銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

岡井隆(歌人)氏と、旧仮名遣い(日経・私の履歴書)

2008-10-19 15:11:34 | Weblog
 以前お話をした通り、日経新聞の私の履歴書、野依博士の、子どもたちへの提言、特に親や学校の先生へも向けた提言には惹かれました。
(で、ちょっとパリ物を休んで、・・・・・しかし弁解めきますが、・・・・・四時間前にパリ物も一本新しいものを、乗せては、おりますので、パリ物をお楽しみになさっておられる方には、それを、ご覧頂きたく・・・・・)

 その続きとして、同じコラムで連載が始まった、岡井隆氏(これは、外部から簡単に紹介される場合は、医者にして、前衛歌人となるそうですが)を読み始めたのですが、第一回目から、『なんと、きちんとまとまっている文章だろう、やはり、書き手としてのプロだなあ。特に短歌という、文字制限のある詩形式に熟達したひとだから』・・・・と感心しました。

 それから、一週間ぐらいは丁寧に読みました。ちょうど、私の五冊目の本の印刷が始まった頃で、そうなると、私は自分の労働が必要なくなるからです。

 でね。毎回、毎回、仰っていることに感心しました。原文は(日経をご自宅で取っておられない方でも)、会社とか、図書館で簡単に読めますので、ここでは、繰り返しません。

 ただ、私が特に、感心したことが、四点ぐらいあって、

* 人生で、挫折もあり、短歌制作を、休んだ時期もあること。・・・・・そして、そのことを、今では、肯定をなさっておられること。

* これは、文中ではあまり、しっかりと、言及をなさっておられないが、医者をきちんと続けられたこと。勤務医としてだが、それでも、それは、日本社会の中では、収入の多い方で、それは、芸術と二束の草鞋を履く立場としては、垂涎の的と言ってよいほどの恵まれた立場であること。
 短歌は、さして大仰な道具が要らず、歩きながらでも創作が出来るので、両立が可能だったと、私は思いますが。

* 信仰を持っておられること、短歌を制作するそのベースに信仰があること。

* 旧仮名遣いを復活して、現在は使用をなさっておられること。それは、一種の挫折と言うか、歌人としての、数年間の休息の後であると言うこと。

 この最後の部分こそ、私がもっとも、感銘を受けたところです。

 私は今、文章をパソコンで書くのですが、漢字を多用するのが好きです。その漢字を多用するという点が、少しでも、旧かな遣いへ戻りたいという潜在意識の現われなのでしょう。

 ただ、私は岡井さんより、相当、若い。だから、日常的には、新仮名遣いで育っているし、友人、知人もそうですから、いまさら、旧仮名遣いへ戻しても、それが、通用しないと思います。
 
 そして、パソコンは(今のところはマイクロソフトのワード、2000、2003 2007を混在して使っております)それで、長い文章を入力すると、ほとんどがひらがなで出てきますし、

 ちょっと、難しめの熟語は出てこず、下の、IMEパッドで、手書きをしてその後入力するとなります。それは残念ですね。    では、
           2008年10月19日これを書く。   川崎 千恵子

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« メリーゴーラウンド(パリ)... | トップ | シャルボネ(パリ)と鳩居堂... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事