銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

サロネーゼ、流行現象、を、考えてみる

2010-06-18 09:55:29 | Weblog
 今週のはじめの夕方、フジテレビ(安藤優子さんの番組)を見ていたら、サロネーゼという流行を、報じていました。本日は小さなことを話題としますが、女性の幸せの問題と通じるので、書き送るのをお許しくださいませ。

 たまたま、成功例として最初に紹介をされた人が、北鎌倉のマダムで、白を基調とした豪華な、居間(もしくはダイニング)で、お料理と、マナーを教えて、一回が、7000円ということです。彼女は商社マン夫人として海外勤務の体験があり、それが、一種の下地となっている人です。物心両面の投資や、経験を経て、この位置に上り詰めた人です。

 だから、最終段階で、私が述べる、今日の文章の結語には、当てはまらない人ですが、そういう特例ではなくて、全般のことを考えて見ましょう。

 私は画面を見ながら、すばやく、頭を回転させ、上手に運営すれば、一ヶ月に、20万円ぐらいのおこづかい稼ぎになり、かつ、自己実現が可能な生活だから、人々の憧れの的とはなり、それゆえに、こういう生活スタイルが流行現象となっていて、今現在、800を越える数のサロネーゼが日本にいるというのも、うなずかざるを得ないと、感じました。
 また、それに目をつけた会社が、一種の起業支援、授業として、サロネーゼ・開業講座を主催していて、それに、参加する女性が多い現象も報じていました。

 でも、それをみながら、そこはかとはない違和感をも感じていたのです。それを、見事についたのが、そばで一緒に見ていた、主人の寸言、「結構、大変で、幸せではないよ」でした。
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 ところで、私はある頭のよい方から、「川崎さん(雨宮の本名)の文章って、いつも教訓に満ちていますね」といわれてしまって、恐れ入ったのですが、

 年取っていますのでね、(そうですね。そうは見えないとよく言われますが、67歳です。だから、)威張るつもりはないのですが、若い人に対して、忠告をしたいという気持ちが多いのでしょうか。

 それは、自分の子に対して直接いうと反発を受けますね。それは、どこのご家庭でも同じでしょう。だから、つい、この世の誰か、わからない不特定のお若い方へ向けた、発言として、教え諭す感じになってしまい、教訓が含まれてしまうわけでしょう。つまらない文章となるわけですが、お許しくださいませ。
 まあ、そちらさまは、私のブログをお読みいただいているわけではなくて、本を読んで下さっている方です。私は今のところ、紙の本としては、芸術の方面だけをまとめているのに、そういわれてしまったので、余計に、恐れ入りました。
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 で、サロネーゼ現象に戻ると、これは、昔からある専業主婦のお稽古事の世界と同じです。茶道教室、とか、華道教室と同じです。ただ、インターネットを使って、来る人を集めているらしいことと、その教室に集う人が、一回ごとに同じ人ではないということが、異なります。

 で、教える側にとっての、もっとも大きな負担である、人間関係の失敗を、少なくすることができます。つまり、先生側にとって、もっとも大きな負担とは、生徒側からの人気が失われることであり、教室がはやらなくなることなのです。

 で、それは、ご近所には、わかることですから、インターネットで、地域社会から離れた、お客を集めるのは、先生側にとっては、楽になることです。しかも一回の講習、費、が高いので、それを払ってまで、来てくれる人は、上流社会の人であろうから、行儀作法は完璧であり、おうちの中に、不特定多数の人を入れ込んでも、乱暴なことをするはずがなく、大丈夫だと言う見込みもあるのでしょう。

 昔からある、お教室は、生徒が持続をしますし、一ヶ月単位のお月謝制度が多いので、一回の講習費が、1000円から2000円どまりが多いのです。お絵描き教室、手芸教室、編み物教室など、いっぱいありますね。ピアノの先生も生徒が集団でくるわけではないが、一種のサロネーゼです。

 でも、今の流行との違いは、そこに漂う、セレブ意識です。

 だけど、そこが、また、違和感を生むところなのです。私と主人が同時に抱いた違和感は、他言すると、人聞きが悪いかもしれませんが、幸せとは、そういう形では存在していないと言う感覚です。不思議な言い草ですが、お金や、時間の面で、恵まれていることは、二次的な幸せに過ぎないという直感です。

 幸せを感じる瞬間とは、変化の中に生まれます。普段泥田の中にいて、戦いを続けているうちに、ふっと、恵まれる休息の感覚とか、他者からの慰撫の感覚とか。

 そういうものであり、===決まりきった形の中にあるものは、二番目とか、三番目の価値のある幸せでしかない===と、いう直感なのです。上が、今日の結論ですが、本物のサロネーゼと、そこにつどう、かたがたからは、単なる放言とみなされるでしょう。

 それと、もうひとつあります。『他者より、自分は一頭ぬきんでているのだ』という自信を持つときに、その裏側に、それに相当する苦労があるかどうかも肝心なのです。もちろんのこと、サロネーゼは夢を売る商売だから、苦労を見せることは、バツです。

 ただ、===この位置にたつ前までは、絶対に苦労があった、それゆえに、上に立ったのだ===というのなら、よいのですが、そうではないと、どこかで、天に罰せられるときがあるのです。これは会社員として勤めているうちに出世した人にはあまり当てはまらないことなのですが、専業主婦の中で、出世すると、陥りやすい陥穽です。特に子供に関して起こりやすいことです。

 それは、恐ろしいことですが、例のサディスティックな集団リンチ事件の主犯のお母さんも、当時としては、他者にぬきんでていたエリートですから、そのように考えます。彼女は主犯であった少年に対して、忙しさにかまけて、五歳ごろから、一種の育児放棄をしていた模様ですが、一方で、エリート主婦で稼ぎもある人ですから、その手抜きが、夫や自分ともどもに、容認をされていたのです。

 専業主婦が、何らかの収入や地位を得ようとすると、それなりに大変です。そのための犠牲として、どこかで、何かをはしょると、それなりの、結果が出てきます。ほかの実例を見ても、そのように考えます。ただ、主婦であっても、会社つとめは、性質が、異なります。
                       では、2010年6月18日、雨宮舜
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2 コメント

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サロネーゼ (Blue Lagoon )
2011-05-23 12:00:46
雨宮さんのご意見に全く同感です。
私もサロネーゼから欲が出て、家事が疎かになっていった妻を持って苦労した一人です。女性は仕事するべきではないとは思いませんが、
雨宮さんの言われるように、真の幸せとは何かをよく考えてサロネーゼを始めるべきだと思いますね。あとから失った物の大きさに気がついても遅いですからね。失う前にもう一度、冷静に自分を見つめなおすことも大事だと思います。
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御礼 (雨宮舜)
2011-05-23 15:10:47
私もね。子供が小学生のころ、英語塾を始めました。大変生徒に慕われて幸せではありましたが、こういうことを続けることのストレスを考えて自分ひとりでできるアートに専念することとなります。

 で、アートの世界も大変です。それらの苦労を続けていって、こういう結論に達しました。お宅の奥様がお若いとなかなか、理解なさらないと思いますが、実は、こどもが、中学生以降が一番大切で、その時期に、奥様(お母さんが、経済的に余裕があるのなら、絶対に静かにしていて、子供を見守ることが必要です。

 経済的に大変なら働くことはかまわないのですが、自己実現と名誉を求めて突き進むと子供に反逆をされます。こどもって本当にきちんと見ています。子育ての手抜きは自分に帰ってきます。

 それで、追いついて、丁寧なことをやらないと、それこそ、事件になりますので、かえって、大変です。事件にならない場合は引きこもりになります。

 今、不都合なお子さんを抱えている中流家庭がいっぱいあります。私は今は、68さいです。ともかくニある時期反省をしたので、子供たちは無事に結婚をして、自分の家庭と子供があり、働いているので、私も安心して、心と生活が安定しています。

 もし、奥様が反省なさっているのなら、この私(パリやニューヨークに旅行ではない形で、滞在修行を三回もした人間)がここまで言うのだから、本当ですよ。とお伝えください。もし、今、反省がない時期だと大変ですね。ご苦労をお察しいたします。

 でもね、どこのご家庭でもご苦労とはあるのですよ。お金には関係がなく、あるものです。では、コメントをいただきありがとうございました。

 膨大なものを書いていますので、もし、ほかのものもごらんをいただければ幸いです。銀座の鶯からで、検索をしていただけますと、最新のものが出てきます。今は怖いものを描いていますが、世間が厳しくなりましたので、私の文章も自然と、怖くなっています。では、
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