銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

バーバラ・ボニー VS キャスリーン・バトル(主役と裏方)

2011-02-19 17:04:14 | Weblog
 今日お送りするものは、一種の閑話休題というやつで、前報との連携が途絶えますが、ちょっとした気づきもありますので、お話をさせてくださいませ。

 ところで、今、文意が通るまでにやっと完成しましたが、それが、20日の午前一時です。先ほど来、未熟な段階でお読みいただいた方には本当に申し訳ございません。こういう風に何の怒りもない文章を最近では書きなれないものですから、エンジンがかかるのが遅れました。お許しくださいませ。
 
 先ほどは、本当に疲労困憊だったのです、昨日の続きを書くのをいったん休んだのですが、午後3時にお昼寝をしても、中途半端なので、ストーブの前で、ゆったりと新聞を読んでそれをリフレッシュメントの手段としていたのです。

 すると、朝日新聞のe8という付録の頁が、全面広告であって、183曲の名歌を集めたCD全集だと載っています。各・歌い手の写真も使われていますが、もっとも大きくて主役めいて使われているのが、キャスリーン・バトルです。

 『あ、そうか。彼女が日本で通用するクラシック歌手としてはもっとも有名なのか?』と感じます。しかし、彼女は背が低いのです。小柄です。それでなのか、それとも、有色人種だからか? それとも、彼女のマネージャーの戦略なのかはわかりませんが、アンサンブル(=オペラ)の中で使われることが余りありません。

 と書いた後で、グーグルで検索して見ました。すると、気難しいことで有名でメトロポリタン歌劇場(職員)からは、出入り禁止となっているそうです。それは、大体知っていましたが、なんと、彼女は1948年生まれだということで、それは忘れていたので、それには、改めて驚きました。

 若く見えます。それと、最初は地味で控えめで、タイトルロールを目指さず、一応学校の先生をやっていて、36歳ぐらいまでは舞台に立たなかったのだそうです。そういう若い日があるから、アメリカの6つの大学から学位を送られているほどの、インテリらしいです。これは、女優のジェシカ・ラングなどと似ていますね。キングコングの愛人だとか、他の映画でも、グラマーだったり、心のコントロールが取れないな女性を演じているが、実際にはインテリだという事。

 キャスリーン・バトルは、グラミー賞も五回、もらっているほどの実力者だそうです。体も小さいが、声も、清純で、少女っぽい役をこなしうる、コロラトゥーラで、それなりの役で、オペラもやっているそうです。がアメリカ人であるのに、メットで拒否されてしまったら、それは、損でしたね。だから、私が、彼女出演のオペラを知らなかったのだと思います。

 ところで、問題は、ニッカウィスキーのコマーシャル出演時の写真が、今日の朝日新聞の広告には使われているのに、CD全集の中では、彼女はそこで大当たりをした、オンブラマイフを歌っておらず、

 183曲の中で、それは、ミレッラ・フレーニが歌っているところなのです。

 それが一番引っかかったことなので、この一文を書き始めたのでした。

 製作元は、ユーキャンと言うところで、たぶんですが、通信教育を行っている会社で、その学習者を募集するために、大きな広告を連続して打っている会社です。だから、キャスリーン・バトルを、広告塔に使っていて、しかも有名なオンブラマイフを歌っていないという事を、一種の詐欺ではないかと思う私の思惑なんか、ふっ飛ばしてしまうほどの、ビジネスとして勢いのある会社なのでしょう。

 でも驚いて、さらに丁寧に、曲目と歌っている歌手を対応してチェックしていきました。すると、結構有名な歌手を使っています。そこには、魅力がある企画です。
 音源は、世界の一流レーベル、それこそ、LONDON、EMI、ビクター、コロンビア、古くはデッカなども、使用しているんですって。

 しかも、『音源が何とかだ(古いかもしれない)から、音が悪い場合もあります』とお断りさえも入れてある周到さです。

 『ア、そうですか。それは、なかなかのものですね』と、驚きました。

 で、ここで、ユーキャンに対する気づきからは、離れて、大写真をつかってあるキャスリーン・バトルと、彼女を大物した、ニッカ・ウィスキーのコマーシャルについて考察をしたいのです。
 そのコマーシャルは、日本の実相寺昭雄という、芸術派(または、ATG系)監督が撮ったものだそうです。

 監督は、主たる活動の場、芸術系の映画そのものの現場では、気難しい人だったそうですが、音楽は大好きで、
 こと音楽に関しては、映像の撮り方が、とても素直だったそうです。で、1986年、キャスリーン・バトルが、38才のときに、あのオンブラマイフを歌うコマーシャルを、美しい映像として撮ったのでした。彼女を最大に美しく撮っています。

 どうもそれが後押しをしたらしくて、その後、彼女は例のウィーンの楽友ホールでの、新年(または、大晦日?)のコンサートへプラシド・ドミンゴと、二人で、歌手として招かれています。それは、CM大当たりの三年後の、1989年でした。あのウィーンのジルベスターコンサート(?)には、最近では、歌手を呼んでいませんので、1989年は、特別に特別なことだったのです。
 
 だから、不思議なことですが、クラシック歌手の世界的な売出しが、日本での評判に左右されるという事もありうるということです。これは、メディアが発達しすぎた日本の、プラスの面が出たという事です。

 それは、一種の運としての出会いがよかったという事となるのでしょう。特に、お金をもうけるという意味ではそれが、当たっています。ところが、そこまで、大切にしてもらった結果、要求がシビアーになっていって、ケン高くなってしまって、人々と、トラブる様になったというから、不思議というかなんと言うかです。結局そのときの指揮者レヴァイン(その前から、ずっと、ひいきにしてもらっていた)とも、別離となったそうです。人生はわかりません。

 でも、大歌手の一人だと思います。小さい体で、人々を熱狂させた彼女の一時期はすばらしいものでした。マリア・カラスみたいな恋愛に関するエピソードは伝わっていませんが、日本人がクラシックを考えるときに、未だに大きな存在であることを、久しぶりに、その広告で感じたものです。
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 さて、夕食をはさんで、たっぷりとした休憩を入れて、誤変換を直そうとして、ふと、「音楽について語るのなら、最近なら、あれを忘れてはならないね」と思うものを思い出しました。

 それは、NHK・ETVの『バーバラ・ボニーのオペラレッスン』というもので、来週金曜日、25日に、第七回が放映されるものです。

 スイスの山の中で行われた音楽祭の催しのひとつとして、バーバラ・ボニーと言う、普段はイギリスのカレッジで、歌唱指導をしているソプラノ歌手が、選ばれた若手(ソプラノ以外テノールやバリトンも含む)に公開レッスンを付けている模様を伝える番組です。これはレアものの一種ですが、見始めると来週が楽しみになるほど、素敵な番組です。

 バーバラ・ボニーは、六回目までは、シフォンだと思われる薄い生地のドレスだったので、(つまり、一日で六回分を収録している。すなわち、一日に三時間を越えるレッスンが行われたと推定される)、
 胸の谷間がよく見えてしまいました。とても熱心な指導をして、例を示すために、かがんだときに、とくにそこが見えました。とても、優しそうな人ですが、それがその、丸くてやわらかそうな美しい胸に、現れているように思えます。

 でも、ある一面では、厳しいのですよ。生徒であるテノールの若手が最高音のところで、声が途切れてしまうほど、緊張もしていました。それほど、息の使い方、筋肉の使い方については厳しいです。ちょっと、15年以上前の記憶がよみがえりました。自分が一年間個人的に学んでいたときに、横隔膜の使い方が最後までよくわからず、『難しいものだなア。正式なレッスンって』と思ったときのことです。 

 今回の生徒さんたちは、プロだから、一、二分ぐらいのうちに注意の内容を理解して、体の使い方を具体的に、直していくのです。それは、公開レッスンで、200人以上は見て聞いているわけだから、さすがというべきです。私なんかだったら萎縮のきわみになってしまうでしょう。「先生も生徒も、すごい」というべきなのです。

 が、ボニー先生は、そういう体の使い方だけではなくて、歌の表現の、本質的な部分については、すばらしい指導をされます。特に第四回のメゾに対しての「ピアノの上で寝ながら、歌って御覧なさい」とか、ムゼッタという脇役の、性格に対する現代風な解釈など、すごかったです。蓮っ葉なんだけれど、それは、普通の若い女性なのだという解釈。つまり、主役でなくても、その役に対して、愛情をもって解釈をすることの大切さです。

 また、第六回、ボエームの最後の回で、主役二人に対して「舞台の先端に座って、歌って見てご覧」という指導部分も、よかったです。

 その結果、抜群に歌がよくなるのです。自由でリラックスして、(日本語で言えば)自意識がなくなるのですね。

 特に六回目はボエームの最後のレッスンでした。ラストの場面が、六人で表現をされました。

 それを聞きながら、先生であるバーバラ・ボニーも涙ぐんでいましたが、私も数分間は、眼に涙がたまりました。流れ落ちるというほど激しくはないのですが、涙が出るほど感動しました。ボエームでは初めての経験です。それほど、歌が美しく聞こえました。6人は、Tシャツなどの普段着で、歌っているし、舞台装置もないのですが、歌そのものが、本当に感動的に聞こえました。

 今まで、ボエームは好きではなかったのです。筋が単純だと思っていました。でも、曲が(=旋律が)すばらしいのですね。それが今回、衣装も装置もないので、かえってよくわかりました。

 その感動がどうしてもたらされるかについて、解釈部分でも、具体的に指導をします。
 ソプラノとテノールが、二人とも、体を観客席に向けて歌えば、「恋人同士が、横に隣あって、話をするはずがないでしょう。二人で眼を合わせ、胸を合わせるでしょう。だから、二人ともが、体を客席の正面に向けるのは、不自然です」と、一方では教えながら、しかし、もう一方で、「体はそうであっても、顔、特に口だけは客席に向けて、声が、100%客席に届くように」とも教えます。

 その際、「もし、演出家が、それを嫌ったら、僕は、どうしたらよいのでしょう?」との質問がレッスンを受けている側から来ましたが、「練習の間には、演出家のいうとおりにしておいて、いざとなったら、自分を生かすようにするのです」との教えでした。それがまったくいやらしくなくて、歌手を愛しているから出てくる言葉ですし、それがテレビ画面を見ている私たちにもわかるから、素敵です。

 バーバラ・ボニーが一種の天才にもかかわらず、これほど、穏やかなのは、一回結婚をしていることもあるでしょう。それが、プラスしている。

 一方で、同じく知的で、指導もできるだろう、キャスリーン・バトルが、神経質で、他人とぶつかってばかりいるとの評判があるのは、キャスリーンが、カラードだからだろうと、私は想像します。キャスリーンほどの優れた人と、格があうぴったりの相手が、彼女が若いときには、見つかりにくかったのでしょう。

 とくに、彼女が1948年生まれだと聞いて、それが想像されます。10年でも20年でも過去にさかのぼれば、さかのぼるほど、アメリカ国内における人種差別の問題は深くて、上手な結婚ができにくかったと感じます。だから、アフリカンの芸術家(特に美術系)は、日本人の妻を娶ることが多いのですが、キャスリーンの時代には、格好のよい日本人男性で、アメリカ永住の人などいなかったと考えられますし。

 だから、キャスリーン・バトルがトンがってしまったのは、時代のせいでもあるのです。オペラ歌手も、ごく普通の人間であり、悩みも多いのだけれど、「こうすれば、より大きな感動を、お客さんに与えられますよ」と指導するバーバラの指導は見ていて、心温まるものです。そして、それにより、向上した歌を聴いていて、特に昨日はボエームの、レッスンの最後の日だったので、ボエームを本当に好きにさせてもらいました。ありがとう。

 2011年2月19日        雨宮舜
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