつき、しかもブログへ書いたとたんに、そのニュースがひっこめられましたから、私が世界を動かしたと言う事となるのです。

 この・・・・・朝のニュースで、私には知らせたくない事、しかし、重要な事を、国民には知らせたい・・・・という手法は、周南事件の、一審でも、見られた現象です。私は周南事件の、場合、徳山の山間(金峰)にする五人の老人が惨殺された暴力は、保見一人ではできないことで、殺人用プロフェッショナル軍団(時によっては、警察の殺人用別働隊だと、言明している場合もありますが)によって行われ、保見は納得をして犯人を引き受けているだけだと、言い続けています。だからこそ、保見が、犯人だと確定した、裁判を行い、それを国民一般には知らせたいのです。しかし、私には知らせたくないのでした。だから、朝のニュースでだけ、裁判の予告を居たのでした。私が録画をしている、12時、19時、21時のNHKニュース内では、一審の予告など出てこないし、21時のニュース化、どれかの中では、結審さえ、出てこなかったと、覚えております。地方ニュースとか、民放では、保見が死刑になったと出ていましたが。

これから、朝のニュースも録画しないと成らないかと、憂鬱になっているところです。

 若いときは、母が、『あんたは運転を習ってはダメよ。夢見る夢子さんだから」と言っていたし、友達は、生活臭が無いと、言ってくれていたのに、今では、『怖い人だ』と言う評判をとっているのですからね。

 あのね、私は感情的にはならない様に、自己鍛錬ができているのです。たとえば、今、画廊るたんのオーナー中島三枝子さんをとっかかりとして、美術界、特に国画会の裏側を、順次開示して行っているわけですが、

 こういう風に文章を構築できるのも、中島さんに対して、怒ったり恨んだりしたことがほとんどないからです。
『あ、こう言う事(イコールいじめと言うやつ)をやって来て、それで、彼女は勝ったつもりでいるらしい。だけど、彼女と私の間には、過去には、いじめられる様な、原因が無いので、特に、何の因果関係も因縁もないのに、どうして、こう言う事をやってきているのだ。裏には誰がいるのだ。そして、何が原因で、その人物は、中島さんを、スナイパーとして、たきつけているのだ』と、考えながら、冷静、極まりない目で、観察を続けていて、いざ、必要な時(それは、忌わしい謀略が起きて、ニュースとしてNHKが報道をした時)に、それを、傍証づけの一つとして使えばいいのですから、『ああ、よかった、見事な(ブログの)種をもらいましたね』と思うだけなのです。

 そういう時には、詩人から、戦士にまで、自由自在に、自分の受け止め方を変更して行きます。それが、現在の、鎌倉エージェント達との、激しい戦闘状態で、出来上がった私の態度と言うか、マナーです。生きる手法の一つです。

 そして、あ、このケースを文章化しようかなと、思ったらリアルな世界で、その人との関係を切ります。それから先は、詩人の世界だけになります。つまり、抽象的な概念だけの世界へ入ります。

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副題4、『電車の中で、夜の8時台に考えていたことは、坂本越郎を、その従兄弟である永井荷風と、比較検討してみよう≫」」」だった。しかしボツネンを調べているうちに、伊藤整と、密接な関係があったらしいことが、判り、今、相当にうんざりしている。伊藤玄二郎が、【星座】と言う詩を主体にした季刊詩を出していることもあり、いよいよもってきて、伊藤整と、伊藤玄二郎との間に、親子関係があるのではないかと言う事が見えてきたからだ。今までは、2009年を中心とした大相撲壊滅作戦の時に、突然表に出て来た伊藤滋氏の存在からだけ、それを、考え出して居たわけだったが、

 伊藤整が小説や評論だけではなくて、詩も書いていたとすると、そして、同人誌などで、坂本越郎と、組んでいた過去があると、知ると、【詩とファンタジー】を、伊藤玄二郎が、出版し始めたのも、父の人的コネクションを、一種の遺産とみなして、それを使っていると、見えて来るし。その伊藤玄二郎こそ、鎌倉エージェントの中心人物として、我がご近所住まいの、人間たちを外での、会食付き会議に誘い出し、案出したいじめ策で、スナイパーとして動くように教唆し、暗黙裡に命令している模様だし・・・・・と言うわけで、すっかり気分が悪くなってしまった』

 ずいぶん長い文章を、二重ガッコ内に入れています。と言うのも本日(2016年7月20日の事)の、夜7時半から、9時半までは、私は、坂本越郎を、永井荷風と、比較検討をする文章を書くつもりで、その詳細が頭の中に組みあがっていて、すこぶる付きで、晴朗な気分になっていたのです。創作とは、最も大きな快楽の一つだそうです。

 そしていいものと悪いものは、自分でもはっきりと選別ができるのです。いいものができたと確信する際には、本当にうれしいのでした。そして、喜びがふつふつと内面から湧き出て来て、それは、お歌へと繋がって行きます。特に美しい声が出るのです。

 テレビ東京の特番ドリームハウスをご覧になった方は、最初の方に、地形の模型が出てきたのを覚えておられるでしょう。あの最初の平地道路に入った途端に、私の口の端には、何かのセミクラシックの曲が浮かんできて、楽しくて楽しくて仕方がないという境地に入ったのです。

 しかし、没年を調べるためにググった途端に、伊藤整が出て来て、愕然としました。本当にがっかりしましたね。と言うのも、彼ら鎌倉エージェントが醸し出すものと言うのは、腐った血みたいなものなのです。べとべとであり、しかも腐臭がしていて、しかも、洗っても容易には、落ちないという、そういう種類の雰囲気を持って私に襲って来るのです。陰に大量の殺人事件が隠されていますからね。

 本当は坂本越郎と言う、美しい姿形を持ち、美しい生涯を送り、野村萬斎と言う、優れた狂言師を孫として、生んだ、そう言う人物と、その従兄弟である永井荷風の生き方を比較するつもりだったのですよ。

 しかし、没年を調べただけで、すっかり、気合が薄れてしまいました。燃える様な激しい集中力が薄れてしまったのです。しかも、夜の12時を過ぎたのに、まだ、夕飯さえ食べていません。ので、ここで、本日は終わりと、させてくださいませ。羊頭狗肉もいいところですが、仕方がないのです。気合がそがれてしまったので・・・・・で、恐れ入りますが、そう言う事でお許しくださいませ。

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