銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

いや、満足しています。で、ブログを書きませんでした。国展、毎日展、水沢勉氏、酒井忠康氏、岡田三郎助

2023-04-17 23:13:27 | 政治

 私は、14日には、四谷の紀尾井ホールにいました。その時に、前半と、後半の間の、20分間の休憩中、10分ぐらい、荷物をすべて椅子の上に置いて、紀尾井ホールをいろいろ、チェック観察していたのです。

 でね。今思うと、右席の女性、及び、左席の男性、及び、着席せずに、ヴィデオカメラを二台回していた眼鏡の男性、そして、この切符を世話してくれた生協の、担当者、それから、上智大学傍で、「僕は、紀尾井ホールの勤務者だから、案内してあげます」と、言った、5人は、完璧にグルだったと思います。

 3月6日に、補聴器、217600円が盗まれています。そして、11日には、戻されていました。この戻される話ですが、それはね、1991年入選毎日展・・・・・という票が入っていたり(ただし、私が入選したのは、1994年ですが、1991年に国展に初入選したというのを間違えて利用しているのかもしれません。スキャンして置こうと思いながら、忙しくて、していません。だから年度については、私の気憶の方が間違っているかもしれません。入選が、1994年であることは確かですが、その、「あなたは、入選しました」という、ベージュ色の票の、日付が、1991年では、無かったかもしれません。もしかすると、それも、この一か月以内に、もう、一回それも盗まれているかもしれません。

 と、同時に、2001年にもらった、水沢勉氏からのお手紙と、ギャラリーアートポイントのオーナーだった、岡田春宣さんの、手紙等(これは、日付が入っていたとすると、2003年か2005年だが、日付が入っていなかったと、覚えている)も、入れ込まれていました。

 こういうものを一階の寝室に私が、20年以上も、保存をしていると言う事はあり得ないです。何度も子供や、孫が泊まりに来ています。娘もね。だから、そのたびに、おお片付けと、大掃除をします。だから、1990年代の、または、2005年までの、紙のデータ類が、この部屋で、見つかる筈はないのです。

 それからさらに、一か月後、菅野充造さんの案内状が、入れ込められていました。こちらは、私がけっこう長い美術評論を書いて月刊ギャラリーの、公募美術評論に応募しています。

 私は、1991年から、国展に入選していますが、菅野さんは、非常に長い経歴を持つ会員なので、1980年代の作品の傾向を知りたいと思って、当時は、上野に、マンションを借りていた国画会事務所を訪ねました。ものすごい不親切な対応で、玄関で、メモを取らされました。しゃがんで、膝の上に、カタログを置いてですよ。

 三人専従事務取扱者がいて、一番若い人は、あまりの無礼さに青ざめていました。そういう不親切をすることを、国画会会員として、異常だと思ったのでしょうね。その人は名前も知りませんが、臨時雇いに近い立場なので、それほど、高い給料をもらっていない人物だと思います。だから、考え方も、所作振る舞いもまともでした。

 国画会って、芸大出身者が最も多い、そして、森本草介さんなどの、人気作家も、擁していた、大きな団体です。そう言う団体の事務取扱専従者が、どうして、それほどに、不親切だったかと言うと、

 二つ理由があります。国画会の、事務所に勤務していた三人には、お給料が出ていたと思います。これは、1990年代の国画会が、とても豊かだったと言う事を、反映しています。その後は、その専従者(三人のうちのトップ)のマンションに、事務所の、住所が、変更に、なっているので、あの上野のマンションは、返却して、使っておらず、先住者に、お給料(30万円ぐらい?)+家賃(10万円ぐらい)を支払っているのだと思います。上野から、大門へ引っ越しました。

 この、会・独特・または、会独自の事務所を、会員の自宅以外に、持って居るというのは、院展や、日展や、二科展も同じでしょう。展覧会会期中に入場者が(画家ではない人たちの事)多い、また、入選を狙って、応募して来る、出品者(作家と呼ばれる、画家や、彫刻家)が多いと、団体は、儲かります。国画会が、上野のマンションを返却したのは、六本木に移動をしたことが、結果として、入場者数を減らしたのだろうと、思っています。しかし、上野の都美館時代よりも、広いスペースを新国立美術館内で、借りているので、入場券収入に比して、経費は、増えていると、感じています。

 公募団体展を見に来る人は、上野に慣れているのです。それに上野だと、芸大美術館もあるし、西洋美術館もあるし、国立博物館もあるし、都美館は、4つぐらい催し物を、開いているので、元気なら、いろいろ、楽しめます。

 六本木にもむろん、いろいろあります。森美術館とか、サントリー美術館とか、大倉集古館とか。ただし、夫々が、個性的で、しかもお互いに歩く距離が長いです。それは、上野に比べると、疲労感が強いと言う事になります。

 また、不況になって、大作を描かないとならない、公募団体展に、若い人が、応募しなくなってきたと言う事もあるでしょう。

 しかし、不親切だったのは、彼ら三人が、何も仕事が無くて、おみかんを食べるだけが仕事だったので、それを見られたくなかったのだと思います。今回お金のことをはっきり書いて居るので、先住者の名前を明記しません。ただ、仕事に比して、お給料の額が高かったので、20年前だと、40万円ぐらい出ていた可能性もあります。それと、同じ額を、家(または、彼のアトリエ)を使わせてもらう事で、引き続き、給付しているのだと、思います。しかし、ナンバースリーの人物は、変化していると思いますよ。

 ともかく、高給を食んでいたトップの、専従者は、遊んでいること(または、ところ)を見られたくなかったのだと思います。だから、玄関で、事を済ませなさいと、言ってきたのです。だけど、最初に彼らが出てきたときに、テーブルの上に何も書類が置いてなくて、ただ、ただ、山盛りになったミカンが置いてあったのが、ばっちりと見えています。それなのに白を切るとは、本当に下品というかずるいですね。

 だけど、彼は、自分が特になったり、損になったりする可能性のある人物に対しては、へいこらしたり、反対に威張ったりする、芸術家とは、とても言えない卑しい人物です。

 しかもコピー機があるのにつかわせないんですって。で、歩いて、10分ぐらいのところにあるコンビニまでコピーを取りに行きました。事務所って、公募団体展として、入選を願う人に応募用紙を送ることが、12月ごろの主な任務です。しかし、パソコン管理の住所録があるので、仕事は、相当楽でしょう。三人もいるわけだし。郵送封筒としても、多くて、三千通ぐらいの筈です。だから、勤務日として事務所に来ているけれど、おみかんを食べるぐらいの仕事しかないのです。それを見られたくなかったのでした。

 H というイニシャルで始まる人で、国画会関係者だったら、誰の事かすぐわかると思います。それで、いいのですよ。これは、事実ですから。が、あえて、名前を伏せます。

 というのも、岸田さんに爆弾が当てられそうになったという2023-4-14日に起きた、あの事件が、私のブログ====特に、安倍晋三さん殺しを、真実に近い形で、分析しているもの数章=====を、『お前の言っていることは、違うのだ。この日本には、首相を殺したいと、思っている青年が、実際にいるのだ」と、言う形で、否定することが、真実の、狙いであることが確かですので、

 自分が、それほどの、大モノ化した今、私自身にとって、ミカンがどうのこうのとか、は、小さい問題となったのです。それに、あのHというたぶん芸大卒の会員が、どれほど、島田さんや、大沼さん達に、へいこらしている人物かが判るので、ばかばかしくて真正面からは、取り上げられなくなったのです。

 彼は、周辺からは、おとなしくてまじめで、いい人材だと、思われているでしょう。だけど、国画会が抱えている諸矛盾を、私にぐいぐいこれから、書かれてしまうと思いますよ。彼なんて、それを象徴している人物ですから。

 でも、国画会事務所って、所謂図書館の役目も果たさないといけないですよね。ちゃんと部屋に通して。・・・・・・おみかんが山の様においてあることは、それは、それとして、弁解が必要だったら、弁解して、・・・・・図書館の役目の方は、ちゃんと果たしもらわないと困ります。

 もう一つの理由は、その現場では、目に見えていないし、それに取り組むと長大になって、通帳四冊盗難の件にたどり着けないので、それは、ここでは、オミットしておきます。

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 しかし、3月11日以降、すぐ、それ=====絶対に自宅にはないはずの古い書類類を入れ込められていた‥・・・そういう事実=====を書かなかったわけは、

 雑誌、アン・アンが、特集した、美尻アンド美脚という特集号について、書いた、章をリンク先として見つけたいと思っていたので、すぐには、書かなかったのです。

 それが、また、面倒くさいです。

 だけど、寝室にいやらしいもの(緑色の小さなラベルで、美尻アンド美脚と、印刷されていた)を入れ込めてくるのは、美尻、アンド 美脚特集号が出た、三年ぐらい前の話だったので、そのころから、盗むだけではなくて、入れ込めることもやっているのです。だから、時期は特定できます。

 特に美尻アンド美脚とは、トイレに関係があるでしょう。だって、最初、これは、パンツについていたラベルを模して作った嫌がらせ用、ラベルだと、思いました。

 その後、ギャルリーユマニテの、スタッフ金成悠子さんが、フロア全体のテナントが使うトイレを、私の目の前で、カギをかけると、言う嫌がらせをやってきているので、

 CIAエージェント、ここでは、酒井忠康氏、秋山祐徳太子、森さん(ギャラリーMorisのオーナーだった人。のちに、exibit Live and Moris を経営する。そして、今では、対・私攻撃用、隊員として、機能していて、その点で、お給料が出ていて、事務所も銀座周辺に、セッティングしてもらっている、人物・・・・・但し、私が、画廊巡りをやめたので、お払い箱になる可能性はあります。もう、お払い箱になっているかもしれない。だけど、ご近所住民だった、石川和子さんの、最終段階での、連れ合いとなった、柳沢昇が、今でも、伊藤玄二郎に、いろいろ、助けてもらっているらしい(金銭的な援助があると、推察している)ことを思えば、森さんも、一生、死ぬまで、CIAエージェントから、金銭的援助を、もらい続けられるのかもしれません。

 彼も、この種の、入れ込め用、攻撃の素材をアイデアとして、提供する可能性はあります。

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 さて、ご近所住民の大原光孝さんです。彼は、大モノが盗まれたときに、異様な動きをします。彼が、盗んだとは、言いませんよ。逮捕されたら大変ですから。

 スマホが盗まれたときも、補聴器が盗まれたときにも、意味のある動きをしています。どういう風に意味のある動きかと言うと、私の心の中を確かめようとする動きです。

 彼は、合いかぎを持って居ます。それから、絵がたくさん、盗まれたり、紙の絵だと、切り裂かれて居たり、盗まれたうえに、側溝に落とされていて、ボロボロになって発見されたりしています。

 ただね、北久里浜における、実質的大詐欺事件====横須賀市の持ち物である水道山が、地積変更届の仕組みを利用して、只で、或る私人(瀬島龍三が管理する、伊藤忠何とか会社とか、大建産業(仲野通巳吉が、1978年10月13日以降社長をしていた)に無償で手渡った=====に関する、段ボール箱一杯の資料(公図とかとうきぼ謄本とか)を盗んだとは、思いません。それは、彼の様な素人には、意味不明の物の筈です。

 で、それを盗んだのは、警察だろうと、思っています。だけど、桜田門の東大卒のエリートであろうとも、絵の持つ意味は分かりませんよね。それから、とても美しい洋服とか、とても美しいハンカチとか?

 ただし、こういう衣服類は、よく、染めてあって、シミが大きくついていて、使えない様にされているので、染色が好きだし、染色で、個展を開いた、あっちの家族さんが、やった話かもしれません。

 あっちの家族さんとは、「警察の協力者です」と、言う看板を、10年以上堂々と、門に貼り付けていた、人材で、しかも、あれも、、盗まれ、これも盗まれと、過去にいろいろあって、それは、すでに書いて居ます。ほらほら、水を使ってですが殺人未遂事件も起こしたと、言っている人物です。

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 私は、ここで岡田春宣さんについて、大原光孝さんが、昔教えてくれたことを付記したいと思っています。岡田春宣さんは、岡田三郎助の息子さんだそうです。

 今、念のために、岡田三郎助と、美校(のちの芸大)の関係を調べたら、昭和11年、校長事務取扱となっています。その時期、美校で、一番偉い人だったというわけです。

 岡田三郎助は、非常にきれいな女性を描いています。何枚もではないです。森本草介は、奥様と、二人で、モデルと、なる人を見つけて描いているそうです。美しい女性を何人も何十枚も描いて居ます。但し絵は怜悧です。冷静です。女性たちは、マイセンのお人形みたいに静的です。

 しかし、岡田三郎助の、描いた、女性像は、熱があります。色として、赤みがさしていて、森本さんの、ミルク・コーフィーみたいな色と、落ち着いて、かつ殺した緑色が使われている絵とは、ずいぶん違います。つまり、岡田三郎助が、愛して、いた、関係の深い女性です。つまり、奥様になった人で、岡田春宣さんの母親でしょう。

 ただし、美しい女性というのは、その人自身が甘やかされて育っています。でね。主婦としてとか、母として、未熟なケースがあるでしょう。

 今、別の人で、お母さんが、とても美しい人だったが、料理を全然作ってくれなかったので、自分で、そうめんをゆでて食べたというデザイナーの名前を失念して、あれこれ探しました。しかし見つからなかったのですが、原宿で大成功をしたという男性です。つまり、商売上も大成功をしたという男性です。

 見つからなかったのは、もしかしたら、閉店したのかしら? でも、三年ぐらい前までは、大スターだったのですよ。

 その人に比べると、岡田さんは、ずっと、穏やかな面立ちです。その岡田さんですが、慶応幼稚舎から、ずっと、慶応育ちで、・・・・・しかも、銀座の一等地で、育ったそうです。その場所が、現在では、ルイヴィトン並木通り店になっていると、大原光孝さんは、言いました。だから岡田春宣さんは、親の富裕度を、キープできなかったと、言うわけです。それだけ、お坊ちゃま育ちなのですが、それは、お母さんの影響も大きいでしょう。生きていく途時にある、きつい部分を教えなかったというわけです。

 私はね。岡田さんと今では、全然連絡が取れないのです。住所をもらっている筈で、勝どきの方だと、は、記憶をしているのですが、メモをなくしてしまいました。でね。岡田さんには、奥さんがいないと言う事は知っています。それでね。すでに亡くなっているのではないかと、思うので、こういう事を書くのですが・・・・・

 大原光孝さんが、ずいぶん、いろいろなことを知っているものだなあと、驚いていて、ご近所の事もうわさ好きで、いろいろ、知っているみたいですが、美術界の事もいろいろ知っていて、

 この岡田さんの、実家がルイヴィトン、並木店だと、言うのも、彼が、うわさ好きゆえに、知っていることだと、思います。誰から、入るのだ? 柄沢斉? 柏健氏?、酒井忠康氏?

 そして、山本容子がホックニーの真似だという話だとか、平山郁夫氏の鶴岡八幡宮へのぼんぼりは、奥様(芸大卒)の代筆であるとか?

 あのね。本日は、ビッグな結論を提唱していません。細切れ情報だけです。しかしこれで、終わりましょう。私は、今、大いに満足しているからです。ご近所の動き、NHKニュースのあれこれ、いろいろ、勘案すると、あまりにも自分が大物化したのが判り、少し、休みたいと、思っている次第です。

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 ブログを書かないのは、通帳を四冊盗まれたので、ショックを受けているからではなくて、のんびりしているからです。前報の前は、歌舞伎の話でした。

 中村芝翫の三人の息子さんについて触れています。あれですが、「三田寛子の息子さん」と、言っています。わざと、父親の名前を書かず、母親の名前だけ、書いて居ます。

 それも、実は、私が大物だと、言う証明をしたくて、書いて居る話です。

 橋之助(現在は芝翫)が、父親の、名前を襲名したのは、私と、右席の人が、下に置いた様な会話を交わしたからでした。私が、「橋之助には、がっかりしました」と言うと、彼女が、「ええ、もっと、勉強をしてもらわないといけないのですが」と、答えたのです。

 私が、橋之助は、下手だなあと、言ったわけで、それを受けて、右席の人は、ええ、もっと、自分を鍛えないとだめですねと言ったわけです。でね。私が下手だなあと、言ったからこそ、その二か月後あたりで、父親の名前を襲名することになったのでした。

 ただ、橋之助は、芝翫襲名後、お上手になりましたよ。特に世話物で悪人をすると、上手です。テレビなどに出ていて、いろいろな役をしているので柔らかい役だと、うまいのです。ただし、時代物(武士が主役のもの)は、昔は、下手だったのですよ。

 でも、息子さん達は、休息の進歩です。特に、髑髏尼の、鐘楼もり、七兵衛を演じた、福之介には、びっくりです。まだ、25歳の若さですが、深いところを表現できますね。

 本日は、ともかく、もっとすごいことを知っているのだが、抑えて抑えて、のんびりとした、事を書きました。将来間を埋めて、政治論を展開するための、伏線用の、事象を書き連ねました。では。

 まあ、五日書かないと、殺されていると思ってくださいと、お願いしています。だから、ここで、一文を書きました。誤変換をチェックしていませんが、署名を入れておきます。短いからです。雨宮舜(本名 川崎千恵子)

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