銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

反町のアパートにまで、泥棒が入りました。しかし、パーティを楽しく行い?!?!悪魔には負けません? 

2023-01-03 20:41:11 | 政治

副題1、『本日、23-1-3の私は、大変気分が良かった。それは、なんと反町で、いじめられているからの、思いがけない結果としての余得だったのだ』

 反町の小さなアパートの二階の住民が退去したのは、鎌倉エージェント(=CIAエージェント)のいじめです。しかし、その詳細を、今は、語りたくありません。ただ、その住民が出てしまったために、私は敵さん方の狙い通りに、大苦労をしております。労働の搾取、時間の搾取、金銭的搾取と、三重の苦しみを負っています。

 しかし、常に言っている通りに、物事には、フィフティ、フィフティと、言う側面があり、この苦労にも、プラスの側面があるのでした。それは、お掃除に、熟達してき始めたと、言うことです。私は、実家では、月曜日から、土曜日まで、お手伝いさん(昔は泊まり込みで、女中さんといった)が、中一から、父が死ぬまで、ずっと、来ていた家だったので、お掃除というのは、実家では、したことがないのです。

 それに、両親は、私が、勉強ができるということに満足をしていて、そういう家事労働の方面で、しつけておこうという気分がなかったのでした。簡単に言うと、森茉莉さんと、同じで、甘やかされて育ったのです。結婚をしてからは、サラリーマン家業の妻なので、家事は、100%自分の分担ですが、それでも、お掃除は、苦手だし、後回しに、なりやすい、仕事でした。

 ところが、反町の住民は、見かけは、きれいにして出たのですが、サッシを掃除するという事とか、結露を防衛するということは、まったくやっておらず、しかも、窓が、1間幅5つ、4.5尺幅2つ、9尺幅2つと、全部で、9つもある家なので、残された私は、本当に大変で、驚くことに同じ窓を、今、10回目として、掃除をしているのでした。それだけで、10月3日から、1月3日まで、ほぼ、三か月ほど、経っているという形であり、・・・・・・

ばかげていると思うし、別の方法も(例えば、ネットで、臨時のお掃除をしてくれる仕組みが)あるには違いないと、思うのは、思うのですが、・・・・・・

 結果として、・・・・・図らずも、お掃除に熟達してきたのです。80歳になってですが、お掃除に練達の人となったのでした。だってね。小さい家なのでクーラー一つで、全三室が、完璧に温まりその中で、お料理を、窓を閉めて行っているので、油滴が、東に独立したひとつの部屋をのぞいて、全戸に行き当たり、そこに・・ほこり・・がたまって、べっとりとしたアスファルト状になっており、その除去には、忍耐と、技術的、向上が求められるのでした。後注1,

 そして、私は、始めると、『こんな難しい掃除は、お金を出して雇った人にできるはずがない』と思い始めるのですね。仕事を最後まで、完遂するのは、私の得意中の得意なことなので、頑張り続けるのでした。で、先週の火曜日まで、反町にへばりついていて、鎌倉の家を、掃除し始めたのは、28日からです。

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副題2、『お掃除というのも、心を入れて、集中して行うと、結構宗教的修行に近いとわかってきた。労働の一つだけど、無償でする場合は、瞑想に近い、修業と同じである』

 しかし、お掃除の、ベテランになったからこそ、鎌倉の家の、お台所を根本的に掃除し始めたのです。天袋から、自部黒、すべてに何が入っているかを点検してあります。この章は、この五日間に、ドレッシングが二本、鎌倉の家から盗まれた事が、中心の流れとなりますが、ありとあらゆる場所を掃除したので、どこかにしまい忘れたということはないのでした。完ぺきに泥棒が入ったのです。だけど、それは、飯能事件が、やはり、謀略であったということを証明するのにつながります。被害総額は、500円程度です。私は、キューピーのドレッシングを愛用しており、それは、量が少ないので、お安いのでした。だけど、室内盗聴を利用して、「お客様用に買ってあるわよ」と、主人に私が、言ったからこそ、盗まれたのでした。だれが?

 私は、自分自身が、もし使用中のドレッシングの瓶を出されたら、『いつ開栓をしたのかしら。三週間前とかいう古いのだと、いやだなあ』と思います。だから、お客様も、同じでしょうと思い、開栓して居ない、ドレッシングを【ごま】と、【しょうゆタイプ】を2ほんを買っておいたのでした。それを年末の、四日間に盗まれたのでした。二階の居間に置いてあったのを盗まれたのですから、いやな話です。

 この台所とか居間とか、ピアノの部屋という部分を増築したのは、1987年です。だから、36年たっています。だけど、お台所だけを、ここまで、丁寧に掃除したのは、2022年の暮れが初めてでした。

 で、その結果、何が起きたかというと、ピッカ、ピカで、新品の、銅の天ぷら鍋を見つけたということです。直径22cmと、大きいので、四人家族には、ふさわしくないので、使っていなかったのでした。誰かからのプレゼントだと思います。

 温度計付きで、本当に見事なものです。もしかしたら、北久里浜時代にもらったものかもしれません。北久里浜時代に、お客さんが見えた日に、てんぷらではなかったのですが、うちの子供が、やけどをしたことがあるので、てんぷらを食卓で、作るなど、避けている時代があり、そのころに、もらったので、使わなかったのかもしれません。

 最初は、以下の写真左側に置いた、赤い琺瑯鍋、直径18cmをつかうよていでした。

 しかし、この豪華な天ぷら鍋が、天袋から、見つかったことによって、串揚げパーティが、楽しくも、さらに豪華に見える様になり、口取り集と、お煮しめ、酢の物、などの定番と合わせて、十分にお正月料理となり、みんなに食べてもらいました。楽しかったです。ドレッシングも、みんなのまえで、わたくしが、手作りしたものを、嫌がらずに食べてもらえました。

 下に置いたこのお皿って、直径30㎝です。まあ、お客様が帰るときは、もっと残っていました。私たち夫婦が、夕食に残りを食べたのです。が、お客様にも、食べてもらったのは確かです。

 ともかく、午前11時ごろ、ドレッシングが盗まれていることを発見して、パソコンに記録する間もなく、お客様をお迎えしたのですが、全体に、お迎えするのに、心から、余裕をもっていたので、楽しかったと、言うことです。実は、この天ぷら鍋を発見すると同時に、よく作っていた燻製用の木片も見つかりました。パリへ行って以来、作っていなかったですね。また、庭と、かまどを利用して作るかな? まあ、それは、余談ですが・・・・・ともかく楽しかったので、それだけで、この章を、終わりたいのですが、政治が、NHKニュースをはじめとして、ひたひたと忍び寄ってくるので、それを書かないといけないのです。暗く、陰惨な話ですが、それも、私を囲む、もう一方の真実なので、書かないとならないのでした。

 元来がまじめな私は、お料理は、常においしく作ったつもりはあるし、お掃除も毎年やったつもりはあるのですが、今年ほど、完璧にしてきたことはなくて、これは、思いがけない、天の贈り物でした。

 こつこつと、だれも、見ていない、アパートの中で、掃除を続けていると、それは、禅宗の、瞑想に似た、感じの宗教的修行ともなってくるのでした。その、天からの恩返しだったと、思っています。

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副題3、『実はね。反町の家にも泥棒が入っているのだった。なんというあくどさを、保持する敵さんたちだろう。鎌倉の家にも泥棒が入り、北久里浜の家にも泥棒が入り、反町のアパートにも泥棒が入るのだった』

 ここで、文脈としては・・・・・・よかった、よかった・・・・だけで、この章を終わりたいところですが、私の敵さんたちのあくどさと言ったら限りがなくて、反町のアパートにも泥棒が入っているのです。主人と、鎌倉の家で、話し合った、「ラベルをはがす薬があるわよ。そんな薬があるなんて、初めて知った」という会話に基づいて、反町に保存してあった、そのスプレーが盗まれているし、

 インターネットが、無い反町のアパート(固定電話がない環境)でも、『テザリングで、ブログが書けるわ』と喜んでいたのに、スマホの、充電器が盗まれているのです。非常に嫌な話でした。特に、私は、反町に持ち込むものは、掃除が終わったら、捨てるつもりのものだけなので、お布団なども持ち込んでいません。まるで、乞食みたいな生活です。だけど、ロビンソンクルーソーみたいに、何もない中で、工夫をして生きるのは、楽しいことでした。そして、まさか、他人が室内に入るのなど、おもいつきもしないので、帰宅するときには、お掃除をして帰っていません。そういう室内に、侵入されたと、言うことは、本当に嫌なことです。

 しかし、それをするのです。敵さんってね。その敵さんたちの集中攻撃を受けたある日のことを記録しておきたいです。

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副題4,『植木鉢の怪と、私が名付けている異様なケースをなぜ、お正月元旦の文章として書いたのか?』

 それを踏まえて、前報の、植木鉢の怪と、言うエピソードを書いています。白井夫人は、一種の冤罪を私に与えるために、大きなごみ袋(40リットル)を、わざわざ、山の上に運んで、臨時の町内会を開いて、だれが、植木鉢を、捨てたかを検討したそうです。ご主人は、今、yokohama front towerと、言う、完成したら、横浜一高いビルとなる、ビルを設計して、管理中というのに、奥様は、こういう恐ろしいことを、するのでした。それが、飯能事件にも結び付いていくのですよ。後注1,

 それは、むろん、私が捨てたわけではありません。誰かが、我が家から、それを、盗んで、あたかも私が捨ててはいけない日に、間違えてごみステーションに出したという風に装い、えん罪をかぶせてきたのでした。それを元旦のブログとして、書いています。

 植木鉢の怪とは、数年前のことですが、年末の嫌なこと=ドレッシングの盗み(これこそ、その白井夫人が開いた、臨時の町内会に、出席し、<<<<私に、だらしがない人間だというえん罪をかぶせた人間の中の>>>>一人が行った盗難でしょうから=または、その連れ合いが、行った盗みでしょうから)を、書かざるを得ない、気分がありますので。

 白井夫人は飯能事件にも関係があります。美杉台で、朝七時から、大声が近所に響いたというのは、白井夫人が、2016年9月に、わが夫に、「工事をしますので、大きな音が出ます」と、朝七時に電話をかけてきた嘘を、修正するために、起こされたのでした。

 音は、轟音として、実際に鳴り響きました。11人ものとび職が来て、チェーンソーを使って、高枝切りをしたので、ビショップさん一家が、悲鳴を上げたという声よりも、大きな音でした。本当に轟音といってよいものです。

 したがって、朝四時に寝た私は、七時半にたたき起こされました。白井夫人の嘘とは、工事は、表向きは、富沢家が、施行者の高枝切りで、白井夫人は、工事の発注者でも、支払人でもないのです。富沢夫人が、ご迷惑をおかけします』という電話をかけてきたのだったら、まだ許せるが、まったく、お金を出していない、また、市役所に頼みに行ってもいない、白井夫人が、何かを、断ってくるというのは、大ウソなのです。

 だから、うちへ、電話をかけてきたことそのものが、やってはいけない話なのでした。ただ、この工事が、伊藤玄二郎が発案し、松尾崇市長が協力をした、謀略であるので、CIAエージェントの一人として、彼女が協力をしたことを証明するのでした。本当に嫌なことをする女性です。東大卒なのに、どうしてこういう軽い軽い嘘をつくのか、信じられません。本当に信じられません。

ところで、上の写真は、安野家の門前に貼ってあったものです。これと同じものを白井夫人は、玄関に置いていて、それを、わざと、私が、見つける様に手配をしました。私は、以前は、良く、白井家の玄関が見える位置(我が家の下屋根)に鉢を置いて、植物を世話をしていたからです。屋根工事をしたので、そこが昔はスレートぶきでしたが、鉄板で、葺きなおされたので、歩けなくなりました。しかし、下屋根に乗っていたころ、彼女はわざと、これが見える様に、玄関ドアを開けたのでした。ただ、遠かったので、上の写真では、ナンバー13号とありますが、白井家に保存してあるものが、何号かは知りません。私が、白内障手術を受ける前で、近眼だったからです。

 私が、良く、警察庁は、CIAの手下であると、言うのは、白井夫人の一挙手、一投足からも確認できることなのでした。

 そういう人が西隣に住んでいる。これは、なかなか、しんどいことです。彼女からやられたことは、これ一つにはとどまりませんよ。恐ろしい女性です。でも、3.11の時に、ミューザ川崎の天井が落ちた様に、白井達雄氏が設計監理した建物に、何らかの問題が生じる可能性がありますよ。奥様があれこれ悪いことをするからです。天は、絶対に悪を見逃しませんので。

 京アニ放火事件が起きて、近大附属病院に青葉真司が運ばれたころから、白井達雄さんの、正確な勤務先がわかったのは、天のお助けでした。BCS賞の研究によってです。なお、歌舞伎座、玄関入って左手に、「この建物は、BCS賞受賞」という銘板があります。どうか、ご覧下さいませ。

 ところで、反町のアパートの住民が退去したのも、金銭的に苦しめてやれっと思う、伊藤玄二郎達、鎌倉エージェントの企画でしょうが、事前に、その住民から相談を受けるわけでもないので、ふいうちと、言うか、だまし討ちに近い形で、退去をされ、退去時の査定も、そっちを優先するひどいものでした。敷金も一銭も返さないで、いいと、不動産管理会社アミティはいうのでした。⇒、⇒、⇒ ここから、次の⇒へと、続くが、その前に、横浜駅での、おかしな攻撃について、書かないといけないのです。特に落とし物に関して、尾行者=警察があれこれ、意地悪をしてきた話を書かないといけないのです。

 私は平木伸明さんの勤務先を今知りたいと、今、熱望をしています。どこかから、きっと、突破口が、開かれるでしょう。

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@@@@@@ここまで、推敲をいたしました。誤変換も直しました、これ以下は、後日いたします。

副題5、『私は、反町に、泥棒が入ることを知って、急に出かけるときの荷物が重くなってしまった。帰りも同じだった。で、忘れ物が発生した』

 泥棒が入ることがわかって以来、各種の薬(ラベルはがし、ねじのさび取り、ニスなどを、わざわざ毎回、鎌倉から運ぶようになりました。しかも、帰りも持って帰るのです。しかも、パソコンも持って出るのでした。

 それは、病後の主人が決めた門限が、夜の8時半であり、それを守るためには、夜の七時には、反町を出ないとならず、何にも仕事ができません。というのは、心筋梗塞を主人が患ってから、それは、調理を主人に任せていたからだと、反省して、主人の夕食を作ってから、外出したいと願い始めたからです。そういう私にとって、反町に到着するのが、だいたい夜の五時か六時なので、たいていはことに成りました。そのためには、パソコンも持って出ないとならないのです。で、大荷物になります。行きも帰りもでした。その結果、肩も傷め、腰も傷めてしまいました。したがって私は、久しぶりに、駅ロッカーを利用することにしました。駅ロッカー(東京駅や、鎌倉駅で)からも荷物が盗まれるのは、知っていました。だが、仕方がなかったのです。

 私は、いろいろ、考えることが多いので、ある日、横浜駅で、パソコンが入っている紙袋を、横須賀線ホームに忘れました。上で言っている様に、毎回、毎回、多くの荷物を反町に運ぶからです。FRPでできたアテンダントバッグと、布製バッグと、紙袋二つを持っていたのです。そのうちの紙袋一つを忘れたのでした。

 尾行が付いているので、すぐ、尾行者にあれこれの細工をされてしまい、その忘れ物もつについても、いろいろ、おかしいエピソードが生起しました。それが、飯能事件の、真実が何であるかに通じるので、丁寧に、書かせてくださいませ。

 私は、鎌倉駅で、わすれたと、気が付いて、主人に、「約束より遅くなります」という断る電話もかけず、横浜駅へ戻りました。無くなったかもしれないと、思いました。というのも、11月に常用のパソコン一台が、破壊をされたのです。

 そこまでする、あくどい敵さんたちです。だから、忘れたのは、こっちの落ち度だから、そのまま、無くなっても仕方がないですね。2021年の12月12日に、品川駅、新幹線ロビーの、公衆電話そばで、鍵類4種類全部が盗まれて以来、それが返ってこないので、今度のパソコンも同じで、返ってこないことを覚悟しました。この品川駅の、時は、2021年の暮れで、今から、一年前のことなので、反町のカギは、まだ、ついていません。10月3日に、全十社が大挙してその日以来、反町のカギも、持ち歩く様になりましたけれど。品川駅で、盗まれたのは、鎌倉と、北久里浜のカギだけです。それをちゃんと、ブログで書いています。それなのに反町に泥棒が入るのですから、彼ら、鎌倉エージェントの頭脳は、どうなっているのだ。本当におかしい。マッチポンプというか場当たり主義というか、まともな頭とは、考えられませんね。これもまた、安野智紗夫人と、同盟を結ぶと頭が悪くなるの典型ですか?と、思うのですが、まあ、先へ進みましょう。

 で、2021年の方は、特に、ひどいなあと思っています。つまり、尾行者(≒警察のブルーカラー部隊)「が盗んだと、思っています。つまり、鎌倉エージェントのブルーカラーとしての、人材は、泥棒をしょっちゅうやるのです。反町も同じです。本日は、鎌倉の家から、モノが最近でも盗まれた話をいたします。が、その前に、横浜駅で、パソコンを忘れた話に戻ります。

 ホームの仕事をしている若い駅員さんが、「僕がそれを見つけました。ホーム前方の、南口に、忘れ物センターがあって、そこに届けました」と言ってくれたのです。それで、15輌が停車し、かつ、前後に余裕があるという長い長い、横須賀線ホームを最前列で、降りて、忘れ物センターに行くと、中年の意地悪そうな、駅員二人が、「ここにはないよ。中央北改札口の事務所にあるんだ」とつっけんどんに言います。

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副題5、『iko のガードマンが、私が、何時から、ここにいるのですか?と、質問をした、たった5分後に消えましたぞ』

 仕方がなくて、65年の歳月をかけて、改修をされた複雑な横浜駅の、中央北改札口へ、エスカレーターやら、エレベーターを使って戻りました。そして、中央北改札口へ行って、なるほどなあと、思いました。

 ただ、そこへ、行く前に、中央北改札口真ん中に、iko のガードマンがいるのを目ざとく見つけました。なるほどなあと、思いました。薄緑色の制服のガードマンで、敵さんが、緊張しているときとか、攻撃用好機だと、考えるときは、渋谷駅まで、遠征してきます。茅ケ崎に本社のある会社ですけれど。

 尾行者は警察なんだと、思います。でね。忘れ物に、彼が、気が付いたときに、すぐさま横浜駅長に、脅かしようのガードマン配置を命令的に依頼をしたのでしょう。つまり、敵さんたちにとって、対・私脅かし用の好機なのです。なぜ、といえば、飯能事件を、絶対に真実だと、国民に植え付けえると、考えているときに、

 私が、それは、謀略で、被害者三人は、死んでいないと書いた(あと注3)わけですから、絶好機だと、考えたのでしょう。まあね。駅長の許可を得ないでも、これら、脅かしようのガードマン配置ができる権限を尾行者が、持っているのかもしれません。

 で、忘れ物のパソコンを無事に手に入れたのちに、先ほどの場所を見ると、ガードマンが二人になっていました。薄緑色の制服のガードマンと、黒い色の制服のガードマンです。実は横浜駅のガードマンは、普通は、こちら、黒い制服のガードマンです。平成のやつ墓村事件が起きたとき、やまゆり園事件が起きたとき、妹が他殺として殺された時など、北口、中央北口、中央南口、南口の、四つの改札口、すべてに、この黒い制服のガードマンが配置をされていたものです。

 こういう配置状況も、私は、それらの事件が謀略であるという傍証付けとして、使います。別にそれで、悩んだりはしませんけれど。

 この日のガードマンは、二つの意味を持って、嫌がらせ好意をしていたのでしょう。一つは、パソコンを忘れていたということを、さらにえぐってやろうとする趣。もう一つは、飯能事件をごく単純に、謀略だと、書いたばかりなので、

 「こっち(=警察)は、続報を次から次へと、出して、お前のブログが間違っていると、証明してやるぞ。今度こそ、正真正銘にお前の負けさ、ざまーみやがれ」という勝利感によっているときに、重層的に行われる特有のいじめ行為でした。

 で、忘れ物が確保できたうえで、薄緑色の制服のガードマンに向かって、「あなたは、何時から、ここにいるのですか?」と質問をすると、「20分前からです」と彼は答えました。で、「ああ、そうですか」と、私は、軽く答えて、同じ広場内に、出店をしているNEWDAYを訪れました。チョコレートを買いたかったからです。それもね。特別に好んでいるものがありました。太目のオレンジピール(砂糖煮にしたうえで、乾燥させた切れ端)にチョコレートをまぶした、500円ぐらいの袋菓子があったのです。meijiのものだったと、思います。二回か、三回、買ったと覚えています。それが、欲しいのです。ほかのチョコレートものは欲しくない。で、店内をぐるぐる、回って、

 例のチョコレートが見つかるか、それが、なかった場合に、それに匹敵する、おいしいものがあるだろうか?と、店内を探しまくったのでした。それ故、小さなお店なのに、店内回遊に三分から五分をかけたと思います。そのうえで、出ました。すると、先ほどこちらに背中を向けて立っていた、薄緑色の制服の、ガードマンも、黒い色の制服のガードマンも二人とも消えていました。たった、3分の間に、どこかに消えていました。

 私は、これは何を意味するのだろう?と、しばし考えこみました。私が質問をしたので、もう一回質問をされることを恐れて、消えさせたと、考えるのも一つだし、

 ばれたらしいぜ。それなら、かえって堂々と、お前だけが狙いなのだと、宣言した方がいいなあ。だから、消えさせたのだと、も、考えられるのでした。

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副題6,『南口にある、忘れ物センターで、中年の男性駅員、二人につっけんどんな形で、「中央北改札口の事務所にあるよ」と、言われる前に、10分以上待たされたのだった。そこは、小さなボックス形式で、しっかりしたドアで閉じられている。10分以上たって、出てきた男性と、外で、待っていた妻らしい女性と、その友人らしい男性は、三人とも、事前に、仕込まれた、人材で、ガードマン到着まで、時間稼ぎだったと、言うことだろう。にゃあるほど。にゃあるほどと、わかってくる。この日はずいぶんと細かい作業というか、仕組みが、仕組まれていて、ホームで、「僕が、それを拾いました」と、言う駅員だって、警察官の偽装だったかもしれなかった。目つきが鋭かったうえに、

 台に乗って、案内放送をする駅員は別にいたのに、そのすぐ後ろに立っていて、何の仕事もしていなかった。普通は、二人の駅員が、そこにいる場所ではない。彼が、南口忘れ物センターに届けたというのも、嘘で、たくらみかもしれなかった。私が、鎌倉駅まで行って、横浜駅へ、帰ってくるまでは、50分かかる。

 水分と細かい仕組みが使われていた。

 ここで、睡魔に襲われたので、骨格だけを書きます。

 だが、もっとも感心したのは、パソコンをホームに忘れて、電車に乗って、鎌倉へ向かう途中で、反町の不動産管理会社の、査定男が電話をかけてきたことだった。10月3日にからかい気味に、全部経年劣化ですと、言い放った男が、ほぼ、三週間ぶりに電話をかけてきたのだった。そして、やはりからかい気味に何かを言った。

 その時には、まだ、パソコンをホームに忘れてきたことに気が付いていなかった。だが、忘れ物に気が付いてみると、反町に泥棒に入った…・警察が・・・・それをブログで、書いている私をからかう為に、その男に電話をかける様に命令したのだった。

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 さらに、すごいことには、27日には、すでに、買ってあったお客様用、ドレッシング日本が、絶った三日うちに盗まれているのだった。主人に、お客様用に勝ってきたわよと、言ってある。ごみ捨てに行っているうちに盗まれたのだった。我が家の夫婦間会話が、盗聴されていて、お客様用、ドレッシングが無くなっていると、困るだろうと、考えての盗難だった。

 

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