銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

瓜南直子、伴清一郎、柴田悦子、NYの美大で、猛毒の液体を床にぶちまける、京都精華大学卒の日本人留学生

2019-01-06 01:30:59 | 政治

 今は、2019年の1月6日、夜11時です。先ほど、椅子に座ったまま、30分ほど転寝をしたので文末に加筆ができる見込みになりました。と、同時に総タイトルを変更させていただきます。

最初の総タイトルは、【19-1-5の献立。私の料理は、材料の種類と量が豊富なので、瓜南直子さんとの、確執を招いたものだった。そこに、鎌倉エージェントが乗じたのだったが】次が、今航海中の、上のものです。

~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『2019年1月5日の、献立・・・・・それが、材料と量が豊富なので、瓜南直子さんとの、確執を招いたものだった。そこに、鎌倉エージェントが乗じたのだったが』

 私は、この4日も5日も体調が悪かったのです。したがって、重いものを書きませんでした。通常の日のブログは、相当に頭が明快な、日を選んで、書いております。唯ね。体調が悪いなりに、5日は、お食事作りだけは、励みましたよ。

 海外修行の為に、三年ほど、夜も逗子のアトリエに寝ていたと、もうし上げております。それは、主人が料理が、できる人だから、可能だったわけです。彼は、私が海外へ行く事は、許しませんが、料理ができる人だから、留守を任せて安心だったわけです。こっちも一人暮らし、彼も一人暮らしでも構わなかったわけです。

 しかし、男だから、栄養学にまでは、手を出していません、で、好きなものだけ、作っていたのです。脂っこくて、味付けがしっかりしているものが好きでした。で、其れが、心臓の血栓を招いたと、思うので、2016年の、4月以降は、できるだけ、体に良いものを作りたいと、思って居るわけです。

 で、5日の献立ですが、お昼は、手巻き寿司にしました。お正月用の、刺身類が、たくさん残っていて、冷凍をされていますので。ごはんは、最近は、必ず、夜は二合炊いて、白いご飯が余るように手配をしています。白いご飯が、あると、応用がきくからです。

 昨日の夜の、ご飯を電子レンジで、アッツアッツに温めたうえで、すし飯として、 後、山口県の、上等なかまぼことか、数の子を、お刺身と、同等な形で、並べると、『う、これは、おいしい』といお寿司が、できました。

 しかし、野菜不足だなあと、思いました。で、夜は野菜中心にします。

 献立は以下の通りです。

 蕪の京風蒸し物、ーーー  ただし、スナックえんどう10本程度と、鳥のひき肉、100グラム程度を入れて、19.5cmの深皿いっぱい程度にする。量が多いという事に特徴がある。スープを兼ねる。片栗粉で、とろみをつける。味付けは、白だし30CCだけ。蕪は大きくて柔らかい。で、素材はよい。たち吉の、例の画家Aに、一枚か二枚は、盗まれた可能性のある青地の深皿に盛る。で、白が引き立つ。

 葉っぱの、煮炒め、--- 同じものを大根の葉っぱでもよく作るが、新しい、かぶの葉でも、柔らかくておいしい。大型の蕪、二本分の葉っぱに、油揚げが一枚半。味付けは、白だし10㏄、濃縮そばつゆ20㏄、お砂糖、小さじいっぱい、お酒、10cc、本当は緑色を残すぐらいが、きれいで、おいしいのだが、茎が、硬かった場合を恐れて、いためた後、だし等の、水分を入れて、10分以上弱火でにつづけて置く。76歳特有の用心だ。これを萩焼の、15㎝径の、少し中央がくぼんだお皿に盛る。これは、配色という意味では、どうっていう事のない盛り付けだ。だが、味が濃いので、一種の保存食も兼ねる。きんぴらごぼう風のおかずだ。

 タコの酢の物、--- ただし、はるさめも入れて、半分中華風、つまり、量を多くする。と、いう点に特徴がある。其れをしの風の17㎝径の深皿に盛る。これは、配色はどうっていう事もない。

 栗きんとん、--- 親戚の集まりを外で、することになったので、ふたパック買ったのが、大いに余っている。それを染付風の、小鉢に盛る。これは、青と黄色なので、色遣いは美しい。

 以上、四種類。しかし、派手なメイン肉料理がない。主人は、不満そうで、保存食、2品を自分で冷蔵庫から出してくる。私は好きな人として、主人と結婚をしたのだけれど、この保存食の扱い等で、もめる。些細なポイントで、喧嘩になる。私としては、テーブルには、保存食はできるだけ少なく出してほしい。せめて二種類にしてと、頼んである。というか、もう命令に近い調子で言ってある。というのも五種類以上の保存食を開封してあると、結局は、三分の一か、四分の一は、捨てることになるからだ。

 私は子供が生まれてから、教えられた栄養学の基本は守っている。人間一人頭、一日、70グラムのたんぱく質が必要で、しかも、できるだけ種類を、多様にしてとる様に言われている。今日は、朝生ハムの小片、三枚、昼、刺身類、120グラム程度、夜、ひき肉50グラムとタコ50グラム。水分が入っているが、全部で、230グラムはある。しかし、夕食は地味である。バッと目立つ、肉片がない。てかてかと光った、豚の味噌漬けのソテー等は、ない。でも、自信がある。実際に主人は、食べ始めてから、蕪の薄味の、片栗粉入り、スープ兼の煮物が、思いがけずおいしいと、思ってくれたみたいだった。

 ギリギリの体力で、ともかく、作り終えたと、思って、自分では満足した。克己というのを、実践したと、思えたからだ。他者に勝つよりも、国旗の方が、素晴らしいことだと、思って居る。これは、鎌倉雪の下在住のいじめ主婦軍団に向けての言葉だけど。ああ、面倒くさいと、思う、気持ちを抑えて、動くという事は、其れができる体力があるという事で、うれしいことなのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『其れにつけても、【瓜南直子さんの、最後の、ツィッター】と、称する文章をグーグル検索で、見つけて、読んだことはよかった。・・・・・もう、一センチも動きたくない。おっくうで・・・・・と書いてあった。その後、入院してから、また、余裕あるユーモラスな文章に戻って、数本書いているみたいだったが、私は、実は、2011年の、八月から、・・・・・彼女は、肝臓が悪いだろう・・・・・とは、気が付いていたのだった』

 瓜南直子さんに、相当に、いじめられたとは、書いています。そして、其れもまた敵さんの心情を探るのに役立つので、2011年11月の末まで、読んだが、豊島屋のお菓子【源平巻】を、間に立てて、広島県在住の、金田ゆう子さんとの、やりとりに、これ以上はない悪意を、見つけて、瓜南さんの投稿は、さらに、嫌悪感の塊と、なってしまい、そのころを境にして遮断をして、読まなくなったと、言って居ます。すると、たった、7か月後の、2012年の6月に、彼女が死んでしまったので、・・・・・うーん、私が、ある一個人を、見守る力は、すごいのだ・・・・・と、思い至った次第です。

 私が瓜南さんの、投稿を毎日政治上の点検の為に、読んでいた時期に、誰が、彼女が半年後に死ぬのだと、予想していたでしょうか? ただ、私は、8月ごろ、お料理のことで、明瞭に瓜南さんから、抗議を受けて、それ以来、彼女の真実の姿を、知ることとなるのです。

 美術界の皆さんに言いたいです。あなた方は、自分が上と思う存在から、何かを吹き込まれて、私をいじめることが多いですね。美術9条の会なら、野見山暁司、渡辺豊重、赤津侃などが、上から、命令されて、私を、阻害し、いじめる様に、目下の存在に命令するでしょう。そして、私のことを全く知らないくせに、安易に、指図に従って、いじめて来る手合いが、居ます。私は即座には、其れを文章化しません。しかし、がぜん、その相手を注目し始めます。関心を持ち始めます。そうなると、その当該人物は、心理学的にも、資産形態においても、人的コネにおいても、私の目には、丸裸になっていくのです。

 今、尻^図として書いている・・・・・・合鍵を持っていて、随時侵入して嫌がらせを行って居る====ご近所住人、画家Aに・・・・・・しろ、彼の家庭内事情、経済状態等、人的コネのすべてが、私の目には丸裸になっています。彼について、書く事はまだ、終わっていないのですが、保坂涼子(航子という名前で、2016年は、活動をしていた)とか、秋山祐徳太子とか、一ノ瀬智恵子さんとか、既に、書いている人と、同じ程度に、・・・・・しかも、もっと、大量の字数を使って、画家Aとか、瓜南直子さんについて、書く気分はあるのです。今日は瓜南直子さんについて、さらに、丁寧に、書いていきましょう。今まで、書いた文章よりも掘り下げて書いていきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『2011年6月に彼女と第一次フェイスブック紙上の友達になって、彼女の投稿の内、料理が、一本の柱であることに気が付いた。で、八月ごろ、我が家の夕食という写真を撮って、彼女の頁の、お料理の欄に、コメントとして、くっつけた。すると、彼女から、・・・・・これは、やめてほしい。理由はご推察くださいと、言うコメントが、次の段階で、書いてあった。そして、友達であることを切断をされた。

 この現象だが、一般の人は、彼女のお料理写真は、洗練をされた配色で、撮影をされている。それに、比べると、私(=川崎千恵子)の写真には、芸術性がない。したがって、彼女が拒否したのだろうと、判断したと、私は推察している。

 しかし、私は一般人ではない。政治的主張をする人間であり、特に前報の最後の行に書いた様に、隠れた大物なのだ。だから、私に対しては、generalizeは、できないのだ。

 その上、瓜南直子さんが、個展をする画廊のオーナーである柴田悦子さんから、邪険な扱いをすでに受けていたから、当然のごとく、瓜南直子さんに、伊藤玄二郎が手を伸ばしていると、考えた。伊藤玄二郎から、直接だったのか、酒井忠康氏等を、間に挟んで居たかは知らないが、彼女が悪い方に、バイアスのかかった目で、私を見ていることは確かだった。いや、はっきり言うと、見下しているという事も確かだった。

 それは、25年前までは、普通の人で、むしろ紳士的といってよい態度だった、画家Aの、2002年以来の、激変と流れが同じなので、私は彼に対して、既に、始めていた観察態度を、瓜南さんにも、適応することにした。それで、普通の人はまるで、気が付かなかったであろう、瓜南さんの、生活の実態を、既に、2011年の、10月までには、正確に、把握していたのだった。

 瓜南さんは、軍人の家庭に生まれたはずで、器の類は、いいものを、両親の時代から、揃えていたと、思われる。しかし、既に、両親は他界をしていて遺族年金等の収入はなかったと、思われる。また、兄弟がいたと仮定をすると、実家は、兄弟の方にわたっていて、彼女は、そこから、家賃収入等を得る立場ではなかったはずだ。また、もし一人っ子だと、仮定をすると、相続税等を払うために、実家を売り払っていたと、思われる。その時に、一時金として、3000万円から、5000万円が手に入ったと、思われるが、一時金というのは駄目なのだ。なんとなく、使ってしまう。なくなってしまう。

 で、2011年の時点で、上で言う一時金が、1000万円を切っていたと、仮定をしてみよう。彼女は、実際には、次の年に死んでしまうのだから、1000万円あれば、余裕しゃくしゃくだったのだけれど、死の訪れがいつなのかは誰にも、予測が付かないことだから、彼女は、・・・・・後、30年は、寿命がある。この一千万円で、どういう風に生きていこう。月に割ると、毎月、3万円しか使えない・・・・・と、考えて、気分は暗澹たるものだったと、推察できる。

 で、瓜南さんは、既に、2011年には、経済的には、不安でいっぱいだったはずだ。で、其れは、絵筆一本で、生きている人物には、普通の事なのだ。リキテンシュタインとか、横尾忠則とか、言うのは、特別な存在なのだ。

 で、たいていの人は、結婚に逃げる。女性なら旦那の給料で、生計を立てて、自分が個展をする費用等は、画塾を経営して、生み出す。男性でも、連れ合いに、きちんとした仕事(給料の入る立場)になってもらって、自分用の費用はアルバイト(または、派遣などで)稼ぐという人が多い。

 しかし、瓜南直子は、芸大卒だ。プライドが高い。そして、思想的にも最先端の、女性でありつづけたい。で、事実婚を選んだ。結婚した当時は、彼女の方に、上で言う、遺産相続とかで、一時金も入っていたし、相手として選んだ人も画家なので、厚生年金が下りる人でもないし、其れが、遺族年金として、将来自分の手に入るわけでもないのだから、其れで、いいと、彼女は、考えたはずだ。画家とは創作の間は、孤独な時間が欲しいので、べったりな、夫婦一緒の生活はマイナスにもなるのだし。特に、1980年代までは金余りの時代であって、絵も売れた可能性が高いので、彼女は安心してそういう選択をしたはずだった。

  しかし、2000年以降は様子が違ってきていた。で、彼女は倹約を始める。それが、お漬物を、研究する生活だったし、私のお料理写真を嫌がった理由だった。そして、源平巻きを金田ゆう子さんに送った理由でもあった。私は、一時期豊島屋のお菓子をお使い物に使ったので、どれが、どういうお味をしているかを確認するために、アリと、あらゆる種類のお菓子を買ってみていた。源平巻きとは、素朴だが、あまりおいしくない方のお菓子なのだ。しかし、きれいな缶に入っていて、当時は、1800円だった。安くて、見栄えの良いお菓子なのだ。・・・・・・ふむ、ふむ、其れを送っている瓜南直子さん。やはり、お金にはこまっていたのですね・・・・・と、私はさらに確認をした。

 そのほかにもいろいろあった。

 実はお漬物三昧と、お酒を飲むこと。それが、瓜南さんの肝臓を悪くしたと、思う。それを、私は、2011年、8月に、彼女がコメントに送ってきた私の写真を、拒否して、

 こういうことはしないでください、その理由はお察しくださいと、言う言葉で、すべてを、見通したのだ。はっきり言うと、お金がないという事を騨。だから、私のお料理の写真にも、その材料の豊富さを彼女はわかるだけに、激怒をした。私は、美的な料理写真を撮ることができないかもしれないが、経済的にはある程度以上に余裕がある。だから、酒類が多い夕食の食卓を作ることができる。

 昔クッキーを作っていたころ、北久里浜では、「お菓子も買えないのか?」と、誤解をされた。しかし、其れは、お菓子作りをしたことのない主婦の発想だ。バターをたっぷりと使うと、スーパーで、売っている袋菓子とは、比べ物にならないほどに、おいしいお菓子ができるのだった。それを、家族に食べさせたいので、焼いている。「究極のスローフードだね」と、子供にも言われている。しかし、お菓子作りは、材料と、道具がそろって居ないとできない。主婦歴、40年以上たっているので、軽々とできる。のだが、元手が、かかるものだ。しかし、お漬物は、そうでもない。というわけで、瓜南さんの資産状態は、私には、丸見えになっていた。私に対して、いじめ行為を重ねると、あなたの方が丸見え、丸裸になるのですよと、言うのは、これを指す。

 しかし、逝去が、2012年6月4日とは、早かった。それは、意外にも早かった。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『ああ、矛盾だねえ。彼女も連れ合いの、伴清一郎氏もヘヴィースモーカーだったのに。受動喫煙運動を提唱した、鎌倉エージェントの、攻撃用弾丸となって、私をいじめてくるのですからねえ。

 上の写真は、鶴岡八幡宮の、小型車用駐車場が、二つある真ん中の道の入口に貼ってある、禁煙マークです。これは、全国一、早く、此処に貼られました。この先へ進むと、しいち、いなりと、言うのがあって、130段上ると、2016年7月18日、テレビ東京で、放映された、360度ガラス張りの家があります。その家の道路を隔てて、南側にあるのが、我が家です。受動喫煙運動は、私の【一本の煙草が落ちていて】と、言うエッセイが、上等だったので、突然に、加速した対、私用いじめ運動です。しかし、いかにも、素晴らしい事であるかの如く、ふるまうために、神奈川県知事、当時の松沢茂文に銘じて、条例化したのです。運動がいかにも大切なものに見せるためにね。でもね。数百年の伝統を持つ、喫煙の仕業を、此処で、急に断絶させようとする、いじめ行動に、別の方向、(=其れは、フェイスブックでしたが、)で。苛め抜いて攻撃をしてくる瓜南直子さんと、伴清一郎さんが、ある意味で、苦しめられていたのは、大いなる矛盾です。

 この標識ですが、「全世界の、人々がびっくりするだろう」と、クールジャパンの出席者が言っていました。外で、喫煙する際には、煙は、空中へ、飛散していくわけです。それぐらい、許すべきでしょうと、言うのが、一般的な常識です。井上ひさし(彼は、まだ、生きていますよ。)が、どれ程に、非常識で、残酷な性格であるかを示しています。彼は、私を言論弾圧する為に、全日本の喫煙者に、辱めを与えているわけです。私は、自分は、喫煙をしませんが、考え事をする人間にとって、たばこは必需品であり、たばこを禁じるのは、日本の文化を低劣化させるものだと、言って居ます。伴誠一郎さんも瓜南さんもヘビースモーカーだった模様です。

 そして、肝臓が悪いのに、浄智寺さんは、彼女を中心として、ラーメンの会を催しています。これも、伊藤玄二郎達に教唆をされた試みでしょう。ラーメンには、必ず、チャーシューが付いていますね。燻酒山門に入らず、の、ことばに、違反していますね。肉が、浄智寺に入ったのですよ。ああ、なんという、汚さであろうか? その会には、鎌倉五山の偉い人(=トップ)が集まったそうですが、何と、覚園寺さんも、北鎌倉の住人ではないのに、招かれています。

 覚園寺さんは、泉涌寺さんと、親しい模様です。したがって、瓜南さんが、京都で、2011年の夏に、グループ展を催したのも、「お前は、そういう機会が訪れないが、こちらには、訪れるんだ。負けているのを認めろよ」と、言いたい、鎌倉エージェントに、利用をされたわけです。でもねえ。瓜南さんは、東山に昇る坂を、伴さんが、タクシーで追い抜いていったのを、嘆いていますよ。それだけ、既に、体が苦しかったわけです。芸術家の結婚とは別居結婚であることをこれも示しています。別にそれが悪いと言って居るわけではなくて、別々に鎌倉を出発したと、いう事を語っているわけです。

 しかし、同じ連中が、周南事件で、無辜の人五人を殺し(保見はやっていませんよ)寝屋川で、アーケード街で遊んでいた中一の2児童を殺し(山田浩二は、やっていませんよ)、そして、やまゆり園事件で、尾野一矢さんに傷をつけ(それは、植松聖がやったでしょう。しかし、19人もの死者は、いませんよ)、そして、たぶんですが、今回の、元旦の竹下通りの暴走をも、企画しています。それから、横浜上大岡で、小学校一年生が暴走老人に轢き殺された事件も、其れから、大久保忠春さんという、九州産業大学の教授にして、私の中学時代の、知人が、暴走老女に、ひき殺された事件も、全部、此処に結びついています。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『瓜南さんがなくなったら、急に夫婦仲良しだったと、誇示し始めた伴清一郎さんにも、嫌悪感を持っているのだが、どういう人かと、本日調べてみて、精華大学の、中退者だと知って、・・・・・おやおや、【やすこ】と、同じ大学の出身者なんですか!・・・・・と、あきれてしまった。これから、今まで、【あさこ】と、言う仮名で語ってきた、やすこと、いう、精華大学出身者の、愚行、というかはっきり言えば、狂気の沙汰を述べておきたい。やすこは、ニューヨークブルックリンにある pratt institute という美大の大学院の版画教室の床に、私の個人的な持ち物だった、塩化第二鉄の原液、2リットルをぶちまけたのだった。それを、これから、丁寧に書いていきたい』

 私は精華大学の入口まで、京都観光のついでに行ったことがあります。ネットを開くと、今は、漫画の講座で、有名だそうです。伴清一郎さんは、そこの中退者だそうです。しかし、東京で、生まれたそうですが、どうして、京都まで、落ち延びたのだろう。そして、中退ですって。?????マークがいっぱいです。

 しかし、本質論に帰ると、画家にとって、卒業美大など、どっちでもいいのです。中退もどっちでもいいのです。しかし、此処では、政治を論じています。そして、今、私が最も大きな目的としていることは、鎌倉エージェントの悪辣さを書くことなのです。伊藤玄二郎 → 酒井忠康 または、石塚雅彦 → 柄沢斉 →、合いかぎを持っていて、我が家に侵入し、各種の悪さをして帰る、画家Aと、分析を続けているのも伊藤玄二郎へ、遡及していきたいからです。 

 でね、伴誠一郎さんは、あまり、私と関係がないのですが、彼と、瓜南さんが、常連として個展をやっていた柴田悦子画廊のオ-ナーが、失礼な態度をとってきましたよね。画廊るたんの、中島三枝子さんよりは、洗練はされています。しかし、ねじ曲がった精神という意味では、今、画家Aが大変困った存在である。それは、前田清子さんや、小野寺夫人よりさらにねじ曲がった精神の持ち主だからと、書いている、ラインで、語れば、中島三枝子さんが、前田清子さんにあたり、画家A

が、柴田悦子さんにあたるので、ちょうどいいのです。ここで、柴田悦子さんの後ろに伊藤玄二郎がいただろうと、書くのにちょうどいいのです。

 さて、此処で、精華大学が、結構、くだらない学生を卒業をさせていると、言う問題を語りましょう。

 私は、1999年、ニューヨークのプラットインスティテュートという美大の大学院へ、入学することができました。それは、大学院だとも知らないで、ただ、銀座の地球堂という画廊に、お客さんとしてきていたアメリカ人女性に、その名前を聞いて、やって来ただけでした。しかし、パリで、専門家だけが所属している工房に、入所できることができて、欧米では、学歴よりも才能優先だと、知っていましたので、私は、小品、油絵と版画を、それぞれの種類で、油絵、4点ぐらい、版画六点ぐらい持って、訪問をしたのです。するとFINEART学部の大学院へ入学を許可されました。日本で言うと、一種の聴講生かもしれませんが、三単位がもらえる学科、二科目で、4千ドル払いましたので、当時のレートで、52万円支払ったのです。

 ロバート.C.モルガンという教授の現代美術概論と、デニス、何とかという教授の版画講座を取りました。

 アメリカでは、名前で、呼びあうので、デニスの、苗字の方は、ムーランかミューラーです。容姿から考えるとドイツ系だという記憶があるのですが、もし、苗字がムーランだったら、フランス系ですね。正しい苗字は、忘れてしまいました。モルガン教授の方を覚えているのは、たくさん教科書を書いていて、其れを買って帰国したので、しっかりと、名前が頭に入っています。モルガンの方には、日本人学生は、いなかったのです。しかし、デニスの方には、京都精華大学出身のやすこが、いました。こちらも、やす子とだけ、呼びあうので、彼女の苗字は忘れました。

 彼女は、当時25歳でした。22歳で、精華大学を卒業して、二年間、働いて学資を稼ぎ、此処の大学院へ入学してきたと、思われる女性です。しかし、明らかに、日本で何らかの失恋をしたので、挽回して、有名人になってやろうとしているタイプでした。背が低くて、顔にも魅力がなくて、かつ、性格が悪いのです。いまは、好位置から恋愛が始まる時代かもしれないので、そうなると、16歳から、25歳まで、誰にも声をかけられなかったと、推察されるタイプでした。

 ところが、悪・知恵だけは、発達していて、すぐ、教授のデニスが、私に対して、激しいライバル心を持っているのを悟って、教授の代理人として、私をいじめてきたのです。デニスは、・・・・・この大学の陰の実力者である某氏(今は、病気療養中で、表に出ていない)の愛人だから、大学院の教授をやることができている・・・・と、言う噂のある女性で、まだ、40代の若さでした。何と、私が去ったのちに、誰も、受講する学生がいなかったので、結局、この大学のFACULTYを、やめることになりました。

 私が去ったのは、11月ですが、クリスマスホリディに開かれる、特別講座も、一月から開かれる、次の学期にも誰も学生が、受講申し込みをしなかったそうです。

~~~~~~~~~~~~~

副題6、『京都精華大学出身の、やす子は、教授であるデニス某の、代理人として、彼女の役に立ちたいと、願っていたはずだが、結果は大反対になって、デニスは、大学教授という職を失うのだった。どうしてかというと、やす子が、・・・・・塩化第二鉄原液という一種の猛毒を、床にぶちまける・・・・・という狂気の沙汰を起こしたからだ。学生たちは、みんな真実を知っていた。それは、・・・・・教授のデニスが無能で、しかも、嫉妬深いから、起きた事件だ・・・・・という事を。それで、1999年の秋、私が彼女の講座を取っていた時には、27人もの学生がその講座を取っていたのだが、次の学期から誰も、講座を取らなくなったといううわさを聞いている。

 私は、2000年にもニューヨークに行っているし、2002年もニューヨークに行って居るので、噂話は、耳に入るのだった。それにその美大はキャンパスの塀の外に、大マンションを二棟、建てていて、其れを、寮として使っていた。一戸が3LDKで、そこに3人の学生を住まわせていた。11階建て二棟に、300戸程度あったと思うので、ほぼ、1000人近い学生を収容していた。その中で、噂話は、あっという間に広まるのだった。

 しかし、私は、実は、1999年の末に、デニスに、偶然という形で、もう一回、会うのだった。そして、彼女から、一種の謝罪の措置を受けた。それが、二回目の事として、欧米には、キリスト教の精神が、深く根付いているのを、気が付かせてくれたのだった。

 自分の方が悪い事をした場合に、相手が、気が付かなかったら、黙って居よう。ここまでは、日本と同じだ。しかし、相手が気が付いたのなら、謝罪をする。言葉ではない。さすがにそれはできないだろう。しかし態度で、それを示す。

 一方、日本人は違う。それを、次の節で語りたい。

 尚、精華大学と言う実名を挙げて、そこの卒業生のレベルが、あまりにもひどいと、明記してしまうのは、それほどに、柴田悦子さん、と、瓜南直子さんが威張ったし、いじめて来たからなのだ。それで、此処まで書く。・・・・・京都精華大学は、とんでもない卒業生を送り出す大学だ・・・・・と。

 いや、瓜南さんと、伴清一郎さんは、【ひぐらし文庫】等の、鎌倉市内の居酒屋文化内で、大きな顔をしているので、『あら、あなた方って、そんなに偉い人なのですか?』と、言いたくなるから、これを書いて置く。

 やす子みたいな学生と、同僚になる可能性のある旦那さん(=伴清一郎氏)を選んで、その伴氏へ、一箱の煙草を買うのも節約している直子さんは、たばこ一本をせびっているのだった。直子さんは、その実像を、他人に目撃をされているのでもあった。ブログにその現象が、書いてあった。そのブログを書いた人物は、北久里浜の、瀬島龍三の行いをも知らないし、土師淳君が殺されて,頭部だけが校門の上に置かれ、首から下の遺体が、神戸市の、水道山の、タンク下に置かれていた意味も知らない。だから暢気なものだ。したがって、『瓜南直子に、僕は惚れた』などと、堂々と描いている。奥さんがいるのに。

「なんで、そんな人たちが偉いのですか? 子供一人育ててもいないのに、価値感は、一元的ではないですよ」とも言っておこう。私は、そのブログ文を読んで、ああ、やはり、直子さんは、すさまじいほどの、貧窮状態にあったし、伴氏との事実婚において、お互いが計算づくであって、夫婦である事の、もっとも、大きな意味である、・・・・・誠実な愛情をもって、相手と、ともに生きる。したがって、相手の健康状態が悪かったら気が付いて、あれこれの手配をする・・・・・と言う姿勢がなかった。泉涌く寺らへ向かって、東山を昇る、坂がきつくて、タクシーに乗っているのに、自分を乗せないで、追い抜いて行った・・・・伴清一郎・・・・・と、書いているのに、そして、それが、2011年の8月であり、直子さんが、実際に死ぬのが、9か月後なのに、伴氏が、気遣っていたとは、思えない。ヒグラシ文庫で、一緒にお酒を飲むとか、タバコをそこで、葺かすとか、おかずとして、塩分の濃い、お漬物を主にして食べるなどという行為は、すべて、肝臓に悪い行為だった。お漬物は、もっとも、安いお金で、作る事の出来るおかずなのだ。

 二人が計算づくの結婚でしかなかったと、言うのは、直子さんの方は、自分の、思想性の高さを示すものとして、芸大卒でもないし、美大の教授でもない男を選んだと、言う点で、他者に誇りを示すことができた。一方伴氏の方では、美貌で、才気煥発の女性を支配下に置くという、一種の勲章を得たつもりだっただろう。瓜南直子と、セックスをするという事は、ペニスとワギナの交換の、関係性において、男が女を、くみしだくという趣がある。これが、表示する、意識とは、渡辺豊重さんが、外を歩くときは、常に女性と二人連れである事と似ている。女性を、自分のアクセサリー、もしくは、勲章として、見る姿勢だ。しかも、直子さんが亡くなった後では、直子さんの、フェイスブックの頁に、いろいろな書き込みを入れて、さも、自分が、仲がよかった様に振舞っている。「違うでしょう」と、言いたい。本当に仲がよかったら、直子さんを、2012年6月4日に死なせる様な、夫である筈がない。そして、直子さんに、貧窮の不安を与えもしなかったと、思う。それが、私の方の考え方である。

 私は、過去に書いていたことを、今はさらに、深めて、書いている最中だ。私は、直子さんについて、今書いている様な事を、2011年の、8月にはすでに気がついて居たのだった。いつも、「今は、40%にとどめておきます」とか、「60%の開示で、とどめておきます」と、言っているのは、こういう事を指す。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題7、『私がここで、瓜南直子さんの事を再度書いたり、京都精華大学の卒業生が、とんでもないレベルで低劣であると、書いているのは、偏に、画家Aを、解説する為である。合い鍵をもらって居て、我が家に、侵入して、粉タイプのクレンザーに、水を満タンに張り、使えなくしたリ(それは、この2019年の、11月の事でもあるが、二回繰り返された)ほかにも多種多様な嫌がらせ行為を行ってきている。それを書いているのは、今回のシリーズが、初めてではない。ちらっ、ちらっとではあるが、今まで、何回も書いている。

 それなのに、2018年12月10日の夜に、三回も、私の傍にまとわりついて来て、三回とも、「こんにちわ」と、挨拶をして来た。これには、深い意味がある。実は、12月9日から始ま宇一週間、私は、ひどい下痢に襲われた。これが、人間と言うスパコンに侵入し、人間と言うスパコンのシステムを破壊する、病だと、感じている。死に至る下痢である。

 父が、入院中に、尿が出なくなった。たまたま主治医が、学会の出席のために北海道へ行って居て、二日ほど、そのままに放置した。そのあとで、腹膜還流とか、その他、体中チューブだらけにして、腎臓が、行う筈の・・・老廃物を体外に出す・・・措置をとったが、結局、残り、5日間、総計一週間で、亡くなった。死因としては、多臓器不全という事だった。私はそれを覚えているので、今般、12月9日の朝と、12日の朝、私を寝入ったのち、たった、一時間で、襲ってきた、劇症の下痢を、外部からの侵入であると書いたのだった。というのもその間、口から入れたものが、すべて、肛門から出てしまい、尿と言うのがまったくでなくて、『あれ、これは、多臓器不全で、急死する可能性がある』と、考えたからだ。

  ところで、今、このパソコンに激しいシステム異常が起きたので、上の一行は、正しいと考えている。そして元へ戻れば、その急死と言う語彙で、瓜南さんを思い出したというのもある。瓜南さんが、2012年の、6月4日に死ぬなんて、彼女のネット上の投稿を読んでいる人には信じられなかったと、思う。しかし、私は、主要な内蔵、腎臓とか、肝臓とかが、駄目になると、多臓器不全に至るという事が判ってしまった。彼女も、そういうタイプの急死だったと、推察している。

 皆様は、「あら、人工透析があるじゃあないですか?」と、仰るだろう。しかし、あれは、主要な血管の中にある老廃物を除去するだけだと、思う。人間の体には、隅々まで、毛細血管が通っている。その毛細血管の、中に、老廃物がたまってしまったら、もうそれは、人工透析でも、救えないだろう。腹膜還流と言うのは、人工透析の一種であって、腹膜の外に、液体を入れて、副膜の中にある液体と、浸透圧の違いを利用して、交換をする仕組みだけど、それだって、毛細血管の中の老廃物は除去できない。

 で、私は、『これは、危ない』と感じて、・・・・・人間の体への電気的攻撃がすでに可能な技術になっているのではないかと 書いた。読者の皆様が、被害妄想の極みだと、誤解をなさるのを恐れずに、それを書いた。

 それが敵さんからの攻撃であったからこそ、敵さんが、主に使っている弾丸としての人材が、五人もめのまえにあらわれた。

 9日に、安野氏、前田清子さん、小野寺夫人、平木夫人。10日に、画家Aが、二回と、前田清子夫人が一回。この中で平木夫人だけは、ちょっと、意味あいが違う。しかし、それを詳細に、語ると、また、スピンオフ部分が増えすぎてしまうので、ここでは、パスして置く。 

 四人は、すべて、私のブログに登場をしている。その登場の仕方だが、超簡単にまとめると、・・・・・悪口を書かれている・・・・・・と、成る。しかも、実名を表記して、しかも公開が前提であるブログで、・・・・・となると、「それは、非常識の極みだ」となるだろう。彼ら側にとってはそうなる。でも、各種の弾圧を試みたが、彼女はやり終えない。

 すみませんが、ここで、中断をさせていただきます。後で加筆をします。

 

 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« イギリス・・・・・プロムス... | トップ | 【一流の人は、何故、風邪を... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

政治」カテゴリの最新記事