銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

優秀な孫・野村萬斎を生じせしめた坂本越郎は、永井荷風、高見順、伊藤整を、どう見ていたのだろうか△

2016-07-21 22:54:32 | 政治

 今は、23日の午前三時です。下の文章の加筆と誤変換直しが終わりましたので、恒例の△印を総タイトル横に付けておきます。

副題1、『能楽堂のロビーにあった数々のポスターのうち、入場料を記載をしていなかったのは、野村萬斎が。間(あいま)狂言にでる公演だけだった。即座に完売するのだと、想像できる。それほど、野村萬斎は、人気が高いらしい』

 私は、実は野村萬斎を好きではないのです。と言うか、17日までは、好きではなかったのです。理由は、あまりにも成功しすぎで、幸せすぎるからでした。しかし、野村萬斎を、動く映像として見たのは、NHK朝ドラ、【あぐり】内でだけですから、とやかく言う資格もないのですが・・・・・それでも、2016年の7月17日に、千駄ヶ谷の国立能楽堂の客席で、隣のお客さんから、超上手に圧縮された、狂言の世界の話を聞き、かつ、特に、和泉元彌が、かわいそうだなあと、思ったので、野村萬斎には、感情移入ができないのでした。

 そのお客さんが解説してくれたことは、後注1に、書いてあります。が、もう一度まとめてみると、

・・・・・狂言には、大きく分けて、大蔵流と、和泉流があり。本日公演をしている善竹家は、大蔵流の一派なのである。大蔵流は一度、途絶えて、その後、善竹家から、養子が入って再興したので、本日も、全、五演目のうち、一つは、大蔵家が、演じている。

 もう一つ和泉流と言うのがあって、野村萬斎と、その父万作が有名である。これらは、江戸時代には、別々に独立していた家だから独立不遜の気概も大きい。ところで、和泉流宗家は、和泉元彌の母親が中心で、あれこれをやっているのだが、この母親が、元彌の、姉を舞台に立たせたので、能楽協会から破門をされている。女性は能楽の舞台には、立てないこととなっている。・・・・・

 と、そう言う知識を得たうえで、二重ガッコの中に書いた様に、野村萬斎が、抜群の人気を誇っていることをも知ったわけです。私は、NHK朝ドラでも、彼が出てくると画面が突然、生き生きとして来て面白くなるので、才能豊かな人材だとは、判っているのですが、一方で、怜悧さを感じるし、勝ち組中の勝ち組なので、感情移入ができないのでした。

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副題2、『狂言界で、突出して、人気が高い、野村萬斎が、加わる座組の、チケット代は、いくらだろうかと、私は、想像をし始め、その後、それが、正しいかどうかを確認したくなった』

 たくさんのポスターを比較検討すると、能楽の舞台と言うのは大体、上が9000円から始まり、学生向けに5000円の席までで、終わる様です。お金で、文化を論じてはいけないけれど、お金程、クリアーに現状を語るものもないので、印刷されていないチケット代を、私は、想像をし始めます。

 『野村萬斎が、合い間狂言として、出演する能の座組公演、ばさらーII は、きっと、S席が、一万五千円であり、次のクラスの席が、一万円であり、三番目のクラスの席が、七千円であろう』と、想像をしたのです。

 『それが、印刷をされていないのは、発売当日に完売してしまう程、人気が高いので、お客様は、切符代など、気にしていないから、そうなっていると言う事もあるが、

 この能楽堂のロビーに張ってある、他のポスターの公演を張る座組の人達に遠慮していると、言う奥ゆかしさが、有るのかもしれない』

 『和泉元彌が破門にまで至ってしまったのは、母君がテレビのバライエティ番組(当時は、ニュースショーが主だったが)に出まくった、けたたましさが、一方の原因でもあったらしいので、能・狂言の世界では、おとなしくて、礼儀正しい事が、ことさらに、必要なのだろう』とも、思い立ったのです。

 ところで、化学科出身の私は、自分が仮説を立てたら、それが、証明されないと気が済まないのですね。それで、この公演の、本当のチケット代を知りたいと思って、あっちこっち、インターネットの世界で、探ってみました。が、ついに、見つけられなかったのです。で、今日の、今日まで、何故、チケット代が、印刷されていなかったのかについては、ただしい情報をつかんでは、いません。万作の会のホーム頁にも入ってみましたが、ばさらーII は、狂言だけの会ではないので、情報が載っていませんでした。

  しかし、お金のことにこだわって探しに探しているうちに、まったく別な情報を手に入れてしまったのです。それが、『野村萬斎は、坂本越郎の孫である』と、言う記述でした。

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副題3、『坂本越郎とは、私にとっては、単にパソコンの画面上で、字面で、感じる存在ではなくて、血の通った人・・・・・特に素敵な紳士として、私の記憶に残っている。それは、氏が、お茶大付属高校の、校長先生であった時期があり、その頃、私が、生徒だったと言う事があり、それもあるが、その後、私の方が卒業して大人になってから、小さなお部屋で、四、五人だけで、氏の形骸に接しているので、疑う余地もないほどに、記憶が鮮明なのだった・・・・・それで、野村萬斎に対する嫌悪感も消え去った。と言うのも、坂本越郎とは、政治家や文化人を多数輩出した、一種の名家の人だから、野村萬斎が、怜悧に見えたのも仕方がないのだった。野村萬斎は、日本の、正真正銘の上流階級の人・坂本越郎の孫なのであるから。そして、野村萬斎が、狂言界で、突出して、人気が高いのもむべなるかなと、思い到る。頭の良さが半端ではない筈だから』

 私は、坂本越郎の、人柄には惚れています。そして、坂本越郎が、詩人であると言う事も知っています。だけど、坂本越郎の詩を読んだことは無いのです。だから、後注2に置いた文章の総タイトルは、限定された分析と言うべきものです。しかも、正門から入る分析ではなくて、周辺から入る分析です。

 つまり、私がやりたいことは、坂本越郎は、何故、詩人一本で域内で、大学教授になったかと言う事を探り考えることなのです。つまり、『何故、サラリーマンで生きるだけで、良しとしたか?』が、問なのです。

 特に従兄弟としての、26歳年上の、永井荷風がいて、そして、一歳年下の異母弟、高見順がいる。また、雑誌の同人として、その存在を真近で見ていただろう、伊藤整がいる。

 特に伊藤整は、裁判を起こしたり、しかし、反対に従五位の、位階をもらっていたりして、現実社会での、出世を遂げて居る。こう言う事をどう考えていたのだろうか?

 高見順は、ごく近所(同じ町内)に母と一緒に住んでいたらしいのです。1910年代から、20年代にかけて、当時の金額で、10円の生活費が、坂本家側から、渡されていたそうです。大学での初任給が、60円だったとか、父に聞いたことが有りますが。が、苗字は、高間のままです。高見は、ペンネームなのです。

 坂本越郎の方は、正式な妻の子であるので、劣等感を抱かないで、済む方の立場でしたが、私が、越郎の立場だったら、原罪意識を持つと思います。

 『だから、そうだったのか』と、思い当たるのですが、お茶大と言う勤務先に、勤務していても、坂本越郎には、何のスキャンダルも起こしていないでしょう。若い女性のあふれる色香というモノをすぐそばに、感じていて、それを、理解していても、乱れない、または、手を出さないという姿勢。詩人なのだから、色香を理解する能力は、十分すぎるほどにあっても、手を出さない姿勢。

 そう言う処が、野村萬斎にも、伝わっていて、そのお行儀の良さが、彼は、怜悧な人だと、私に感じさせてしまうところに結実をして行くのかな? 坂本越郎自身は、決して怜悧な人と言う感じは受けなかったのですが・・・・・

 ただ、萬斎君に言いたいのだけれど、「この文章があなたに伝わったとしても、急に女遊びに等、ふけってはいけませんよ」と。香川照彦は、私のメルマガ内の一文が伝わったらしくて、市川中車に変身することにしたみたいなので。その原文は、後で見つけて後注3として置いておきますが・・・・・

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副題4、『坂本越郎は、自らの一族の事を、小説として書いていない。「どうしてだろう?」と問えば、答えとしては、「わざと取り組まなかったのだろう」と、なると、私は思う。それだけ、坂本越郎は、幸せだったから? 抑圧やらコンプレックスが少なかったから?  または、27歳年上の、従兄弟である。永井荷風を見て、創作にまっすぐ進む、または、耽溺することの危険性を感じたから、自分に歯止めをかけたのだろうか?・・・・・?!?!?』

 坂本越郎の、父親は、明治時代の官僚で、県令(=知事)を勤めています。明治政府の藩閥である、薩長土肥出身か、それとも、東京の徳川幕府方の、古い家柄だったのかは、私には、わかりませんが、親戚と、姻戚を含めて、名士が多発しています。しかし、一方では、詩人なのですから、繊細な人の筈です。かつ、永井荷風が従兄弟であり、高見順が異母弟なのですから、朴念仁では、無く、発想も常に涌く、考える人だった筈です。学習する頭と言う意味でも優秀で、創作する頭脳としても優秀だったはずです。

 ただ、従兄弟である永井荷風が、27歳もとし上で、坂本越郎が、大学生のころ、すでに、有名人であり、かつ、生活破綻者として、一族内では、みなされていたという事情があったのではないでしょうか? で、例えば、越郎が、小学生のころ、一家で、食卓についたと仮定します。その時に、中学生になっている兄に向かって、母親が、「あなた、永井荷風が親戚だなんて、学校で、お友達に言わない方がいいわ」とでも、さとしておられたとしたら、傍でそれを聞いている坂本越郎は、定職を持たない芸術家暮らし(=文士として暮らすこと)には恐れを抱く様になっていたかもしれません。確かに、真の芸術家って、遠いところに住んでいる、ファンにとっては、素晴らしいものですが、身内にとっては、厄介な人間とみなされて居たり、単なるわがままものに見えたりするものですから。

 坂本越郎は、自分の能力や才能を信じていたが、それに、耽溺したり、依存し過ぎてはいけないという戒めを、自分にかけて居た様な気がするのです。

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副題5、『文章が書ける人は、どういう人間かと言うと、・・・・自分と他者との間に、何らかの違和感を持つので、文筆家になる・・・・と、どこかで聞いたことが有る。で、自分を見つめたり、また、他者との関係を考察したりするために自伝を書く。しかし、坂本越郎には、ヒットした書物としての自伝は無い。』

 二重ガッコ内に書いた通りであって、日本でも、北杜夫の【楡家の人々】とか 山口瞳の、【血族】が出版をされているみたいです。後者については、私はまだ読んでいません。ところで、余談に入りますが、私が長編小説を読んだのは、結婚前までです。結婚後に読んだのも数は多数あるのですが、ほとんど覚えていないのです。しいて言えば【カラーパープル】と、【朗読者】が、印象に残っていますが。

 ところで、北杜夫は、【楡家の人々】を書く前に、トーマスマンの、【ブッデンブローク家の人々】を読んで、『なるほど、こういう主題も取り上げていいんだ』と、思ったと伝えられています。その【ブッデンブローク家の人々】も、若いころに私は読んでいます。【チボー家の人々】、や、【ジャン・クリストフ】なども、一種の自伝(ただし、ロマンローランは、サブ主人公に回っているが)とみなしてもいいかもしれません。

 高見順も、私小説風小説で、愛読者が多数になったと、みなされているそうですから、自伝を書いていると、見てもいいでしょう。しかし、私は高見順の物も読んでいません。つまり、この一文は、文芸評論ではなくて、坂本越郎の、生き方の哲学的意味を、分析している章なのです。

 鶏が先か、卵が先かの論争ではないが、坂本越郎にとって、国立大学の教授を務めると言う事は、それは、一種の縛りを自分に課する仕事だったと、思われるのです。

  スケデュールが決まっていることもその一つですが、職業的に言って、乱れることができないという縛りもあるでしょう。1960年代の、大学紛争より前までは、大学教授と言う職業の、社会的地位は、高かったのです。

 しかし、あまり乱れないという点は、家族を養うのには、最適な生活態度だったのです。そして、子供をきちんと育てておくと言う事は、孫が、健康に、そして、優秀な存在として生まれると言う事です。私が坂本越郎先生と懇談をしたのは、1967~8年の間で、東大に努めていた頃でした。と言う事は、お孫さん=現在活躍中の、二世・野村萬斎が、すでに、生まれた後です。能楽堂の舞台には、男しか上ってはいけないそうですから、越郎先生も、お嬢様に、男の子が生まれて、とてもほっとしておられた時期だったことでしょう。優しくて、寡黙で、上品な方だという印象を、3mぐらい離れて座っていても、感じました。

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副題6、『伊藤整が、あれよあれよと言ううちに、現世での出世を遂げて行ったことに対して、坂本越郎先生は、どう考えておられたのだろうか?』

 私は坂本越郎先生は、高見順に対しては、複雑な心情を持っておられたと思います。だけど、それを家庭内で、語ったりは、なさらなかったでしょう。その点に関する心のうちは、誰にも見せなかったと、思います。高見順の方では、意識しつつも、見える形としては「越郎君の事は、僕は、歯牙にもひっかけない」という態度をとったのではないでしょうか?

 それに対して、越郎氏の方では『若い時に、あちらは、苦労をしたのだろうから、こう成っても仕方がない』と、考えつつも、原罪の意識を刺激されたりして、ほか、いろいろはあったと、思います。

 一方、伊藤整の、方です。こちらもけたたましいスピードで、マスコミ有名人として、掛け登って行き、ただ、それだけではなくて、装置としての名誉も、勲三等だとか従五位だとか、獲得して行きます。

 それに対しても、ずっと、平安、平静で、『そうなのか。彼は、苦労人だから、こういう風に生きるだろうね』と、思っただけだと、思います。別に痛痒は感じていなかったと、思います。経済的に恵まれて育ち、父親の社会的地位も高かった人は、通常は、自分が恵まれていることを感じないものです。しかし、坂本越郎の場合は、高見順の存在があり、青年となってから目の前に現れた伊藤整の存在もあって、自然に、自分が恵まれているのだと言う事を、感じ取って居た筈です。

 だから、焦るとか、残念だと思うとか、言うことは無かったと、思います。簡単に言ってしまうと、無欲に見える姿勢だと言う事です。

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副題7、『・・・・・坂本越郎先生の無欲の姿勢が、野村萬斎と言う傑作へ、結実した・・・・・と、私には思われる。もちろん、野村万作氏側も優秀な人物みたいだが。

 どうも、このご夫婦(=万作と、若葉子夫妻)は、両方とも、お茶の水女子大付属中学校の卒業生である様な気がする。もちろん、お見合い結婚かもしれないけれど・・・・・文京区の有名人と言うのは、お茶大付属小学校に子供を入れる傾向があるものだから、野村家も、坂本家も、もし、親の家が、文京区か、その近辺に在ったら、そうなったのではないかと感じる』

 「チャンスは前髪をつかめと言うでしょう。そういう風に動かないとだめなのよ」とか、「メディアを利用しなければだめなのよ」とか、その他、種々様々な忠告を友人が15年ぐらい前に、くれました。どうして、そう言う『お金を稼ぎたい』という問いを発したかと言うと、親の遺産で、制作をしたり、発表をしたりすることには負い目を感じていて、早くお金が稼げる芸術家になりたかったからです。

 しかし、それがかなわないうちに人生の終盤を迎えて、終活に入らないと成らなくなったのです。(苦笑) でね、一方では残念であるモノの、一方では、その結果に、自分だけではない別の作用因子があったとも、判ってきていて、それに対して、どういう風に考えるかと言う命題を突き付けられているところです。今は、そう言う時期なのです。

 ところが、結構自足の念に満ちているのです。社会通念的には、一種の負け組らしいのですが、それでもね。毎日、不思議な形で、天からの幸運と言うのをいただくのですよ。だから、結構なレベルで、幸せな方なのです。しかし、2005年ぐらい前までは、エッセイとしてそれを、外部に発表をしていたのですが、私の場合、すぐそのエピソードに登場する友人や知人を、外部から奪われるので、今では、エピソードとして書くことを、致しません。外へ出しません。だから、外部から見たら、本当に取るに足らない存在でしょう。だけど、本日も外人と、たいへんユニークで、美しい会話ができたのですよ。心洗われる経験をして、帰ってきました。

 世の中は、不条理に満ちています。だが、人間が、セッティングすること以外に、神様がセッティングすることもあるのです。

 野村萬斎と言う傑作は、今までは、私には嫌いな存在でした。マスメディアの働きと、その上手な利用で、出来上がっているのではないかと想像をしていて、好きではなかったのです。特に万作氏が、ネスカフェのコマーシャル、違いが判る男に出てきた紳士なのですってね。そういう裏側は知りませんでしたが、それでも、知名度がとても高いので、萬斎君は、親の光は、七光りで、有名人になっているのだと、そう言う風に思い込んでいました。

 しかし、坂本越郎の孫だったら、『肥沃な、そして、清潔な土壌と言うのを、坂本越郎が用意したのだ。その上にあの花が咲いたのですね』と、納得がいったのです。人智を尽くしても傑作ができるわけでは無い。何らかの、プラスアルファが必要なのですよ。そのプラスアルファが、今般は、見つかったので、私はすっかり、気持ちが良くなったのでした。『ここにも、神は存在する』と、かんじているからです。 

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   2016年7月21日の深夜に書き始め、22日の深夜に加筆推敲をし始め、23日の午前3時に完成させる。  雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)

後注1、

野村萬斎は、坂本越郎(私にとっては高校時の校長)の孫だった。驚いた   2016-07-18 04:20:35 | 政治 

後注2、

野村萬斎の、祖父としての、坂本越郎について、本日は分析をしたい・・・・前篇

2016-07-20 21:55:56 | 政治 
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