銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

今、連れ合いに向かって、長い手紙を書いています・・・・・ときえだひろこさんと、私・・・・・言論弾圧の一手法として、孫や子供への攻撃がある?

2018-12-18 21:37:17 | 政治

 今は、20日の午前3時です。8400字以降=副題6から加筆を始めます。

副題1、『本日私は午後三時から、主人へ手書きの手紙を書いていた。5時間ぐらいそれに当てた。で、本当のことを言うと、今、疲れ切って居る』

 我が家には、室内への盗聴も、電話への盗聴もかかっています。そして、其れを、ご近所様さえ・悪・利用をします。したがって、気の休まる暇もないというあり様です。

 で、主人(最近の言葉で言うと連れ合いというらしい。なるほど、他人に向かって、結婚相手を立てるのは、おかしいか?)に対しても、本当に思って居ることが言えません。でね。あまりにも外部に対する認識がかけ離れると、とても、困ったことに私がなるので、時々、すり合わせをします。

 彼は、私のブログを現在読んでいません。で、私はそれも、何かの、プラスになると考えて、強制的なお願いをしていないので、私が、どういう状況下にあって、どういう風に戦い、敵さんたちを、どういう風に、思って居るのかを、知りません。で、2007年ごろに、困ることがあまりに多かったので、長い長い手紙を書き始めました。たぶん、2月のどこかの日だったと、思いますが、その日は雪だったので、じっくりと書きました。A4の紙に、太字のサインペンで、手書きで200頁も書きました。その前にも書いていましたよ。しかし、その日が画期的に長い手紙を書いた日だったのです。

 しかし、そういう長い手紙を二か月に一回書くとして、その間にブログでは、ある時期など、毎回三万字を、ほぼ、毎日、もしくは二日に一回、書いていたので、二か月に一度、連れ合いに知らせるとすると、1000万字を、1万字ぐらいに縮めることになるので、千分の一にしないといけないのです。すると、傍証部分がそっくり抜けます。

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副題2、『まず、泥棒の話をしよう。主人への本心を吐露した手紙を何通もぬすまれていて、そこからアイデアを取って、攻撃をしてくる。私の本心とは、子供のことを心配しているという事だ』

 私はよく、「下世話な話をしますね。スピンオフですが、其れをまず、書いて置かないと、先に進めないので」といいます。そういうところが傍証づけになっているのです。たとえば、普通の人だったら、絶対に信じないだろう、「井上ひさしとは、公的には、自分を死んだことにしていますが、本当は生きていて、やまゆり園事件の様な、謀略を生み出し続けているのですよ」と、書いていくことができるわけです。自分では、自分の文章は説得力があると確信をしているのです。

 ところが、主人にあげる、手書きの手紙には、そんな部分は、とても、書く気がせず、大切なところだけをスケルトンとして書くわけなので、共同生活者と、言えども、「えっ、そんなことって、あるのかなあ」と、いう様なことが書いてあるわけです。で、彼としては、其れが異様な事で、かつ、不快な事ですから、信じたくないわけです。で、私からの手紙をぞんざいに扱いました。

 彼が、大切にしていないという事は、偶然に分かったのです。或る時に、私は、美術関係の本を、彼の本箱の空いた場所に移そうと、しました。そのころは、彼が、心筋梗塞を患う前だったので、35坪の家の一階に、三間半幅、二階にも三間半幅の本箱がありました。だけど、本なんて、意識して捨てない限り、どんどん、どんどんたまるわけですから、【美術の窓】という雑誌などを彼の本箱へ移動をしようとしてたのです。

 すると、組み立て式の本箱の隙間に、丸めて、私からの手書きの手紙がポンと置いてあるではないですか? ひどく驚きました。私たち夫婦は、一緒に外出する機会が、2週間に一回はありました。『その間に、盗まれていたら、どうしよう』という内容のものばかりでした。本当に驚きました。

 これが、どうしていけないかというと、泥棒が我が家に入るのですね。金銭的メリットが目的ではなくて、私を苦しめるのが目的です。自分が苦痛に思う事を手書きで書いて、「あなた、こういう状況を、理解して、此々で、こういう風に助けてくださいね」と、書いた手紙を、敵方に、読まれてしまったら、そちら方向を狙われるのは、必死でしょう。 それが、息子が、・・・・・西原理恵子がしかけた(無論、三国屋善五郎社・自身も協力をしていたが)悪辣な罠に引っかかって、三国屋善五郎社の、勤務者としての、給料を失うという件につながりました。私が・・・・・子供が大切で、彼らが狙われたら困る・・・・・と、主人への手紙に書いていたからです。

 だけど、何度、言っても、泥棒のことを信じたくない模様でした。夫婦といえども、主人は、私の両親の関係における父とはまるで違っていたのです。1966年卒のICUって、相当に優秀な学生を送り出していたので、私には負けたくないという意識でもあるのか? それとも、呉という軍港に育ったので、私の父なんかよりも感覚が、50年は古いのか?

 ともかく、私は何通も手紙を盗まれており、そこから、敵さんたちは、私を攻略する方法を編み出している可能性を感じています。その一つとして、ご近所様に、私の弱点を漏らしている可能性も感じています。

 それを、彼らは、「雨宮舜(=本名 川崎千恵子)だって、こっちの悪口を書いているのだから、正当な復讐でしょう?」っと、言うかもしれません。しかし、私は、1984年に引っ越してきて、その時からネットで、ご近所の悪口を書いていたわけではありません。そのころには、インターネットなど、発展していませんでした。しかも、1984年から、2013年ごろまで、ひたすらな被害を、安野夫妻と、前田夫妻から与えられ続けて来ていて、我慢の20年があるわけです。

 被害があったら当然のこと、『どうしてこういう被害にあうのだろう?』と、考えるではないですか? すると、諸般の悪辣なことは、すべて、安野夫人が主催する井戸端会議に、原因が在ることがわかってきます。で、・・・・・子供がすでに中学生と高校生になっている母親が、どうして、それほどの、迷惑行為をやり続けるのか?・・・・・・という疑問が次にわきます。と、同時に彼女はとても目立つひとなので、私の方の、観察の対象になりますね。どうしても道を通っていると、聞こえるし、部屋の中にいても、彼らの話声が、聞こえるからです。この山は、ぎりしゃの円形劇場のような形をしていて、安野夫人が井戸端会議をしているところは、舞台にあたるからです。また、樹木がうっそうと茂っていて、其れが、遮音効果があって、山ノ下の喧騒が、此処まで届かないのも、幸いというか災いというかで、井戸端会議での、会話は、この山中に響くのです。

 しかも問題は、ほかにもあって、そこがあい路になっていて、どうしても、そこを通らないと、山ノ下へ、降りていかれない上に、彼らの構成している集団が、中学生の裏番長システムに似ていて、其れを無視しては、生きていかれないという様な脅かし風な、威圧も発しているのです。それは、40過ぎていて、しかも長子が高校生でもあり、しかも、鎌倉のブランド住宅街に、一戸を構える主婦としては、ありえない態度なので、『ああ、略奪婚の人で、急に妻になり、母になり、鎌倉マダムになったので、その勝利の快感が忘れられなくて、其れで、手あたり次第、目に見える範囲の女性に、勝ちたいわけですね』と、私には判ってくるわけです。その後、水を使った、第一次暗殺未遂とか、ありとあらゆる意味で、莫大な被害が、彼女発のものとして、重なるので、その因果関係を説明するために、彼女が略奪婚の人であるのを、このブログ、もしくは、メルマガに書きます。それに対する復讐として、アリと、あらゆる、私の弱点が、どろぼうからの伝言により、彼女、及び、彼女のシンパである前田夫人や、小野寺夫人入るわけです。

 その手の、泥棒が、今では、四種類に増えているのです。私も悲劇の人ですが、いままでは、できるだけ我慢をして、「自分の被害の方は、カタリません」といって、秘めていた部分です。だから、こっちが相手方の悪口ばかり、先に書いている様に、誤解をされた方も多いと思いますが、神様を信じて、先へ進みました。・・・・・

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副題3、『次に盗聴のことを語らないといけない。これも主人は信じたくない現象であり、その二人の懸隔が、大きな被害を私にもたらし始める』

 私は、電話が盗聴されているのは、1978年から気が付いていました。しかし、北久里浜における、実質的な詐欺事件である地籍変更届(京急北久里浜駅の東側の丘の、一部、2400坪を、旧海軍参謀、益山重夫氏が、無償で、私有化した)の騒動が終わったら、盗聴も終わるものだと、考えていました。それは、甘かったのです。そして、2008年以降に相談した弁護士さんが、「そういう状況では、室内も盗聴されている可能性がある」と、言われました。

 私は、弁護士さんを、5人知っています。以前、「東大卒の弁護士さんを、四人知っています」と、語りましたが、数だけ言えば、正確には、五人でした。そのうちの一人は、亡くなっていると、姉にあたる人から聞いており、もう一人は年賀欠礼で、ご家族から、逝去のお知らせが来ています。また、最も親しいと感じている弁護士さん、ふたりからは、彼女らが、この件のスケールの大きさに、恐れをなしていて、時を置いてですが、それぞれが「引き受けたくない」と、言って来て居るので、残りの人も似た様なものだろうと、思って居て、既に、弁護士さんに依頼をするのは、あきらめています。しかし、いったん、ことが起きれば、このブログを使うつもりであって、すべての現象で、敵対行為、又は、加害行為をしてくる人の名前は、実名表記にしています。

 ですから、私の身近にいる人は、常に、このブログを読んでいないといけないのです。今日の、この章の、こういう場所を読んでいれば、敵さんから弾丸として、利用をされようとしたときに、正しい対処をできるから。

 ミスター富沢の様に、目に見える形で、まず、犬の様に、私を扱い、その上で、数か月後に、朝七時から始まった高枝切りで、轟音を用いて、前夜、徹夜の私を寝かせないで、置いて、一種の殺人未遂事件を行い、しかも、其れに、ご自分のお金を一切出していないケース(税金を100%使った)などを、引き受けたりしたら、私が、間髪を置かず、書き始めるという事はご理解をくださいね。

 ところで、我が家の盗聴の話に戻ります。「盗聴があるのよ」と何度手紙に書いても主人が納得をせず、私にとって、困った内容のふりかけ(または、つっこみ)をしてくるので、内心で激怒したことは何度もあるのでした。

 例えば、「お前は孫のことを、ちっとも、気遣って居ないね。普通の奥さんは、そうではないよ」と、言ってきたりします。私はさりげなく、パススルーしますが、内心で激怒しています。だって、私は孫をかわいいと思って居ます。でも、その気持ちが敵に付け入るスキを与えるといけないと思って、この雪ノ下の山の家では、孫の話は一切しません。そして、孫を訪問もしません。非常に抑えています。我慢をしています。

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副題4、『ここで、ときえだひろこさんと、言う超・優秀な女性の登場を待たないといけない。2018年度の同窓会誌(お茶大付属高校のもの)を見ると、ときえださんの短歌の中に、どうも、お孫さんが生まれたらしい風情が感じ取れる。慶賀を申し上げたい。しかし、ときえださんが、井上ひさしの教唆を受けて、(ただし、間に、東京カテドラルの信者か、神父をだれか、挟んだかもしれないが)それ以前の、やさしい先輩であるという態度からは、激変をなさって、敵の回し者として、機能をされた一時期があることを語らないといけないのだ。その時枝さんが、・・・・・あなた、文章を書くのは、おやめなさい。時には孫がさらわれたりするのですよ・・・・・と、おっしゃった。そのことは、ひと時も忘れたことはない。だから、鎌倉雪ノ下の自宅では、孫のことは、一切話さない。このブログの世界にも、自分自身の、子供の小さいときの写真(40年前のもの)を載せたりしたが、孫の写真を載せたことはない』

 この章は、非常に長くなる予定です。前報と同じく、時間を長大にかけるつもりです。でも、本日は、体力がないので、時枝さんに関するところで、しかも、途中で終わります。

 時枝さんという人は先祖代々、お公家さんみたいです。そして、明治以降の男性の家族は、学者をされているのではないかなあ。だから、劣等感など、みじんもなくて、女性でも、物理学専攻などという事が、楽々できる方です。そして、お金のことも気にすることもないのですが、かと、言って、「女性は専業主婦が一番です」などとも、思っても、いない方でもあり、特許庁で、長年、上級職(つまり、特許の審査をする人)をなさった後で、原子力何とか委員会の諮問委員をなさいました。もし、彼女がその任に、在任中に、3.11が起きたら、彼女がトップとして記者会見をなさったかもしれないのです。その数年間に、秘密にしないといけない書類をたくさん、預かったと、私以外の別の人に、おっしゃいました。

 で、そっちの方角から、注意をしてくださったのかもしれないけれど、私としては、井上ひさしの依頼で、動かれたと、見ています。で、一度、この件は書いています。それなのに、もう一回書くのは、孫のことを、どう扱うかと、いう点で、時枝さんの存在が、私にとっては、非常に大きいからです。時枝さんには、お子さんがありますが、ぼっちゃんだし、・・・・・あまたお見合いの話が持ち込まれるが、海外にいるし、本人に任せている・・・・・との話だったので、坊ちゃんの結婚が遅かったのだと、思います。

 でね、もし、私が以前、この話をブログで書いていなかったら、お祝いの電話、もしくはカードを贈るのですが、控えています。そういう意味で、「文章を書く事をいけない」とおっしゃる時枝さんのことを、しかも実名で書くのですから、既に、お付き合いはできません。でもね。私の心の中には、井上ひさしと、伊藤玄二郎に代表されるCIAエージェント達に対する深い怒りはあるのですよ。私の孫が、もし、被害を受けたら、其れは、例の連中が裏から手をまわしていると、考えていますから。

 そして、どうして、此処で、あえて、その予想を立てるかというと、孫が、受験シーズンを迎えているからです。私の方は息子も娘もいますが、両方に孫がいて、娘の場合、女の結婚は、男性より早いケースが多くて、孫が、相当大きくなっています。

 そして、私は、孫ではなくて、息子の方が、残酷な仕打ちを、既に、35年前に受けているのを知っているのです。私立中学二校に受験して不合格になっていますが、今思うと、裏から、わざと手をまわして、不合格にされたと、見ています。ひどいなあ。自分たちの方は、すさまじい利益を得ている連中が、そこまで、やるのですよ。ここで、連中というのは、益山重夫、元、海軍参謀と、瀬島隆三元陸軍参謀です。そして、瀬島隆三が、戦後日本における最大のCIA側エージェントだから、組織的後継者として、数人を任命しており、その中で、活発に動いているのは、伊藤玄二郎と、井上ひさしです。特に雪ノ下のご近所様を考えると、そうなります。ほかにもいますよ。だけど、指呼の距離で、思い浮かぶのは、その二人です。

 しかし、そこに浄智寺(朝比奈宗温)さん、宗興寺(中野誠哉氏・・・・・曹洞宗の偉い人)さん、覚園寺さん、堤義明氏などが絡んでいるのですよ。そして、石塚雅彦さんを中心にして考えると、大前研一さんや、大宅映子さんも、たった12歳、もしくは、15歳の子に、大きな傷を負わせる連中の陣営に座しているのです。非常に恐ろしい曼陀羅図が、此処に出来します。

 私は大変苦しいことを書いています。で、インフルエンザにもかかったと、思って居ます。でも、書かないで、心の中だけで苦しんでいたら、神様にも助けてもらえません。ここに書き表すことができただけでも、進歩だと、思って居ます。偶然から始まった進歩ですが、其れも神様のお恵みだったと、考えております。

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副題5、『時枝さんとの、1984年ごろから、2000年までのあれこれを語りたい。そこに井上ひさしたちの、本心も見えるし、時枝さんの、本心も見えるから』

 時枝さんは、お茶大付属高校の関連の女性たちのリーダー、及び指導者でもありましたが、何の劣等感もなく、かつ欲もない方でした。しかし、リーダーシップをとる方でもあり、其れが、女子高内では、男性的な態度と、なったと、思います。時枝さんを年齢的に間に挟んで、上下に理工系の、有名人が二人います。上は、中村桂子さんで、下は、山崎直子さんです。

 プルーストの作品を語る場合に、マドレーヌが有名なアイコンとして出てきます。私が時枝さんのことを、良き思い出として心に浮かべるときには、常に上等なオリーヴ・オイルと、連れ添って、思い出が現れます。ある日、時枝さんからお電話があって、「私は鎌倉の菩提寺に墓参りに行きますが、あなたと、お昼を一緒にしない?」と、お誘いを受けました。それ以前に、神田の学士会館そばの喫茶店では、5,6人が一緒に時枝さんを囲んで、お茶したことは何度もあるのですが、初めて二人だけのデートにお誘いを受けて、『今日は,箴言の数々を、聞くことができるだろう』と、言う、喜びに包まれました。

 その日は、今は、SMBCが使って居るレトロなビルの、当時は、三階にあったイタリアンレストランで、一緒にランチを食べたのですが、その日生涯で、初めて、オリーヴオイルが、バター代わりに出ました。おいしかったです。それ以来、バターは、使わず、オリーヴオイルをパンに塗る人と私は変化しました。

 その後、時を経て、「葉山の美術館へ、一緒に行きましょう」というお誘いを受けました。『少し変だな』と、思いました。葉山の美術館って、鎌倉に住んでいる私でさえ、行きにくいのです。その上、其の開館は、旧館のすぐそばに住んでいる私の画家としての、チャンスの芽をつぶすものだと、判断していました。それは、今では、はっきり、「あたりだ!」と、言いましょう。ともかく、中央線では、三鷹より以西に住んでいる時枝さんが、まだ、湘南新宿ラインが、正式には、開通していないこの時期に、そんなに喜々して、「行きたい」と、思っておられることが、理解できませんでした。

 今思うと、時枝さんは、全体に、はしゃいでおられたと思います。私は2003年当時は、メルマガを配信していて、時枝さんも読者の一人でした。で、時枝さんは、ひそかに、『どうして、私が、井上ひさしにとって、困る人になるのか?』を理解なさっておられて、その私が文章を書くのをやめる様にさせる、ご自分の、任務に酔っておられたのだと、思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ここから先は、20日に書く部分です。

副題6、『時枝さんから、連絡はメールでくださいと、言われたときにも、彼女がすでに、敵方に取り込まれたことをはっきりと知った。以前の様に、本当に親しいのなら、外から、公衆電話で、連絡を取ってもいいだろう。しかし、私が時枝さんと、いつ会うか、どういう話をするかを、敵さんたちは100%知りたいのだった。・・・・・メールでのみ、連絡をお願いします・・・・・というのは、一見すると問題がない様に見える。だけど、私のパソコンは、非公開の個人的メールでも何でも、すべて、ハッキングをされて居る。だから、警察の殺人用別働隊は、時枝さんに知らせてもいいし、知らせないでもいいから、彼女とデートをする時は必ず、尾行が付け、かつ、すべての会話が盗聴をされることとなったのだった。

 しかし、問題は、さらに、深刻だった。それは、もう一つの真実をも明かしていた。彼女が、私の事を厄介な人、または、面倒な人として、切り捨てたいと、思っていることが、さし示めされていた。

 敵さん連中は、2003年ごろ、この様にして、時枝さんを自陣営に取り込んだことに自信を得て、さらに、私を追い込むべく、私がテロリストであると、言う規定を立てて、その方向を有効にするために、シャルリーエブド事件他、数々の、アラブ系テロリスト、事件を起こす。

山本美香さん殺し(=これは、彼女は、本当に殺されている)

後藤健二さん殺し、(これは、湯川さんは、本当に殺されて居るだろうが、後藤さんの方は、未だ生きて居て、海外で、妻子とともに暮らしているだろう)

ルビッツ副操縦士の自殺願望説が、にぎにぎしく展開をしたドイツ格安航空機のアルプス激突など、枚挙にいとまがないし、

 この時以来始まっている自分の雪ノ下の家に向かっての脅かし策を、未だに、西隣(小野寺夫人邸)+北側(前田清子さん宅)から、受けている。この日曜日の早朝に、「インフルエンザに罹ったので、ここで、切りますね」と書いたことで、『あ、彼女は今弱くなっている。ここがチャンスですね。いじめてやりましょうよ」と2人で相談をしたか、上からの指令で、行っているか、どちらかは、判らないが、実際に攻撃を受けている。それは、2018年12月17日の早朝6時、18日の午前2時他であった。もう、1,2回あったが正確な時間を覚えて居ない。

 そして、京急である。最初は、北久里浜駅のホームに在る電光掲示板にだけ、それが現れた。しかし、今では、車内放送でまで、それが、流れるが、しつこい事に、横浜駅を中心としていて、かつ、新逗子駅も悪利用をされる様になった。それは、「テロリストが、この日本に居ますよ」と、言う示唆に基づいた文言であり、「車内で、不審なもの、不審な人物を見かけたら、駅員か、車掌にお知らせをください」という物だ。

 これは、偏に、緩慢な暗殺未遂行為である。北久里浜の家に、野菜や、ハナの水やり他の手当てをしにでかけるたびに、その暗殺用シャワーをあびて、私は、ジョジョに、明るさと自信を失っていく。いや、それを、大喜びをしている連中が居るからこそ、私は、常に逆ザヤを張ろうと、思ってはいるが・・・・・

 

 

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