銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

夕食を、安心して、静かに、食べる、幸せ・・・・・が、それも瞬時に破られる?

2011-11-15 02:45:47 | Weblog
 今、15日の水曜日、午後10時です。今日、新しい文章を付け加えるつもりでしたが、これは、これで、ココで、終わりとさせていただきたいと存じます。それでも、初日の14日の深夜に、最初の文章へ、4000字を加えてあります。

 なお、フェイスブックと重なっている方に、もうしあげます。いつもそうですが、こちらの方では、膨らませていきます。発想も言葉も7倍以上に、膨らませていきます。それは、どうか、よろしく。
~~~~~~~~~~~~
*1、野上弥生子と家事。

 私は野上弥生子は、一作も読んだことがないのです。がその評伝の、そのまた書評が日曜日の書評欄に出ていて、それから思うところが多々ありました。書評子さんによると、野上弥生子の創作活動は、二人の女中さんと、ご主人のサポートに支えられていたし、軽井沢にも行きっぱなしでもあったそうです。
  
 私は、ごく普通の妻であり、母ではありましたが、1999年から2002年にかけて、一人暮らしを、逗子でしています。「ものすごくわがままだ」と周辺から言われましたが、パリで、三か月制作三昧の生活を送った時に、『自分は世界に通用する』という感覚を持ったのです。で、どうしても、世界に通用するアーチストになりたくて、そのためには海外に行かなくてはならないので、それを許してくれない家族から離れていたのです。

 この書評を読んだときに、その自分の三年間の、わがままの時期を思い出しました。で、穴があったら入りたいほど、『あれは、間違っていた』と、今思っているかというと、そうでもないのです。
~~~~~~~~~~~~
*2、もし、私が、家事オンリーの一生を送っていたら、どうなっていたか?

 でもね、誰に、わがままだと責められても、当時、絶対に、ひるむことがなかったのですよ。『それでいいのだ』と、確信していました。人間は、やっぱり、何かを生み出すために生まれてきているので、その技術や環境を生み出すために、選択したり、戦ったりすることは許されると思うのです。

 私は、どうも、その『生み出す人』なのです。それが、抑えられていて、刺しゅうや、洋裁をして、クッキーを焼くだけで、暮していたら、自分のこころが不幸だから、主人に対しても、高度な人間的理解を、与えられなかったと思います。偉そうに言って悪いのだけれど、私は人間が大好きで、家族に対しても、他人に対しても、相当に深い理解ができるつもりです。だけど、『自分の最上のモノを、この人は気がつかないとか、生かしてくれないのだ』という潜在意識的な恨みがあったら、他人を理解するどころではありません。夫に対しては、面従腹背。そして、自分の側では、不定愁訴に浸りきった人間となります。

 こういうマイナスのスパイラルに入っている女性は意外と多くて、そういうヒトが、70歳を超えたときに、突然に、認知症を患ったりするのかもしれません。
 だって、中流の上という、立派な家庭の奥様が、認知症になった後で、これまた、東大出身の立派な旦那さんの、腕を噛んだりするそうです。

 そこのお宅では、ご主人は奥様を愛しているし、何が問題だったかがわからないみたいです。
 私は、その理由を、教えてあげるようなおせっかいはするつもりなどないけれど、推察はできます。奥様はありとあらゆる意味で、優等生だったのです。何もかも、家族が幸せ・・・(ただし、それは、婦人雑誌に描いてあるような、または、テレビの世界の中にあるような幸せである)・・・に、なる様に、努力を重ねて、生きてきたのですが、体力がまるで衰えてきて、冒険が絶対にできなくなった最終段階になって突然に、抑圧されていた、潜在意識の中の不満・・・・・それは、『私は、私の人生を生きて来なかったのよ。もっとドラマチックな生き方をしたかったの。本当は、小説家になりたかったのよ』と、言うような実存的な不満が多いのでしょうが・・・・・に、突き動かされていて、起きるのだと、考えています。

 しかし、自分を抑えなかった、私は、そのマイナスのスパイラルを、切り捨てることができました。今でも、ある意味で、面従腹背です。が、仕方がなくて、取る態度ではありません。余裕を持って取る態度としての、面従腹背です。
 今、家族は私に対して威張りまくるけれど、それは、私がそれでも、平気な人だから、安心して、威張りまくっているのです。私は、小さな部分ではどうぞどうぞ、『私は、創作ができればいのよ』と思っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
*3『どうして、家庭に帰ったか?。そして、妻とは何か?』

 でもね。それでも、今、無事に普通に家族として、自宅で暮らしているのは、2400万円のお金が不安になってきつつある絶妙なタイミングで、猛烈な痛みを伴う病気になっちゃったのですね。それを治してくれたのが、主人だから、大芸術家になる夢はあきらめて、自宅へ戻り、お母さんと、奥さんをしているわけです。
 
 中途半端で、挫折したといえば、そうなんですが、それでも、三回も三か月ずつ海外で、版画三昧暮らしをして、残りの、九か月を文章を書くだけの生活をしたのは、圧倒的な自信・・・・(人に優越するための自信ではなくて、バカボンのパパみたいな、『これで、いいのだ』という自信ですが・・・・を生みました。あれが無かったら、メルマガ(閉鎖されている)も、グーブログも、フェイスブックもやらなかったし、できなかったと思います。しかし、妻というのは、100%の創作活動はできないのです。
 特に、病気を治してもらったうえで、帰ってきた家庭です。やはり、それ以前ほどの、わがままはできません。それは、主に、美術の仕事に繁栄してきています。
 私の主たる才能は美術の分野にあります。だけど、それをあきらめているのです。アートっていうのは道具立てが大きくて、また、ちょこまかっとした時間で、終わらないのです。そして、私が、美術系の、アイデアを練っているときは、雪の女王より怖いらしいのです。意地悪をするつもりはないのですが、周りに、鉄壁のバリアーができてしまうらしいのです。で、そういうタイプの人間は、家庭の中にいるのは無理なんです。
 で、それは、何とかなるわ。今はあきらめようと思っていて、そのかわりがパソコンで書くエッセイです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
*4,『孤独でこそ、可能だった、修行の日々』

 テレビを見ないという方が、クリエイトをする世界には、何人もいらっしゃいますが、私だって、逗子で、引きこもっていたころは、テレビ(買って持っていた)は見ないし、新聞も読まないし、ご近所づきあいなんて、一切しませんでした。
 三ヶ月間暮らした外国での思い出を、文章に直すことに、残りの、九ヶ月を費やしていたのです。

 ここらあたりは、昔からの読者は詳細をご存じのところですが、今、振り返ってみると、確実にわかることは、エッセイをパソコンで書く場合の所要時間を、把握したことが大きいです。起承転結があるように、まとめあげるのに、大体、何時間かかるか、などが、わかっていることは、毎日健康で書き続ける、ことができると、目星をつけられることとなります。それは、数年に渡る計画でもありますが、一日単位でも重要なことです。途中で、家事をやって中断しても、アイデアが、消えないで、頭に残っています。
 そこまでの、塩梅とか、見通しができたことが、あの修業時代(=ひとりぐらし)の最大の成果でした。それも、自信となっています。

 書き始めて、終わりが来なかったら大変でしょう。それに、読んでいただいて、面白くなかったらそれも駄目でしょう。で、絶対に、面白いところで終わらせるという自信は、持っています。
 いや、毎回じゃあないのです。もちろんのこと、デモ、一ヶ月に一度は自信のあるものが書けます。特にテーマが小さいときこそ、文章がおもしろく書けます。というのも、こんな小さな話題に、皆様のお時間を使っては申し訳ないと思うので、大変たくさん点検するからです。

 そのおもしろさというのは、『笑える』という意味ではありません。どこか、忘れていた小さな思いをすくあげることです。世の中で、声高には、語られていないことを、語るときには、どうして、それを、今、私が皆様に、お伝えしたいかを丁寧に、丁寧に、突き止めないといけません。そうなると、文章がしっかりして言います。話題は小さくても、文章のしっかり感で、皆様におもしろさを感じていただけるでしょう。
 今日の文章がそれに当たるとはいえませんが、それでも、フェイスブックのメモ時代よりは、丁寧に丁寧に、行間を考察しています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
*5、『書くか、書かないか、それが問題だ』

 実は偶然に入ったフェイスブックですが、そこで、六っかげつかんもみくちゃになるほどの、攻撃を受けました。今刺客として現れた人物を、四人ほどあげていますが、ほかに、数人、大きな存在として私を苦しめた人物がいます。そのエピソードは、それはそれとして、また、非常に字数を必要とするので、いま、書くか、書かないかを迷っているところです。が、それがきっかけで、フェイスブックに入った、フェイスブックへ、宣伝をできるスイッチ(シェアというもの)が今は利きません。

 私の場合、トラックバック機能も利かないし、アフィリエイト機能も利かないし、読者数もめちゃくちゃに嘘が、公開されています。9月の時点で、一二〇万でしたから、今は一五〇万を超えていると思います。満三年でです。デモ、最近では四十八万でしかないとか。嘘ばっかりですが、そのようにいじめられると、むしろ、確信をさらに強める私です。

 『ふん、ふん、言っていることがすべて、真実だから、このように、いじめられるわけですね』と、さらに、しっかりしてくる私です。しかし、常々、30%ぐらいのところまでしか、明かしていませんと、申し上げる私が、さらに、熱意を落として、今日は20%で、やっつけて逃げておこうと思う日ももちろんあるのです。体調の加減だったり、ニュースの行方を追うとそうなるケースもあります。

 たとえば、TPPです。11月6日発の文章の最後の方で、軽く触れていますが、それ以降もそれ以前も一切触れていません。その結果、何が起きたかというと、ニュースの流れが自然になりました。諜略行為が、減っているのです。『そうか、何も触れないのも、いいことなのだ』と、何年ぶりかで、秘めることの良さ、秘匿することの良さも感じているのです。

 で、そういう日は、軽く流しておこうと思います。で、お料理について触れることにいたしました。
~~~~~~~~~~~~~~~~
*6、『ここ三年間の、意識上の、大きな変化』

 私は、2009年末までは、大変煮忙しいヒトだったので、外食に派、時間を割きませんでした。グルメという趣味にも興味はなく、新宿なら、この店、渋谷ならあの店、池袋なら、この店、銀座ならこの店と、決めてあり、そこ以外は入ったこともないくらいです。
 それらは、値段がリーズナブルでかつおいしく、かつ待たせないお店です。

 ところが、二〇一〇年に入って、大変化が怒りました。それは、ギャラリー山口のオーナーの急死を機縁として起こりました。この方の死は、気の毒で気の毒で仕方がなく、未だに、その形骸を忘れることはありません。後で、調べておきますが、彼女の死と彼女自身については何度も書いています。ただね。どんな、文章を書いても彼女が生き返ってくるわけではありません。それにまだ、有名人でもない私は、彼女の死に対する疑問に対して、共感してくれるヒトを見つけ出せないでいます。

 でね、少し方向転換して、一人で、かのじょを悼む行事を重ねようと思いました。私も同じなのですが、彼女も娯楽とは無縁ノ生活だったと思います。それは、芸術という行為が、世の中では高度な遊びと見なされていて、そういう意味での、贅沢をやっているわけだからと、肩身のせまい思いがまずあるのと、やるべきことがいっぱいあるから、遊んではいられない。時間が大切だという思いは大きいからです。しかし、死んでしまわれると、この世のモノが一切もう味わえないのですから、なんと、気の毒だろうと思います。せめて、一種の陰膳として、おいしいものを供えてあげようと思ったわけです。が、お葬式もなかったし、墓所の情報も公開をされていないので、抽象的な意味でやっていこうと思い、一人で外食をしているのです。

 特に、主婦層が、大いに取り組んでいるホテルバイキングの渉猟を始めました。
ピアが出版している大型ムックを二冊も買って、東京と横浜のホテルバイキングは、場所としては、30カ所以上を訪ねています。銀座近辺なので、同じところを何回も訪問したケースを入れると、ほぼ、40回は、それを、試しています。その結果、思いがけずも、太りました。 線が細くて、それで、神経質そうに見えるだろう私が、人並みの体型になったのです。

 そして、もう一つの発見は、品数は多いが、本当においしいと思われるモノが少ないということでもありました。 で、最近の私はランチで、二〇〇〇円程度のところを探して、山口さんとご一緒のつもりのお食事を繰り返している訳です。昨日は一升盛りと言って、お刺身が、升に盛られているのを、麦焼酎のお湯割りと一緒に食べてきたのです。そして、さらに言えば、『我が家の、食事は結構おいしいな』と言うことも発見をしたのです。
 青い鳥の伝説はこんなところにも生きています。
~~~~~~~~~~~~~~~~
*7,『後ろめたかったが、決行した』

 で、私は3日前の、土曜日に、『そうだね。今日は七面倒くさいことは書かないで、お料理の写真でやっつけて逃げよう』と考えたわけです。休んでもいいのですが、敵と丁々発止で戦っている現在、何も書かないで、いると、『おまえ負けたではないか。だから、この攻撃は有効なんだな』と、敵方が判断する可能性があるわけです。そうすると、今、行われている攻撃がさらに発展をする可能性があります。

 しかし、後ろめたくて仕方がありません。まず、自分が厳しいひとり暮らしをしたせいで、一人暮らしをしているヒトへの共感があります。私は現代アートの世界のヒトと、つきあいが多くて、共感もお互いに、抱きやすいのですが、しっかりした仕事をしている、作家は、独身の人が多いのです。男性でも女性でも、そうなのです。

 で、そういうヒトに対して、主人が作った料理と、自分が作った料理とを合わせて、栄養満点名ものを食べていますというのは、申し訳ない思いでいっぱいです。単に作家さんに限らず、この現代日本で、苦闘をしている大勢の人に対しても。原発事故の後で、迷い苦しんでいる人は言うに及ばず、世界中には戦争や、国内紛争の結果で、苦闘をしているヒトはいっぱいいます。

 でね、その後ろめたさを、振り払うために、まず、お料理が特集をされている頁への投稿の形を取ったのです。原発に反対の、私が豊かな食生活を送っているということは別に、恥じることでもないかもしれない。だけど、自分の頁に書いては統一がとれません。

 で、写真は後で処理しますが、土曜日の夕食に添え文として、以下のものを添えたのです。

今日はお客様で、お忙しいのですか。投稿がまだありませんね。その間に、私の夕食を。これは、ごく気楽な野菜中心のモノです。お魚は、有楽町の物産館で買ってきた穴子のひもの。タンパク質が足りないので、白菜のくたくた煮(里芋と、ツナ缶ほか)、と、麻婆なすの挽肉で、補って。
  常備菜は、旧中央公民館での、姉妹都市フェアで、買った萩の井上のわかめのふりかけ、自家製梅干し、ザーサイのいために(塩抜き以降は、自家製)、東北の漬け物
  今日は、見かけは悪いけれど、舌になめらかに当たる野菜類が、おいしかったです。で、満足。花は長い柄を、どんどん、水切りしていって、最後に食卓と、トイレに。生野菜は朝取ることにしていて。
  一つだけ、秘密を言うと、本日私が、作ったのは、簡単なくたくた煮だけ。あとは、昨日からあるモノ。特に麻婆なすと梅干しは、主人が作りました。お料理は好きなひと、または、できるヒトが、やるのが我が家です。でも、相当に外で、食べていますが、最近では、家での食事が一番だなと、思っています。

 と、そして、それにさらに付録として、「写真を撮るから乱れないようにちょっと待っていてね。と北側の席の私が言っていますが、南側の席のヒトは、もう待てなくて食べ始めています』とも書いたのです。この北側のヒトが私で、南側の席のヒトは主人です。ここらあたりは、政治評論家としての、姿はかなぐり捨てて、現状を肯定している私がいます。

 つまり、次の日に付け加えた、以下に置く△括弧内の文章を、このときにすでに、内面では感じていたとなるでしょう。
  ・・・<でもね、人生って、計算の符牒はあうのですよ。ずっと苦闘をしてきた私は、今は、休めと天に言われているみたいな気がします。
 そして、私が休む、または、怠けるぐらいが、主人とうまくやっていく秘訣なのです>・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~
*8,盛り上がり過ぎちゃったので、反動が来る。

 実はこの写真は、私の投稿としては好評な方だったために、私はさらに、以下のような文章を連続して書きおくることとなりました。

 いえ、お褒めをいただくには値しません。くたくた煮なんて、単なる煮びたしなんですよ。油で炒めて、お醤油で、味付けする。だしは、ツナ缶から出るだけの超簡単な料理です。ただ、母がね。「あんたたち兄弟(実際は姉妹です)はどこか、芸術的な要素があって、お皿の中に、バラの花を飾ったり(これは、妹がよくやることです。食べるバラを売っています。小さいサイズ野バラの花)・・・・デモ、それを、旦那さんたちがわかるかしら。ちゃんとわかっているかしら。もしかしたら、わかっていないのではないかと、私は残念だわ。
 ただ、あんたたちが、それだけ、繊細だと言うことは、社会の中で、それだけ、弱いのよね。(だから、本当はあんたたちのことが心配よ」といっていたのを思い出します。
 これは、そんな、(バラの花などの)飾りは一切ない、普通の食事です。ただ、今日は大仕事に取り組まないつもりだったので、こんな、投稿をして、緩やかに遊びました。

 あ、一つ、弁解させてくださいませ。お味噌汁だけは、もちろん毎日作ります。それを、カボチャのクリームスープにしたりするときは、よりいっそう料理にのっているときです。デモ、そういうときに写真を撮りたいと、思う訳でもないのです。ただ、『これから、さあ、食べようね』と思うだけで。

 今日のスープはおいしいぞ。レストランより自分で作ると、お皿二杯ぐらい食べられるしと、食べる方向へ向けて張り切るわけです。
 ただね、皆様、お料理に私の関心が特に向かうのは、一ヶ月に一回もありません。だから、この頁の主人公様とは、まるで違うのです。でも、最近では、お針仕事とこれが、大切な娯楽ですね。後は、いつもなんや、かんやに追い詰められていますよ。そして、お若い方は、そういうモノだと思う。みんな、お忙しいです。
   目標があり、大義がある方は、お忙しいです。

  とかいて、さらに、二〇〇字程度のお手紙のやりとりが、続くのです。それで、全部で、二〇〇〇字を超えます。これは、私にとっては自然な形です。閉鎖されたメルマガを、十三年間やっています。が、その中でも、多岐にわたるテーマで、すいすい書き続けていることは、相当なインテリ様たちに驚かれていて、四方八方から、お褒めやら、懐疑の声ももらっているのです。さすがにゴーストライターがいると言われたことはないのですが、「躁病ではないですか?」と言われたことはあります。が、20代のころ、IBMの電子タイプライターを使っていた私にとって、キーうちは、ネイティブのアメリカ人が、仰天するほど早いのです。特に美大ノ大学院にいたこともあって、その教室で、英語を書いているのを友達が見ると、目を丸くします。白人の教授でさえ、怖がるほどの、早撃ちです。今は、頭に浮かんだ文案を、ほぼ、0.6%ぐらいの速度で書き表すことができますから。
 
 しかし、フェイスブックで、八〇〇〇字程度を一晩で書くヒトはあまりいないです。
ノートといって、きれいな形で書いてある長文をあげる人はいますが、制限限度いっぱいの四〇〇字を書き下しながら、ぼんぼん、書いていくヒトはあまりいないです。

 でね、自然の流れなのだけれど、書き過ぎちゃいました。で、非常に上品な形ですけれど、これを、移動をしてくださいと言うことが、頁の持ち主からお願いをされました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

*9,IT的、いじめを受けているからこそ、迷うのだった。

 ほかのひとの言葉なので、コピペすることができませんが、本意は、「あなた、頁ジャックしていらっしゃるわよ」と言うことでしょう。他の人、特にお料理が、得意な人の頁で、二〇〇〇字も、私が、お料理について書いてはいけないです。特にお料理の傾向も、文章の傾向も違うのですから。

 普通なら、これは、すぐ、言うとおりにしないといけません。『ご自分の頁に移動をしてください』と書いてあるので、その通りにしないといけません。しかし、私は十五分ほど、迷いに迷って、七転八倒をしました。もちろんのこと、それは、敵の存在を考慮するからです。

 まず、IT的いじめに遭っていますので、彼女がこれはできると、信じていることが私にはできない場合が多いのです。するとどうなるかというと、今度は、コメントをくれた友達の方を裏切ることになります。真夜中でしたから、それを処理する場合には、相手に断ることができません。と、なると、私の方が信用を失うこととなります。ジレンマの極地です。

 この私の想像は、その後の展開を考えると当たっていたと思われます。だから、その移動を開始したら、一時間以上苦闘することとなり、しかもできないはずですから、ただでさえ、40時間以上起きていては、5時間寝るという、不規則な生活を送っているこの体に、さらに追い打ちをかけることは、必定です。ダメージは甚だしかったでしょう。

 で、ここでは、選択は二つです。この敵(彼女自身のことではなくて、例の鎌倉エージェントたちです)に対する戦いを開始するか、一応負けた形を取るかです。私はその夜は、負けた形を取りました。苦渋の決断です。だが、その陰に、例のIT的妨害を行っている特定の、人物、X君の本名を公開するかどうかの重い決断がかかっているので、『今は、そちらには、取り組まないと決断した』ことの、こちらは、余波なのです。

 鎌倉エージェントたちの教唆で、このお友達が、こういう依頼をしてきた可能性は、捨てきれません。どうしてかというと、こちらの方の、言葉の中で、侘びスケというカフェ兼、居酒屋が出てきているからです。これは、北鎌倉にある有名な、お店ですが、二〇〇九年から、明瞭な意地悪をされる鬼門となっているのです。

 それは、むろんのこと、伊藤玄二郎、坂井忠康、井上ひさしの三人が直接、またはそこに出入りしている文化人を通してでしょうが、悪口を吹き込んでいるから、そうなるのでしょうが、こちらが何か、失礼なことをした覚えがないのに、明瞭に意地悪をされるところなのです。特に奥さんが、激しくそれを出します。旦那さんは、まだ、男性だからいいのですが。私は、モノほしくて、出入りするわけではなくて、田口広勝さんという美術系の作家さんに、誘われて、そこに、匠の会というモノの後で、何度か、出入りしただけなのですが、あまりに感じが悪く、その裏側もすぐ察知できるので、田口さんとの縁さえ切ったぐらいです。
~~~~~~~~~~~~~~
*10,9月の最初の、コーラスを欠席した成り行きとそっくりである。

 連続してお読みいただいている方は、ご存じかと思うのですが、私は、2010ねんからモーツァルトのレクイエムというのを、練習していて、それは、この9月10日が演奏会でした。しかし、その4日前の6日の水曜日に、加藤さんという男性から、なぜか、相当に意地悪な感じのメールが届いて、どうするかの判断を急遽迫られ、コーラスの演奏会のほうを捨てざるを得ないこととなりました。その日も午前11時には加藤氏はご機嫌がよくて何の問題もなかったのに、午後の23時にメールボックスを開けると、恐ろしい勢いで、ブログを削除しなさいといってきたのです。

 今回も昼間の段階では、そのお料理大好き、さんは、いいねボタンを押してくれた(これは、フェイスブックの世界の言葉で、容認したと言うことです)のに、深夜反対の行動がでる。加藤氏も、こちらも、ご本人は悪いひとではありません。ただ、彼、彼女らを使って、私への、脅迫と弾圧をやってくる、鎌倉エージェントが悪いのです。

 しかも、その裏で、もう一人別の存在を使って、大きな罠が仕掛けられていました。それは、地方在住のフェイスブック友達からのデートのお誘いです。このヒトは女性なので、一見すると何も問題がありません。しかし、断ってよかった。その後の展開を見ると、完璧に罠だったことがわかります。
 何が罠かというと、私に親しいヒトを、私に会わせて、打ち解けた話をさせたいのです。それを盗聴して、私の本心を探りたいのです。そこから、いつも、「30%しか、書いていませんよ」と、言っている、内実の、50%から、60%を探りたいのです。そして、悪事の後カタ付けというか、対策を練りたいのでしょう。彼らは、ひどいことを連続してやってきています。が、それは、バレエ以内と信じているから平気でできているわけですkが、もしバレエいるとしたら、大急ぎで、口止めをしないといけません。それが、対策であり、時には、ニュースそのものでさえ、作っていきます。

 衆議院とか、文部科学省にハッキングが入っているというのは、ニュースが作られているか、または、私への攻撃をやっている手合いと同じ連中が起こしている現象でしょう。ですから、それほど、私は大物なのです。威張りたくないのですが、現象を見ていると、そう言わざるを得なくなります。

 でね、ここでは、私は非常に用心して、名前を挙げておりません。すさまじい諜略行為の応酬だから、もし私が名前を挙げたら、違うという状況が用意された上で、否定をされるでしょう。だから、用心して、名前を挙げませんが、X君については、相当煮詰まっているから、どこかで書くかもしれません。が、大変なことです。非常に親しいヒトだから、悪もここに極まれりと言うぐらいの話です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

*11、『毒々しすぎるメールを明かそう』

 さて、私は先ほど、いったん中断してから、7時間ほど、ちんたらちんたら暮してるのです。おとといの月曜日の午後二時に起きてから、すでに、36時間ぶっ続けで、起きていながら、迷いがあるわけで、ネルに寝られず、しかもしっかりとした仕事もできずです。ただ、月曜日の夜10時ごろ電車の中で、30分、また、次の火曜日の早朝四時ごろ椅子に座ったままで、30分転寝をしています。これで、脳ミソは大丈夫です。

 が、ここに登場した人物、お料理好きで北鎌倉の侘助によくいくというA女史、出張を利用してデートしたいと申し込んできたB女史、そして、フェイスブックの世界で、大変なレベルのIT的破壊工作をしてきている、X君の三人をどういう風に書き表すかは、信じがたいほど、難しいことなのです。

 が、ここで、あるメールを挿入させてくださいませ。
~~~~~~~~~~~~~

 AOLのメルアドに届いたものを、テキスト形式に直して、ここに貼り付けます。


題名: おひさしぶり
日時: 2011/11/03 22:30:58 東京 (標準時)
FROM: atelierck@excite.co.jp
TO : AtelierCK@aol.com
インターネットメール<ヘッダーを見る>


あらあら、この前書き込まれていたコメント削除しちゃったのねww

自分に都合の悪い事実は握りつぶすわけだ。

あなたもやってることは、軍産共同体とか言ってるのと変わらないんじゃないの?

コメントしたひとも気の毒にね。


ところで、最近は伏字を使うようになったんですね。

少しは学習したのかなw

それとも、怖じ気づいたとか?


それから、私が誰だかわかっているようなこと書いてるけど

わかってるなら公式のアドレス宛てに直接メール送るなりしてみたら?

わざわざそういう仕組みも用意してあるんだしさ。

特定できてるなら簡単ですよw

それともわかったフリして適当なこと書いてるわけ?

~~~~~~~~~~~

 上が全文であり、無記名です。それだけでも、嫌がらせ度たっぷりですがさらにメルアドをご覧ください。人をからかいきっているでしょう。私のメルアドとおんなじものを、@マーク前の幹として、使っています。しかも、これは4通目です。以前はもっと、いぎたなく、かつ、恐ろしい文章を書いて来ていたのです。ただ、私がこのように、二次使用をする可能性を悟ってからは、少し上品になっただけです。その可能性は、私がコピペしたりするからですね。プリンターはこわされていますが、外でプリントアウトをする可能性はあります。だから用心した書き方にっていて、それゆえに、私もかえって二次使用ができるのです。

 これを誰が書いたかは、私はわざと、いいません。しかし日付が重要です。

 これは、刺客としてあらわれた、B女史とのデートの約束が成立した直後なのです。ですから、このメールを書いた人物が、すべてを、取り計らっている可能性は、非常に大きいのです。私が警察だったら、声紋とか何とかで、とっくにしょっ引きます。この男は軽く特定できます。しかし、何度も言っているように、我が家の猫をキイワードにしたトラブルの処理から考え得ると、鎌倉警察署っているのは、正義の、セの字も守れないところのです。私の猫が石川和子と、柳沢昇の夫婦より、私の方になついたから、それが悔しいから、警官に頼んで、私の夫に私をしかってほしいですって。なんですか、その申し出では。

 しかも、のこのこ、言うとおりにやって来た警官は、石川プラス柳沢というおばかさん二人の言うとおりに、私を脅かしまくって、挙句の果ては、車など、絶体に入ってこないこの、山の上で、交通事故の調書までとって、脅かしたのです。その後、電話をかけて、鎌倉警察署に謝罪を求めていますが、なしのつぶてです。
 鎌倉って、文化人が多いので、エリートも多い街ですよ。そういう街で、警察とはこんな低いレベルの人間たちで構成されているのです。そこから類推しても、どれほど、日本の警察って、正義が通らないところか、言うを待たないというほどです。

*12、『恋のうぐいすから』というピンクのお酒ラベル

 さて、私はB女史がデートの申し込みをしたいと、書いてきた時に、瞬時に裏は読めました。で、行く気など失せていますがどうしても断ることができません。断ることは、彼女を疑うことになりますから。そんなことをしたら、やり返される可能性はあります。実際に予測通りに、後日、ピンクのラベルのお酒を見つけましたというニュースを、彼女は、フェイスブックの世界で、公開しました。

 そのお酒は、『恋のうぐいすか』らというそうで、彼女はそれを私の大好きなうぐいすさんに上げたいな」と、フェイスブックの世界で書いています。私はB女史より30さいぐらい年上ですがからかわれ切っています。
  ここで、もう一回休ませてくださいませ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 老人ホームに、おける、つら... | トップ | 徳川美術館と、大原美術館を... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事